こおろ、こおろ

まぜまぜしましょ

横田早紀江さんらの訪米  恥と思わない不思議

2006年04月28日 02時06分50秒 | Weblog
拉致被害者、横田めぐみさんの母親、早紀江さんらが米国を訪れ、拉致問題の協力を訴えている。
ブッシュ大統領との面会も決まったそうだ。

私が不思議に思い、怒りに震えるのは、このことに関する日本の政治家やマスコミの反応だ。
米議会や国防総省で訴える早紀江さんの姿を見て、なぜ国民を助けようとしない政府与党を糾弾しないのか。
なぜ政府与党の尻をたたかない野党を糾弾しないのか。

しかも、早紀江さんの行動を、どこもかしこもそれを当たり前のように報道している。
一人の拉致被害者の母親に全てを負わせ、何とも思わないのだろうか。


各国の協力があれば、さらに強力な圧力となることは確かだと思う。
が、日本国民の受難を自国で解決できない事を恥と思わないのだろうか。

親に反抗する子供のように米国を批判しておきながら、いざとなると米国に頼り、協力を期待することを恥と思わないのだろうか。

私にはどれもが不思議でたまらない。

現実的に考えて日本だけでは無理だと諦めているからだろうか。
所詮、他人事だからだろうか。
心の底からふつふつと怒りがわきあがってくる。

少し前まで横田さんご夫妻をはじめとする拉致被害者のご家族の皆さんは、ほとんどの国民が知らずにいたか、無関心という状況の中で絶望することなく四半世紀という長い時間を闘ってきた。
拉致事件が大きく取り上げられ、国民の関心も高まり、これでやっと、という期待に胸がふくらんだ事と思う。
なのに、無関心よりたちが悪い、この冷たさはいったい何だろう。


