こおろ、こおろ

まぜまぜしましょ

キャラセル ケロロ軍曹2 であります!

2006年02月24日 01時42分18秒 | Weblog
んふふ、かぁぃぃ…。

第2弾が2月下旬発売とのことだったので、チェックしに行ったら、
すでに発売されてて、またまた買っちゃいました。
入ってたのは、№12のSO・NO・U・CHI
前向きだけど、ホントは後ろ向きってのが、くぅ~っと来ちゃう。


今回のラインナップは、魂ウエブをチェックしてね。 こちらから

前回の方が可愛いかったような気もするけど、まぁいっか。

それにしても、映画化されることが決まったとたん、
あちこちでグッズを見かけるようになった。

少し前まで、「ケロログッズ置いてませんか?」って聞くと、
「は?ケロ?なんですか?」な~んて言われたのに。

気がつけばスーパー入り口のガシャポンだけじゃなく、
ゲーセンやら、ショッピングセンターやらを侵略されてる。

今や小学生の学用品にまでなってるんだよねー。
あーあ、小学生だったら良かったのになー。
いい大人がケロロ学習帳なんて持ち歩けないもーん。


アニメそのものはペコポン星(地球)を侵略するはずが、
ぶっちゃけ終わっちゃうからとかなんとか言って、
なかなか侵略しないどころか、どんどんペコポン人と仲良くなってる感じ。
もっとゲロゲロリなストーリーの方が面白いのになー。

だけど…。
これも映画界侵略計画のためだったのかな?

うむむむ。。

阿久津真矢が鬼教師になった理由 ~女王の教室

2006年02月22日 10時56分37秒 | Weblog
鬼教師・阿久津真矢が帰ってくる! こちらから

 
2004年夏、その内容、設定などで、大きな反響があった「女王の教室」。
天海祐希さんが演じる鬼教師・阿久津真矢は、痛快ですらあった。

自分の見栄や体裁、立場を考えてるだけなのに、
「あなたのため」と、おためごかしな言い方をする親や教師。

素直に親の言うことを聞いているフリをしながら、
巧みに自分の思う方向へ親を誘導し、馬鹿にしたつもりでいる子供。
何かあれば、すかさず親や教師の羽の下に隠れるズルさも併せ持つ。

そんな大人と子供の甘やかしと甘えを、
鋭くストレートに批判するところが気に入って欠かさず見ていた。

放送中、たかがドラマなのに、中止しろと抗議する人達もいたそうだ。
思うに阿久津真矢のセリフに、耳が痛かったのだろう。
本当のことを突かれると逆上するものだから。


その阿久津真矢が3月17・18日、2夜連続のSPドラマで帰ってくる。

前編では、友達のような教師であった新任教師時代。
優しい教師は、しだいに子供たちになめられ、教室内は荒れていく。
逃げるように結婚し、子供にも恵まれる。が、ある日悲劇が起こる…。

後編では、連続ドラマの時、唯一過去に通じるものであった、
胸の傷の理由も明らかになり、友達教師から鬼教師となる数年間を追う。

そういった内容だそうだ。


はじめから鬼教師だったのか。
どんな経緯で「教職員再教育センター」に行くことになったのか。

これは連続ドラマで見てたときに気になっていたことだったので、
今回、封印された過去が明かされると知り、今から楽しみにしている。

「拉致」処分 を読み始める

2006年02月17日 23時36分16秒 | Weblog
中国・朝鮮問題の専門ジャーナリスト、青木直人さんを知ったのは、
平成13年出版の「怒りを超えてもはやお笑い!日本の中国援助ODA
―誰も知らない血税3兆円の行方」という本。

ちょっと紹介すると、
冒頭に平成12年10月11日の産経新聞の記事を紹介。
日本からのODA、103億円で北京に建設された日中友好のシンボル、
「日中青年交流センター」の施設内で風俗営業をしているとの話に、
このセンターを管理している中華全国青年連合会(中青連)に対し、
日本大使館が口頭で善処を求め抗議をしたことを伝えている。

著者の現地取材によれば、
この日中青年交流センターの日本側の工事主体は、
黒川紀章設計事務所スタッフと竹中工務店。
中国側が中華全国青年連合会(中青連)で行われ、
日本が設計と外装を、中国は内装を受け持った。

このセンターが完成する前年、天安門事件が勃発した。
工事は天安門事件に対する西側の経済制裁もあって、
遅れていたが、原因はそればかりではなかった。

この無償援助の最前線である工事の現場では、
とにかく資材が無くなるという。
日本の感覚で置いておくと、翌日には無くなっている。
この被害に遭わない日本企業は、まずないそうだ。
盗まれれば新しく取り寄せるしかない。
こうして見積もった工事費用は、そのたびに膨れ上がる。

