「Shall we ダンス?」は年代が違うというような違和感と、私とは笑いのツボが違う、という感想を持ったけれど、今回のテーマは“裁判”。
これから先、裁判員制度の導入もあり、私がこの裁判を担当したら…という視点を持つために観てみることにした。
ストーリーは、フリーターの金子徹平(加瀬亮)が会社の面接に向かう途中、朝の満員電車の車内で痴漢に間違われ、その時点から裁判で判決を受けるまでの経験を描いている。
その過程を知ることで、刑事裁判の問題点と向き合うというもの。
監督は推定無罪の原則が崩れてはいないかと疑問を投げかけたいのだと思うけれど、その思いが強すぎるあまり、裁判官や検察官、警察を悪く描きすぎ、対比させて弁護士を良く描きすぎではないかと感じた。
それに、傍聴ヲタが言う、裁判官も検察官も公務員だとか、国家権力との闘いだとかいう、かなりカビくさいセリフには、思想啓蒙の映画かと思ってしまった。
また、実際に被害を受けた女性が法廷でどれだけ恥ずかしい思いをしながら証言するかということは、ほんの少し、それっぽくはしているが、ほとんど描かれていないに等しい。
以前もエントリしたが、私自身も電車内で痴漢の被害に遭い、警察へ行ったことがある。
調書を取った取調室は、この映画に出てきた部屋よりも小さかった。
そこで警察官から、家を出た時間から始まって、どういう経路で被害にあった電車に乗ることになったか、痴漢の被害に遭うまでを質問される。
質問に沿って詳細に述べると、警察官は声に出しながら調書を書き、全て書き終わると始めから読み上げ、内容を確認したら拇印を押して終了。
この調書を作る段階でも、かなり恥ずかしい思いをする。
生々しい単語で被害の状況をつづられ、それを淡々と読み上げられるのは、かなり苦痛。
最近でこそ悪質な女性もいるけれど、この映画は女性が故意に男性を陥れるというものではないだけに、こういう部分も落としてはいけないものではないだろうか。
また、この映画の公式サイトには、「あなたの判決は、有罪?無罪?」というインターネット投票をやっているブログがリンクされている。
今日、投票を見てみたら圧倒的に無罪が多い。
これは、そもそもが痴漢冤罪を描いたものであるために観る側が主人公に感情移入しているからではないかという気もする。
それだけにこの結果を見ると、裁判員制度が導入されたら、世論と誘導でどうとでもなってしまい、あらたな冤罪が生まれそうでもある。
その場合、人を裁くという行為の責任を分散させる制度ではないが、裁判員は心理的負担を負うだけで良いのだろうか。
もっと真剣に考えないといけない問題だと実感。
判決は必ずしも正しくない。
法律は正しい者の味方ではなく、より知っている者の味方である。
これが今の裁判制度の問題なのだと私は思っている。
であるならば、どんな事でも疑われるような行動はしないことが、今のところ自分を守る最低限の手段だろう。
今回は陪審制度をテーマにした「12人の怒れる男」という映画のように、見ごたえのある脚本を期待していただけに裏切られた気分になった。
これから先、裁判員制度の導入もあり、私がこの裁判を担当したら…という視点を持つために観てみることにした。
ストーリーは、フリーターの金子徹平(加瀬亮)が会社の面接に向かう途中、朝の満員電車の車内で痴漢に間違われ、その時点から裁判で判決を受けるまでの経験を描いている。
その過程を知ることで、刑事裁判の問題点と向き合うというもの。
監督は推定無罪の原則が崩れてはいないかと疑問を投げかけたいのだと思うけれど、その思いが強すぎるあまり、裁判官や検察官、警察を悪く描きすぎ、対比させて弁護士を良く描きすぎではないかと感じた。
それに、傍聴ヲタが言う、裁判官も検察官も公務員だとか、国家権力との闘いだとかいう、かなりカビくさいセリフには、思想啓蒙の映画かと思ってしまった。
また、実際に被害を受けた女性が法廷でどれだけ恥ずかしい思いをしながら証言するかということは、ほんの少し、それっぽくはしているが、ほとんど描かれていないに等しい。
以前もエントリしたが、私自身も電車内で痴漢の被害に遭い、警察へ行ったことがある。
調書を取った取調室は、この映画に出てきた部屋よりも小さかった。
そこで警察官から、家を出た時間から始まって、どういう経路で被害にあった電車に乗ることになったか、痴漢の被害に遭うまでを質問される。
質問に沿って詳細に述べると、警察官は声に出しながら調書を書き、全て書き終わると始めから読み上げ、内容を確認したら拇印を押して終了。
この調書を作る段階でも、かなり恥ずかしい思いをする。
生々しい単語で被害の状況をつづられ、それを淡々と読み上げられるのは、かなり苦痛。
最近でこそ悪質な女性もいるけれど、この映画は女性が故意に男性を陥れるというものではないだけに、こういう部分も落としてはいけないものではないだろうか。
また、この映画の公式サイトには、「あなたの判決は、有罪?無罪?」というインターネット投票をやっているブログがリンクされている。
今日、投票を見てみたら圧倒的に無罪が多い。
これは、そもそもが痴漢冤罪を描いたものであるために観る側が主人公に感情移入しているからではないかという気もする。
それだけにこの結果を見ると、裁判員制度が導入されたら、世論と誘導でどうとでもなってしまい、あらたな冤罪が生まれそうでもある。
その場合、人を裁くという行為の責任を分散させる制度ではないが、裁判員は心理的負担を負うだけで良いのだろうか。
もっと真剣に考えないといけない問題だと実感。
判決は必ずしも正しくない。
法律は正しい者の味方ではなく、より知っている者の味方である。
これが今の裁判制度の問題なのだと私は思っている。
であるならば、どんな事でも疑われるような行動はしないことが、今のところ自分を守る最低限の手段だろう。
今回は陪審制度をテーマにした「12人の怒れる男」という映画のように、見ごたえのある脚本を期待していただけに裏切られた気分になった。