独立主権国家であるなら、拉致問題のポスターに書くべき言葉は、「日本は見捨てない」ではなく、「日本は必ず救出する」だ。

「温故一九四二」を読み始める

2006年04月27日 01時05分22秒 | Weblog
「温故一九四二」 著:劉震雲 中国書店

久しぶりに手元に届くのが待ち遠しかった本です。
少し読み始めたら、とても読みやすく、あっという間におわりそうだったので、ただいま休憩中。

少し調べたら「天涼」のサイトで第三巻、第38号に本のあらすじが掲載されていたので下に紹介します。

引用開始

【あらすじ】
 1942年春から43年秋にかけて、河南省では110県に及ぶ広範な地域で旱害、蝗害、水害の三大自然災害が発生し、大きな被害をもたらした。飢饉のために省の全人口の十分の一に当たる300万人が、餓死、あるいは病死し、流浪者(「逃荒」)も300万人となり、罹災者は合計で600万人とのぼった。そして、流浪の途中での餓死、病死、汽車にひき殺される等々による死者は数えきれなかった。
  罹災者は、木の皮、雑草、柴、泥などを食べたが、それらさえもなくなった。子どもや婦人が売られた。家庭を支配している者が、支配される者を売った。男も女も、その値打ちはいずれも普通の作柄の時の十分の一となった。若い女は妓楼に売られ、成年男子は国民党軍に捕まえられて、兵士に徴発された。しかし、彼らは喜んだ。軍隊にいれば、ご飯が食べられるからだ。
  人間が人間を食う。アメリカ人記者白修徳は、河南省に行く前に、この世で人間が人間を食うことを信じられなかったが、しかし、彼は自分のこの目で見た。一人の母親が、自分の二歳の子を煮て食べた。一人の父親が、自分が生き延びるために、二人の子どもを縄で絞め殺し、蒸して食べた。・・・・・「易子而食」、「易妻而食」などなど(3)。
  飢饉は、全てを支配した。この時、同情心、親族の思いやり、習俗のきまり、道徳心、宗教心などは「蕩然無存(跡形もなく消える)」となった。大量の死体が野ざらしとなり、飢えた犬の食料となった。1943年の河南省罹災地区では、犬の方が人間よりもずっと元気があった。
  しかし、政府は、罹災地区からも変わらずに現物税と「軍粮(軍隊に供給する食糧)」を徴収し続けた。
  民衆の本音を伝える流行歌謡に、次のようなものがある。“説真語、会卿官、半真半假保住官、置天大姿恂大官(本当を言えば、官職を失い、半分本当で半分嘘なら官職を保ち、嘘八百並べれば高官になれる)。”
  蒋介石委員長も、「嘘、でっち上げ、水増し、上乗せ」の統計という中国の官僚病をよくわかっていた。だから、蒋は河南省政府に対して、自然災害の報告を偽りと決めつけ、さらに、河南省の徴税項目や分担金などで緩和や免除を絶対に許さないと厳しく命じた。これは、現実には、政府が刀をもって自然災害の仲間となることを意味していた。
  『大公報』記者、張のわずか六千文字の「豫災実録」の報告、および評論は蒋を激怒させ、『大公報』は三日間停刊させられ、関わったジャーナリストが処分された。
  他方、数百万の罹災者たちは、「洋人(白人)」のアメリカ人記者白修徳、イギリス人記者込里儼・福櫛曼、中国駐在アメリカ人外交官たちに、大いに感謝していた。白修徳は、アメリカのマスコミに呼びかけた。また、白と福は、宋慶齢(1893.1.-1981.5.孫文夫人)を通じて、蒋介石と20分ほど会見した。中国人は白人の気にさわることを願わないため、多くの河南省の罹災者が救われた。
  アメリカ政府は、蒋に対する信任を割り引いた。外国からの救援物資は、全て宣教師を通じて配給された。白人たちは、宗教の教義から出発し、教会におかゆの給食施設、医院、孤児院を設立した。
  これらの少数の外国人は、中国人に生命が高貴であることを意識させた。一人のカトリック神父は、おかゆ給食施設設立のきっかけについて問われたとき、このように答えた。
  「少なくとも、彼らを人間のように死去させてあげたい。」
  中国政府も救済活動を始めた。陝西省や湖北省には、豊富な食料が貯蔵され、即座に調達すればよかったが、政府は同意しなかった。中国では、一貫して政治が人間よりも高いのである。
  数ヶ月後に、中央政府の救済金の二億元が河南省にまでたどり着いたとき、わずか八千元になっていた。省政府役人は、この八千元を銀行に預け、利息が増えるのを待っていた。さらに数ヶ月後、一部の地方役人は救済金を受け取ってから、農民の未返済の税債務を差し引き、農民の手元ではゼロになった。
  また、中央政府の紙幣は全て百元札で、食料を買いだめする投機売買人は百元札を拒絶し、農民はやむを得ず国家銀行に行き両替したが、その時、銀行は17%の手数料を抜き取った。罹災者にとって必要なものは、食料、穀物であったが、しかし、政府は無視した。
  確かに、慈善による募金や公演も行われた。しかし、これらの救済金も政府に渡さなければならない。そして、政府が罹災者に配給する過程で、省から県、県から郷、郷から村というように、多くの中間機関を経て、幾重にも重なって、救済金は収奪された。上から下へ行く中で、次々に奪い取られた。どれだけ、罹災者の手元に届いたのだろうか?
  その中で、皮肉で驚くべきことには、政府の公務員は「一回食べれば、一週間飢えない食品」を発明して、普及させようとした。実際には、1943年、蒋介石政府の救済キャンペーン中に、農民たちは毎日飢え死にして、それが常態となっていた。大通りで、野原で、駅のそばで死んでいた。総じて言えば、蒋の救済キャンペーンは、ただのドタバタ劇であった。白人、白人の政府、世界に見せびらかすドタバタ劇であった。
  1943年秋、イナゴの災害もやってきた。しかし、河南省の人が全て死んでしまうことはなかった。50年後には、中国で二番目に人口が多い省となっている。それは、中国政府が災害救援措置を実行したからか、それとも、イナゴが自分から飛び去ったからか。否。
  1943年冬、日本軍が河南省罹災地区に来た。罹災者が救われた。侵略者が罹災者に「軍粮」を配給した。
  生存のためならば、売国奴であれ、「漢奸(漢族の裏切り者が原意、転じて民族の裏切り者、侵略者の手先)」であれ、「私」の親族、友人、同郷人で、日本軍を助け、中国軍を武装解除した者は数えきれない。50年後、「漢奸」を追究するならば、皆そうだ。私たちは皆、「漢奸」の子孫だ。
  1944年春、日本軍6万人は、中国軍30万人を殲滅した。それは、日本軍の「軍粮」が民衆を救ったからだ。中国政府に腐敗がはびこり、民心を失い、政権を保つことができなくなってしまった。
  日本軍は比較的見識があり、民心の向背に注意を払った。「吃(食べる)」は民衆にとって根本的なものである。飢え死にして中国の鬼になるよりも、むしろ、飢え死にせずに亡国の民(奴隷)になりたいのか。飢え死にの瀬戸際にある罹災者は、この問題に直面したとき、後者を選択した。


(1)貧農と下層中農は、農民の階級区分のうちで、最も貧しい階級の二つである。建国当初、農村において階級区分が行われ、農民は地主、富農、中農、貧農、雇農の五つに分類された。最も貧しい雇農と貧農は、農村における革命勢力とされた。階級闘争を進める毛沢東は、中農の内の下層を貧農とともに“プロレタリア階級の最も信頼できる同盟軍”とすべく、64年“貧農下層中農協会”の結成を命じた。文革期にも農村での革命勢力にしようとしたが、機能せずに自然消滅した。(現代中国事典、p.1074)
(2)1950-53年に行われた反革命鎮圧運動の略称。帝国主義、封建主義、官僚資本主義の残存勢力に打撃を与えることを目的として、彼らを反革命分子、反動分子と認定し、鎮圧した政治運動。この運動は、抗米救朝運動、土地改革と並行して、大々的に厳しく行われた。(現代中国事典、p.1054)
(3)「易」は交換という意味。古代、易牙が自分の息子を蒸して、暴君の傑紂に食べさせたという故事がある。

引用終了

登場人物の解説なども紹介されているので読みたい方はこちらへ

この本の監修をされた竹内実さんが天涼へ寄せた投稿は こちら

中国語もOKなら著者のブログもいいかも。 こちら



視点により一つの事象も見方が変わるという書き方をしていながら、基本的な立ち位置は著者のふる里である江南から揺るがず、とても胸にせまってくる。


さて、また読み出そう。

「日本人が知らない中国人の本性」(著:黄文雄)を読む

2006年04月24日 23時44分47秒 | Weblog
知っておいたほうが良い中国人の資質が書いてあるのだけれど、
タイトルだけで単純に悪口が書いてあると考えたりして、
本を手に取ること自体をためらってしまうのではないかと危惧してしまう。