しかも無くなった資材は製造メーカーに注文するのが普通だと思うが、
中国側の中青連は付き合いのある日本の商社を通じ、
再発注をかけるよう強硬に要望してくるのだという。
すったもんだの末、中国側の要望通りにせざるを得なかった。

中国の工事現場では普通の話だがプレハブのトイレがあるのに、
あちこちに尿の跡があったり、排泄物がゴロゴロしてる。
衛生管理の行き届かない最前線で働く現場の関係者から取材した話だ。

こういった現地取材と詳細なデータで丁寧に事実を示した割には、
さらりと読める本だった。
そんな中国事情に詳しい著者が拉致問題を取り上げた。
彼がどう捉え、どう考えているのか、楽しみな1冊にとりかかる。

小さな「知りたい」

2006年02月13日 18時59分59秒 | Weblog
先日、車で移動中に気になったこと。

ダック引越しセンターの車を見かけたんだけど、
どの車のナンバーも同じで、しかも、88-88。

むむむ。。
もしかして全車が同じナンバーなんだろうか?

電話して聞くような事じゃないけど知りたい。
知ってどうなるものでもないけど知りたい。

マッカーサーの見た焼跡 東京・横浜1945年

2006年02月10日 01時25分45秒 | Weblog
文藝春秋から1983年に出版されたフェーレイス氏の写真集。
フェーレイス氏は、マッカーサー元帥の専属カメラマンだった。

彼が、この写真集で一番最初に載せたのは、
マッカーサーがレイテ島に上陸したときの写真。
参謀とともに上陸用舟艇から降り、水を蹴り浅瀬を進む。
タイトルは「帰ってきたマッカーサー」だ。

1942年2月20日、コレヒドール島を脱出したマッカーサーは、
1944年10月20日、レイテ島に上陸、フィリピン奪還を宣言した。

"I shall return"を記念して、マッカーサーの上陸記念群像が
レイテ島東北部バロ=ビーチにあると写真つきで紹介してもいる。
そしてマニラ市街の写真と敗戦日記や解説等が続く。


私はこういった写真は、添えられたキャプションを読まずに、
まず、自分の感性で写真から読み取ることにしている。
先入観を持たない為にはこれが一番効果的であると思う。

他の人の視点ではなく、自分の視点でものを見る。
これは大切にしたいと考えている。

そうして写真を見てからキャプションを読むと、
やはりそうかと思ったり、思い込みが過ぎるだろう、とか
自分の考え、印象と対比することが出来る。

この写真集で一番印象的だった一文を引用したい。

p12より引用
『マニラは解放された。
1945年5月、マニラではオスメニアの犠牲において戦後処理が進められていた。
その頃、ワシントンでは「極東におけるソ連の対抗者として、
中国と日本のうち、どちらを選ぶべきか」を協議していた。
このマニラの解放は、フィリピン人にとって真の開放であったのか。
それは「解放」ではなく、「再占領」ではなかったのか――。』
引用終了



1945年8月30日、厚木に進駐。
1945年9月27日、昭和天皇がアメリカ大使館に、
マッカーサーを訪ねた時の写真を撮影する。
昭和天皇とマッカーサーが並んで写っている写真だ。
フェーレイス氏は、その写真を撮影したときのことを回想し、
「昭和天皇は終始、堂々としていた」と語っている。

その時、写真は3枚撮られたのだが、
1枚目はマッカーサーが目を閉じていた。
2枚目は昭和天皇が口を開いていた。
3枚目が公式写真として世に出た。
この写真集には、その3枚が並んで載っている。
公開されたショットと、未公開の2枚と合わせて見ると、
考えていたよりもリラックスしているように思える。

写真集は、マニラ軍事法廷、ミズーリ艦上の写真の後、
この3枚の写真を含めた、東京・横浜の風景へと移っていく。

市街地では焼け残ったビルもあるけれど、
本当に焼け野原だった。
絶望的になってもおかしくないほどに。

こんな状況から這い上がったんだ…。

戦後、日本人は死に物狂いで頑張ったんだと思った。
心底敬服した。

韓国映画界ってすごっ!韓流スターもデモに参加

2006年02月08日 20時39分23秒 | Weblog
今年1月26日、韓国の韓悳洙(ハン・ドクス)副首相兼財政経済相が定例会見で、
国産映画の保護の為、年間146日以上の上映日数を義務付けている、
「スクリーン・クオータ制度」を、今年の7月から73日以上に縮小する、
と発表したことに反発して、韓国のソウルでは抗議集会とデモが行われた。