この本を読んで、多少はわかっていたつもりの「中国人」というものが、
実は入り口にも立っていなかったことに気づかされた。

読めば読むほど背筋が凍りつくその内容は、今の日本人がどれだけ甘く、
日本政府がどれだけたるんでいるのか、愕然とさせられると同時に、
その狡猾な外交戦略に勝てるのだろうかと不安になる。

今のような外交を続けていれば、
骨の髄までしゃぶりつくされるのは間違いないと実感した。

やっぱり先送り ~竹島問題

2006年04月23日 15時01分39秒 | Weblog
竹島周辺の海洋調査計画をめぐる日韓対立は、またしても玉虫色の合意で決着となった。
日韓両国外務次官協議で日本は海洋調査を中止し、韓国は6月の国際会議で竹島周辺の海底地形に韓国名の表記提案することをとりやめたそうだ。

つまり、日本は、またしても海底地形について何のデータも持っていない状況が持続するわけで、再び韓国が表記提案する気になったら、同じようなことが起きるということだよねぇ。


朝日新聞の論説主幹・若宮啓文氏は、2005年3月27日、「竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想」というコラムの中で、「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する」と書いた。

その時私は、これが天下の朝日新聞の論説主幹の書くことか?と呆れ、自分が善人ぶった意見を言い、隣国との友好を大切にする人格者だと賞賛されるためには、竹島周辺で漁業を営む人たちが、どれだけ困っているかなど、取るに足らないことなのだろうと、批判した。

この、韓国を見くだしているからこその、上からものを言う姿勢は、韓国と仲良くという主張する人達に多く、とにかく面倒だから相手にするな、という思考が透けて見える。

相手国に対し、正当に正面からぶつかっていく誠実さを持ち合わせない国でいることは良いことなのだろうか。
こう言うと、じゃあ韓国と戦争になってもいいのか?とすぐに極論に走る人がいるが、竹島問題の場合は韓国が武力攻撃してくることはまず無い。
そんなことをしたら自国が不利になるということを韓国政府自身が承知しているからだ。

なんとなく、今の日本政府は韓国政府は反日を利用していると言い、それを逆利用して、成熟した国家とは、こういう対処をするものだと、せせら笑うような対処しかしていないような気もしている。

世界の国々を相手にするということは、国家としての誠実さを捨てることなのかもしれない。

劇団四季の「オペラ座の怪人」を観る

2006年04月23日 00時58分01秒 | Weblog
前に一度チケットをいただきながら、なんとなく気分が乗らずにいかずじまいだった「オペラ座の怪人」。
今回、またチケットをいただいて、A席チケットを二度も無駄にするのも気が引けて、汐留の電通四季劇場[海]へ行って観てきました。

入り口は周りがビルばかりのせいか少し地味目だけど、劇場内に入るとオペラ座となる舞台は豪華。
あとから調べてみたら、オペラ座は総面積約11,000平方メートルという世界最大級のもので、迷宮のような造りだったこと、シャンデリア落下事件も実際にあった事件だったそうだ。

「オペラ座の怪人」は世界最大の観客動員数を誇るミュージカルでもあり、劇団四季の舞台の内容は「凄い」という評判。
私的には、舞台そのものは感動したとまでは言えず、むしろ舞台装置のほうが「凄い」という感想。

歌姫クリスティーヌがなぜファントムを選ばなかったのか、その理由が仮面に隠された顔にあるとしたら、それで悲恋とするのは同情と言う名の優越感もあるような気もした。

こんな解釈する私って変なのかも。。

『この手に・・・』 -横田めぐみを想う- 劇団「てんびん座」

2006年04月21日 16時52分41秒 | Weblog
GWに横田めぐみさんの拉致事件を題材にした舞台を上演する劇団「てんびん座」へ、上演をやめるよう脅迫する電話やメールが届いているそうだ。ソース

劇団のサイト内にある広場(日記)には、脅迫電話の内容や、これまでのように「愛」を題材にしたものを上演するはずが、どうしてこんなことに巻き込まれることになってしまったのかという困惑、森木エリ子代表の上演への決意などが書いてある。

結構多いけど引用します

 引用開始 (実際の日記は逆順です)

2006/02/01(Wed)
劇団てんびん座5月公演

寒い冬だ。
少し雨が降った。

雪はもうすっかり消えている。

劇団てんびん座5月公演『めぐみに届け』(仮題)の準備を進めている。

「救う会神奈川」を通して、横田めぐみさんのお母様、横田早紀江さんに、台本をお渡ししておいたが、昨日、上演について承諾をいただいた。めぐみさんの写真使用(肖像権)のOKも受けた。

小さな心配事が、ひとつひとつはがれていく。

台本の後半をどのように立体化していくかを、今考えている。どうしても表現すべきことが多すぎて、あれこれ難問に乗り上げ、立体化させるのには今一歩だ。

舞台構成もざっとまとまりかけている。

今はそれらをつかむためにも、稽古場で、本読みを繰り返している状態だ。

演出は椎貝路生。この演出者の感性が、どういうふうに、この芝居になじんでいくか、わたしの手の届かないところにある。

ひにちは毎日止まらずに進み続けている。

朝目ざめれば、時は一日減っている。

ふくらむのは、「思い」か「不安」か。

   *****

2006/03/07(Tue)
めぐみに届け 中間報告

「これを上演しよう」と思い立ってから7ヶ月の時がたち、今、具体的に公演に向かって作動しています。

まずタイトルを「この手に・・・」~横田めぐみを想う~ に決定しました。

「神奈川救う会」の会長の川添氏が、人徳篤き御仁で、何かと肯定的に折衝を受け入れてくださり、感謝しています。

さてこの戯曲ですが、昨年、「このままでは、また1年経ってしまう」「わたしたちにできることはなんだろう」という発想から書き出したのですが、あの時点ではわたしは、この事件に関しては、毎日読んできた新聞記事からの知識だけだったのです。

思い立ってからいくつかの本を読みましたが、結局新聞記事に書かれてあったことの枠内の情報にとどまりました。

わたしは、資料を集めてから、書き出す所作を好みません。思い余って書くのでなければ、それは商売行為になってしまうからです(わたしの場合)。思い余って一気呵成に書き下し、あとで、年月日などの確認のために資料を見る、というやり方が、正当な順路だと思っています。

今。稽古中です。

自然と、あちこちからぼちぼちと情報が集まってきます。どこそこで上演していること、放送劇とか、マンガとか、映画製作の予定があるなど、後から知りました。

内容をいちいちは知りませんが、それは、やはり、多くの層の人々に、この事件を知ってほしいという主旨から表現されたものだと思いますので、わたしの行為も、それと同じです。

今にして思えば、書き始めの時点で、もう少し「おりこうさん」だったなら、こういう感じで書いたかもしれないとか、がらりと違う表現をしてみたかったとか、ちょっと残念なこともあるには、あるのです。

でも、わたしも上記の方々と同じ思いで事を起こしたのだから、これは、まっさらな状態でわたしが表現したものであり、もし、ほぼ同時期に作成される映画とか劇とかに、シチュエーションなりが似通っていたとしたら、それは、事実はひとつで、それをあの手この手で表現しようと切磋琢磨したのでなく、一筋、伝えたいという、まっすぐな想いが一緒なのであろうと思います。

横田ご夫妻が、ご老体に鞭打って、日本各地を回られ、この事件を訴えていらっしゃることに、微力でも協力できればと願うものです。

劇団てんびん座の観客の方々は、様々な層に広がっていて、この方々が、改めて心揺さぶられ、この事件に目を向けてくだされば、それは、ひとつの成果であると思うのです。

現に、劇団てんびん座の若い仲間達、台本を読み、「泣いちゃいました・・・」と、言ってくれた子、「本を読みました。胸が痛くなって、しばらく、自分でないような日を過ごしてしまいました」と話してくれた仲間もいました。

それだけでも、行動を起こした価値ありと思っています。

願わくば、よりたくさんの方々に、このメッセージを飛ばせますように、今からドキドキしています。

夜中、台本を読んでいると、「しとっ・・・」と、背中の向こうから、感じるものがあります。何かに見つめられている気配を感じます。何かの魂に、引っ張られるような気がします。

わたしにはもう、父も母も恩師も、熱く芝居行為を語り合ったまぶだちもいない。(芝居の恩師はいます)(先生、長生きしてよね!!)(まぶだちは他にもまだいっぱいいるけど、ある特殊なまぶだちをなくしちゃったから)(もうわたしも、そういう年齢なんだということだな)(生きている人たちを大事にしよう!・・・か。もっともだ)

自分で自分を支えて生きていく時を迎えている。こういうことをやっていると、ことさら心細いけれど、周りには、たくさんの仲間たち、友達がいるから。

信じて進もう。自分のやっていることを信じて。

   *****

2006/04/18(Tue)
5月公演への問い合わせに答えます。

これは答えるべきだと思ったので、ここにお答えさせていただきます。

数件、以下の内容の問い合わせ、または詰問、抗議をを受けました。

「拉致問題を取り上げるということは、劇団てんびん座は戦争支持者達を扇動する集団であると解釈していいですね」

「春菜、多喜二を書き、上演した同じ人が、拉致を書くとは。転向したのか」

などです。

お答えします。

拉致すなわち何々・・・と、頭ごなし部類わけするような考えは狭量だと思います。

それに、日本人は、そんなにたやすく何かに扇動されたりしませんから大丈夫です。

もっとも、あるいは (この公演を、どこかの戦争支持論者?が) 利用しようとしたとしても、内容を観たら、ア、こりゃ手出しできないワイとわかるでしょう。

その前に、わたしたちも何か別のものにたやすく利用されたりしないから大丈夫です。

ォ・・・中断

再度書く。(この間40分ほど)

今電話を受けていました。(本当です)

ある人からでしたが(そりゃ当たり前ですね)(男性)、この公演についてでした。

「どういう考えでこの問題を芝居にしたのですか」ということを聞かれまして。

「相手は何を主張したいのかな。わたしにどういう答を望んでいるのかな」と、わたしは考えてしまいました。

もちろんそれはわからないし、探るような会話の応酬はイヤだから、まっすぐに答えてしまいました。

まあそれはそれでよかったかな。

でもその人は、(このページ読むかな!)「わたしはねぇ、もうイライラしてみているんですよ。いっそ戦争してしまえばいいとね」と言っていました。

ア、やっぱりこういうハッキリしたのがいるのだな!