これには韓流スター四天王の、イ・ビョンホンさんや、
「シュリ」のチェ・ミンシクさんらが参加。

抗議集会では「文化の侵略を許すなー!」と叫んでいる場面や、
四天王の一人、チャン・ドンゴンさんが国会議事堂前でプラカードを掲げ、
「一人デモ」を行っているところをTVニュースで放送していた。

韓国の俳優さんは熱いねー。
日本では、ありえねーってニュースじゃないかな。

スクリーン・クオータ制度により外国映画の長期上映が難しいことから
、米国とのFTA交渉開始の前提として制度の緩和を求められていたらすぃ。

経済状態の良くない韓国に緩和を要求するなんてイジメじゃなかろうか。
そんなに米国の国益になるとも思えないし。
ったく、そんな要求をする米国も毎度ながら勝手だなと思う。


それにしても、国産映画を146日以上上映しなければならない義務って…。
あんなにウリナラマンセーな国民なのに、国産映画を観ないんだろうか?
国民は年に何本以上観るかも義務付けられてるんだろうか?
上映してても見る人が少なきゃ採算合わないしねぇ。。

ってか、何の映画をどんだけ上映するか。
こんなことも自由じゃないなんてほうがビックリ。
そんなことを義務付けるなんて、なーんか、フシギな国。


ま、そんなに熱くならなくても、韓国国民なら
ケンチャナヨ~!!でしょ。


あー、フシギの国に生まれなくて良かったぁ~ 

「日本軍人おもしろ史話」を読む

2006年02月07日 16時49分52秒 | Weblog
「日本軍人おもしろ史話」 著:杉田幸三
毎日新聞社のμBooks(ミューブックス)で、1991年に出版されている。
幕末、明治、大正生まれの各軍人のエピソードの他、
ミニうんちくも所々にあり、タイトル通り面白く読める。

私がこの本の存在を知ったのは、
東條英機氏の御令孫である東條由布子さんの著書、
『祖父東條英機 「一切語るなかれ」』でだったと思う。

引用したのは、無論東條英機のエピソードからで、
「昭和天皇のご信認」という見出しとかけはなれた

「東條英機の悪口を言わないものは日本人ではない」

という書き出しの部分だった。

ここに当時の日本の「空気」を知ることが出来る。

傲慢で無礼なアメリカに対して
譲歩を重ね、誠意を示したことなど吹き飛んでいる。

この本にも、
「日本中の罪をすべてなすりつけられたような感じだ」
と書いてある。

少し前、石原慎太郎氏が産経新聞に寄稿した「日本よ」という
エッセイでの間違いを指摘するため、
東條由布子さんが自殺直後の祖父の写真を公開していたが、
私は同じ写真を図書館にあった写真集で見ていた。
米兵が取り囲むベッドに横たわる血まみれの東條英機の写真だ。

戦勝国の悪意に満ちたレッテル貼りにより生まれた、
「東條英機の悪口を言わないものは日本人ではない」
という当時の日本の「空気」が、事実を見誤らせ、偏見をもたらし、
それは今もなお日本人にとりつき、御遺族を悲しませている。

したり顔の文化人とやらが生み出した差別だと私は思う。

エピソードの見出しを「昭和天皇のご信認」とした著者はこう結んだ。

p144より引用

昭和天皇の東條観が、木下道雄氏の「側近日誌」にある。
「東條はそんな人間とは思わぬ。彼程朕の意見を直ちに実行に移したものはない」
「そんな人間」とは、東條大悪人ということである。
このご発言で東條は浮かばれるであろう。
これ以上のものはない。

引用終了



数年前、
「東條英機について調べれば調べるほど、
この人は、いったい何のために生まれてきたのだろうと思う」
そう私に言った人がいた。

当時、教科書に書いてあった、ためにする「お話」しか知らず、
「歴史」を知らなかったので、その意味がよくわからなかった。
でも今ならわかる。
そして私も同じように思っている。

くぅ、また進化してる

2006年02月07日 14時03分03秒 | Weblog
体調を崩して、しばらく入院していたら、
またしてもブログが進化してる…。

記事をジャンル分けする事もしないし、
テキトーに使ってるから、読みにくいかもーと思いつつ、
ブログ命!ってワケじゃないから、
ま、いっか、と毎回やりすごしてしまうんだなー。

だらだらブログでも、いーじゃないか。

と、はげましてみる。