わたしどもを同意見者として考えたのかな。

でもわたしは、わたしのこういった平明な表現で、心を込めて自分の主旨を話しました。

だから40分かかったのです。

さて。もう時間がない。今日もこれから稽古です。

今日はラストの絶唱を、テーマミュージックに合わせてやってみるという作業がある。

それから、今日は抜き稽古だけど、新聞社の記者さんが取材に来るということで、少し早めに行かねば。

・・・パンフレットの文章も済んだし。

右手が痛い。キーボード打つの今日はこれで終わり。

   *****

2006/04/21(Fri)
穏やかなる決意、済んでいます。

「めぐみにとどけ」
「この手に・・・」という作品は、横田めぐみさんという実在の人の話であり、この子がいなくなって、そのわけもわからず、手がかりもないまま、ひたすら生きていかねばならなかった肉親の話であり、手がかりもない以上、娘は生きていると信じるしかなく、その先に何の光明もないまま、あてどもなく「いつか出逢う日」を信じ続けた人の話です。

今だから人々は結果として「拉致されていたのだ」と思うのですが、20年という歳月を、何も知らされずに娘を待ち続けた両親の、苦悩との戦いは、いかほどのものであったか。いかほど深い、娘への愛情に支えられて、20年という歳月を生き続けてこられたことか。

20年と最初から知っていたのではないのです。抜け切れないトンネルを、あてどもなく歩き続けた人の・・・思いは・・・書こうにも・・・表すことができない。ただ、「愛」という言葉を思わずにはいられないのです。


ドラマは、この「愛」を表現しているものであり、今の若者達や、ごく一般の方々が、劇団てんびん座の公演を観て(別にどういう作品だから観ようではなく、ただ例年通り5月の恒例公演を観に来た方々が)、心に残るものがあればいいなと、いつもの公演と同じ思いを以って上演するのです。

「自分の親は、自分が突然いなくなったら、死ぬこともできないほど苦しむんだ」と知ってもらえればと。家族というものが、絆というものが、どんなに大切なものか、観客も、演者も、改めてかみ締め合いたいと。

この作品への問い合わせが多く、わたしはろくろく稽古もできない状態で、本当にキビシイ!!! どうしてこうなちゃったの!!! いつもの公演と同じ、人間の「愛」を謳い上げたというのに、何にわたしは巻き込まれたのか。

けれど。わたしは動じない。わたしは何に対しても、今は何も心揺るがないし、身構えることもないのです。だって自分の本当の気持ちを自分が知っているから。

昨年の秋、このテーマを取り上げようと思った。それはわたしが、この事件をもう傍観していられなくなったからだ。

でも、少し迷いました。だって・・・現在進行形の実話は、今後どう進展していくか知れず、半年後には、事態が大きく変わることの可能性があるからです。

たとえばめぐみさんが帰国できるという可能性も大いにあったわけです。そうしたらこの作品、もう上演できません。急に書き換えて稽古することはできません。劇場もチャータして、チラシもつくって、チケットも売ってしまったら、劇団てんびん座はこのたった1回の大失敗で、つぶれてしまうしかないのでした。

そのときに、ものすごく決意しました。めぐみさんが帰国できて劇団てんびん座がつぶれてもいい。と。望むところだ。と。

そんな危うい橋を渡っても、わたしはこのドラマを表現すべきだと感じたのでした。表現しなければならないと。そしてなんと悲しいことに、あれから半年以上もたってしまったのに、この事件は解決していないのです。だから上演できるのです。なんと悲しいことに、上演できるのです。

劇団てんびん座がつぶれても・・・というものすごい決意をしてしまった後なので、今、何があっても、例えばどなたかがわたしどもに思想的圧力をかけてきたとしても、わたしは別に揺るがないのです、闘争的でもなく、自然体で平気なのです。

ただ。祈ることがあります。劇団てんびん座の命と同じラインで大切な観客の方々に、安心して観劇する自由な催し物となりますように。毎度のように。

観てよかった。と、観客の方々に思っていただいてこそ、わたしたちは生きがいがあるというものです。不要な雑音は「オニハソト」。

生きることへの喜びと活力、絆によって支えられる愛と安らぎを、劇団てんびん座は皆様にお届けする、平坦なメッセンジャーに過ぎません。

劇団てんびん座は何の宗教団体、政治団体にも属していません。

ひとつだけ公言できること、それは「戦争は反対」。


主宰者のわたし「森木エリ子」が好きな作家は

菊池寛
井上靖
高橋和巳
司馬遼太郎
宮尾登美子
丸山健二

(すきって言うからにはこの方々の小説のほとんどを読んでいるってことらよ~)
(宮尾登美子女史の最新作は、まだ。公演が終わってからが楽しみ(^v^)

こんな程度の罪なき一市民です。
ケケッとみのがしてやってくらはい。


 引用終了


座席数が386席という横浜の本多劇場での8ステージ。
毎回満席だとしても3088人。
この規模の上演にまで脅迫をするということに驚いたけど、公演は予定通り行われるそうだ。

でも…せっかくの公演なのに予定が入っていて見にいけないのが残念。
他の日、または他の劇場でもやってくれないかな。。
もしくは全国の救う会で「てんびん座」の公演か、その台本を使って上演してくれる劇団を後押ししてくれればいいのに。。


「みっともない人体」 人間って面白い

2006年04月20日 15時19分33秒 | Weblog
バーナード・ルドルフスキーが書いた、「みっともない人体(からだ)」という本がある。
著者の好奇心は人体を素材とした芸術に向けられていて、衣服文化の豊富な資料と洞察を楽しむことが出来る。

序文で紹介されるシンデレラの物語。
グリムのもともとの物語はアメリカ版のシンデレラとはおよそかけはなれた話で、二人の姉妹のうち姉は足の親指を切り靴に足を押し込むけれど、彼女の足からしたたり落ちる血は白い靴下を赤く染めてしまい、王子は嘘に気づく。姉を家に帰すと今度は妹がかかとを切って靴に足を押し込んだ。だが、姉と同じように血が流れ、王子は妹もつき帰す。
そうして最後にシンデレラにめぐりあい、シンデレラは王子が求める靴に合った足であることで勝利を得る。

けっこうブキミな話だ。
アメリカ版ではグロテスクな部分は削除されているものの、靴のサイズに合う女性を妻として迎えるという部分は変わらない。
物語の原点は、王子が靴フェチだったということではなく、小さな足の女性は性器もまた小さいという信念からのものだとある。


なぜ衣服を身に着けるのか、なぜ衣服を脱ぐのか、それはいずれも異性の情熱をかきたてることだけだと著者は言う。
動物はメスの気を引くためにオスが飾り立てる。
人間社会では逆に女性が飾り立て、男性の気を引き、さまざまな色、形によって男性を刺激し続ける。
これが流行というものを形成し、願望の達成とともに退屈し、流行の衰退が起きるのだそうだ。


楽園追放についての考察も興味深い。
また、なぜアダムとイブが身に着けていたのは衣服の材料としてふさわしいものとは思えないイチジクの葉だったのか。。

装飾としてのイレズミや、ホッテントットのような形の欧州のドレス、コルセットをつけるようになった理由と健康上の問題点などなど。

いろいろな話が後から後から繰り出され、とても面白い本だと思う。



写真は本の装丁で、クレージュ作「花嫁衣裳」

世界遺産検定ねぇ。。

2006年04月19日 14時11分11秒 | Weblog
これは先週、毎日新聞で見た広告で、ちょっと怪しい気がして後で調べようと思って撮影しといたもの。

「世界遺産検定」で検索すると、主催は特定非営利活動法人(NPO)の世界遺産アカデミー、共催は毎日新聞社、講談社が特別協力、後援は関係各省庁、筑波大学大学院修士課程芸術研究科 世界遺産専攻が監修、という新しくできた検定とのこと。


主催の世界遺産アカデミーというNPO法人の役員を調べてみると以下のとおり。
会 長:愛知和男 衆議院議員、元環境庁長官
理事長:橋秀夫 クラブツーリズム株式会社代表取締役会長
理 事:遠山敦子 元文部科学大臣、元文化庁長官
理 事:川上隆朗 元国際協力事業団(JICA)総裁
理 事:小林 光 元環境省・自然保護局長
理 事:板谷駿一 元NHKエンタープライズ代表取締役社長
事務局長:平山幸男  

特定非営利活動法人というと聞こえはいいけど、役員を見た限りでは天下り団体。
板谷駿一氏などはNHKのOBなのはもちろん、NHKへの上納金額の多さでも話題になった元NHKエンタープライズ代表取締役社長とあるけど、そこのサイトをみたら更新は4月13日なのに、まだ社長のままだった。
理事長の高橋秀夫氏はクラブツーリズム代表取締役会長で、講座を開く「世界遺産プラザ」はクラブツーリズムのもの。

NPOは特定非営利活動だけではなく、収益事業も認められているし、みなし寄付金制度の導入によりNPO団体に対して収益事業のほうから寄付すると、収益事業自体が税金上の優遇措置を受けられる。また国や自治体からの補助金(助成金、奨励金、給付金、交付金とも)、委託事業費は収入とみなされない。

4月14日に締め切られた世界遺産検定の検定料は3,675円で、締め切り後の段階で受験者は5000名を見込んでいるとあった。
検定料だけでも5000名で計算しても18,375,000円になる。
この検定料は一部を世界遺産アカデミーを通じてユネスコ世界遺産センターに世界遺産の保全活動基金として寄付されるらしい。
いったい検定料の何%を寄付するのか興味あるところだ。

また、その他に試験のための公式テキストブック3冊があり、1が1,890円、2・3が2、310円の計6,510円に加え、5回の講座、講座終了後の実力診断試験もあり、講座受講料は実力診断試験料・検定料も含めて13,100円。
5000名が公式テキストを購入したら32,550,000円、受講したら65,500,000円にものぼる。
うーん、すごい金額。

大阪の世界遺産プラザでの講座なので全員が受けるとは思えないけれど、受けるからには確実に、より高いレベルを取得したいだろうし、土曜日の開催であることを考えれば、かなりの人数が受講すると考えられる。


しっかし世界遺産検定とは良いトコをついているなーと思った。
さもったらしいNPOを作って補助金を受け取り、講座を開いて受講料を徴収、検定料からも収益があがり、検定受験に伴い公式テキストブックも売れる。
私の母は「感心しているだけじゃお金は入ってこない」と良く言っていたが、今の日本人は何にならお金を使うかという元官僚の目の付け所、考えることは儲けになると感心せずにはいられない。

でもこれって社団法人日本ユネスコ協会連盟がやれば済む事なんじゃないだろか。
新しく検定作って、そのためにわざわざNPOを立ち上げるなんざ、プンプンにおうなぁ。



世界遺産には、地球上にある自然や文化を、国や民族で区別することなく地球人として守る、という大義名分があり、お金のいやらしさを隠してしまうんだよねぇ。

私からしたら、検定はお金を儲ける手段でしかないし、受験は単なる自己満足のためとしか思えない。
そりゃあ世界遺産を守るというのも大切だろうけど、世界遺産だけが地球上の自然や文化ではないから。

九州名物 しろくま

2006年04月18日 01時45分35秒 | Weblog
15日の土曜日に、東京日本橋の木屋という刃物屋さんへ爪切りを買いに行ったら、向かいの三越で「何で、鹿児島展」が開催中でした。

行ってみたら、あの九州名物の「しろくま」が食べられるというので、さっそく7階へ。
鹿児島の名産品を扱うお店がたくさん並び、お客さんでごったがえしていました。

お目当ての「天文館 むじゃき」さんの「しろくま」は、本物の「しろくま」です。

他のメーカーでも「しろくま」を出してるんだけど、ちょっと味が違う。
ここのは前会長が考案し改良に改良を重ねて今の味になったとのこと。

鹿児島のお店では直径15cmの容器に17~18cmの高さ、というのがスタンダード。
さすがにこちらではその大きさでは回転率が悪くなるからか、「ベビーしろくま」という直径12cm程度の容器に15cm位の高さのものが出てました。

写真はその「ベビーしろくま」と「ベビーストロベリーしろくま」です。
値段は両方とも¥525。
普通の、といっても大きいのは¥735。
場所代やら交通費やらが上乗せされているようです。


んー、ミルク味の雪のように細かいカキ氷が口の中でふわふわっと溶けちゃう。
ベビーといっても結構な量だから、頭がキーンとしたけど、やっぱ美味しかったなぁ~


今日のおやつ ずんだ餅

2006年04月17日 16時01分53秒 | Weblog
仙台銘菓「萩の月」で有名な菓匠三全の「ずんだ茶寮」のずんだ餅という春らしい若草色の和菓子です。

枝豆で作ったずんだ餡は多少粒が残っているのが特徴。
ビールのおつまみ、というのが定番なので、甘い枝豆というのが、イメージしにくく、ちょっとなじみにくい味かもしれません。

このずんだ餅は東北、特に宮城地方のお菓子で、少し前までは賞味期限が当日のみという短さから、現地に行かなければ食べられないものでした。
が、冷凍技術の向上とともに全国展開となりました。

HPよりネット注文することも出来ますが、首都圏なら東京駅にある大丸東京店の地下“ごちそうパラダイス”で購入できます。

韓国製インスタントラーメンの販売禁止~アイルランド

2006年04月11日 18時26分47秒 | Weblog
アイルランド食品基準庁は、農心(ノンシム)と三養(サムヤン)ラーメンの3つの製品に対し、放射線処理表示を行わなかったとして、販売禁止処分を下した。 (ソース)

三養ラーメンは不明だが、農心は今回が初めてではない。
2003年にはスイスで販売中止、2005年はドイツで回収、英国では輸入禁止、販売中止措置を受けている。

当時の報道を抜粋すると、
『 英国食品基準庁(FSA)が6月15日、辛ラーメン、セウッカン、ジャパゲッティなど農心(ノンシム)のラーメンおよびスナック類20種に対し、大量輸入および販売禁止処分を下したことが明らかになった』

『これに対して農心側は「内需用はもちろん、輸出用製品の原料に放射線処理をせず、スチーム殺菌処理をしている」とし「放射線処理をしないため、これを表記する理由がない」という立場を明らかにしている』 (ソース)

これがきっかけで7月7日の報道ではスイス、ドイツでも回収措置を取られたことが明らかになっている。

これも当時の報道によれば、ドイツの保険当局が3度に渡って回収措置を取ったとき、農心は『「放射線処理された原料は使用していないという証明書を輸入業者に送った。この後から輸出が再開された」と説明した』とある。 (ソース)

前科があるなら、どうして学ばないのか。
何度も回収措置などを受けながら表示をしないのは、放射線処理をしてあることがマイナスだと自覚していたからともいえる。


同報道には、『スイスが農心の製品に販売中断措置を取ったことを「見えない貿易障壁」と受け取り、ドイツに対しては市場規模(年間2億ウォン)が微々たるものであるため販売が中断されても大きな問題はないという判断で消極的に対応したと説明した』とある。 

うぅむ。
「市場規模が微々たるものであるため販売が中断されても大きな問題はない」
である。
自社の信頼よりも市場規模を基準とすることに驚く。

そんな対応で欧州市場全体の規模が縮小することになっても良いのだろうか?
まったく理解に苦しむ。


なにしろ今回明らかになった事実は、アイルランド食品基準庁で検査した結果、『海物湯麺は薬味スープから、チャチャロニと海物パーティーは、乾燥野菜から放射線処理陽性反応が出た』ことだ。

英国への回答では、放射線処理ではなくスチーム殺菌処理をしているとあるが、では何故アイルランドへ輸出したものから放射線処理の陽性反応が出たのだろう。

信頼できるものかどうかは置いておいて、ドイツのときのように「放射線処理された原料は使用していない」という、「証明書」なるものは使えない。

アイルランドに対しての市場規模が微々たるものであれば、英国のときのように『1個の製品が問題になっただけだ』とし、自社で検査して報告という「消極的な対応」となるのかもしれない。


農心と三養ラーメンは、放射線処理をしたのかしてないのか、どうして表示をしなかったのか、誠意ある回答を出すのだろうか。

英国のときは農心が自社で検査し報告すると言っていたが、回答どおり報告がなされているのかどうか、韓国のメディアは確認しておくべきだと思う。





農心と言えば、「辛(シン)ラーメン」も有名だが、「かっぱえびせん」のパクリ「セウカン」があまりにも有名。
パッケージこそ激似モノから多少変更したけれど、やっぱり色使いとかは似たまま。
面白がったり、間違いで購入するであろう日本の「市場規模」は大きいとみているということかぁ?

「武装すり団」じゃなくて「武装強盗団」だろっ!

2006年04月06日 15時41分24秒 | Weblog
JR西日暮里駅2番ホームで催涙スプレーがまかれ、警察官を含む男女22人が被害を受けた。
不審な行動をとっていた4人組を追っていた警察官が同駅で職務質問をしていたところ、もみあいになり、うち一人の男が突然催涙スプレーを発射したという。
この男は刃物を所持していたため、その場で傷害と銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕されたものの、残りの3人は逃走した。この犯人は自称韓国人だそうだ。
(ソース)

はたして「武装すり団」と表現すべきものだろうか。
金品を奪う目的で刃物などの凶器を所持する。立派な強盗じゃんか。
単に武装とつけたところで、「すり」という言葉からは凶悪さを感じない人も多いはず。
何を遠慮しているのか知らないけれど、もっと注意を喚起するような表現にするべきじゃなかろうか。

日韓友好も結構だけど、ビザ免除については再考するべきだと思う。
治安が悪くなって被害を受けるのは、この事件のように日本国国民なのだから。

またまた韓流茶番劇場のはじまりはじまり~♪

2006年04月06日 14時52分09秒 | Weblog
韓国がカンカン

そんなニュースのタイトルに、今度は何だよって見てみたら、日本の外務省が作成した「朝鮮半島をめぐる動き(1月25日付)」という内部報告書を入手した中央日報がこれを暴露したそうな。こちら
で、な、なんと韓国政府はこの分析にご立腹だとのこと。

なんで?

竹島問題で民族感情を煽ってるのも、何かと言えば日本を悪者にして自国を正当化し、それを利用してるのも、ホントのことなのに。
いや、ホントだから脊髄反射起こすのか?

また韓国政府が怒りまくって、日本の反日メディアが「怒ってますよ~」って煽って、善人づらしたいだけの反日キャスターが嬉々として過去がどうの、靖国参拝がどうのって日本を批判しまくるんだろうねぇ。
あ~ぁ、インチキブームに洗脳されたヨン様命のペヲタオババならともかく、何度も同じ茶番なんか見たくないんだけど。


それにしても外務省は困ったもんだ。
その文書は「取扱注意」文書に指定され、しかも前部には、「報告書内容が外部に知られないように格別な注意が必要だ」とあるそうだ。
それがなぜ、「あの」中央日報に渡るのか。よりにもよって「あの」中央日報に。
今回も誰が流したかなんてことは棚上げされて、追及されることなど無いんだろうなぁ。ったくもう。。

オジサンの値段

2006年04月04日 01時55分39秒 | Weblog
オジサンは580円です。

といっても、海水魚の「オジサン」の値段。
通りがかりに入ったアクアショップの海水魚コーナーで発見。
オジサンという名前の魚がいることを知らなかったので超ウケました。
でも、この値段シールのインパクトが強くて、実物を見るのを忘れちゃいました。トホホ。。。

オジサンというのは、もともと小笠原諸島の地方名だそうですが、顎の下にあるヒゲとやや猫背に見える風貌からついた名前と言われているとのこと。ちゃんと登録されているようです。

和名 :オジサン 学名 :Parupeneus multifasciatus  英名:Five-barred goatfish  

で、調べてみたら、こういう魚でした。こちら

2本の長いヒゲで味を感じることができ、このヒゲを使ってエビ・カニなどの小型甲殻類やゴカイなど探して食べているそうです。

ついでに見つけたのがクレイモデル こちら

これは1,600円なんですねー。

熱帯魚初心者がよく買うネオンテトラは小さいものなら1匹30円、輸入グッピーなら150円位からあるので、オジサンは決して安くはないんだけど、クレイより生きてる魚のほうが安いってのは、ちょっぴり悲しい気が…。


このショップでは、体長3cm位のと5cm位の冷凍ネズミなんてエグいものも発見。
アダルトマウスとかヌードマウスとかって書いてあって、きれいに並べられてキロ単位でビニール袋に入ってました。
どんな生き物がこれを食べるのかわからないけど、かなりキモキモでした。

株主優待券でお食事

2006年04月03日 00時13分17秒 | Weblog
お食事優待券はグループ各社で使えるので、ココスというファミレスで使わせてもらいました。

銀行だったらいったい何年貯金してたら同額の利息がもらえるの?と思うと、とても得した気分。

最近、デイトレが流行ってるらしく、書店でもおすすめの本をたくさん見かけますが、カモになりたくないので、私はパス。
これは、と思った会社に長期的に投資するほうが好きです。

グループになった「なか卯」も次回御優待分から利用できるそうで、この先どんなところが増えるのか楽しみです。

もう一つの楽しみは牛肉の輸入再開。
そしたらまたまた株価アップかも??

でも、このあいだの危険部位混入からもわかるけど、アメリカの工場っていいかげんなとこが多いんだよねー。

知人から聞いた話では、その知人が勤めている会社がアメリカから輸入した商品の袋には、たまにとんでもないものが混入してあって、あきらかに嫌がらせだとわかるそうだ。

日本向けなんか適当でもいい、みたいな風潮があるのは間違いない。

そうはいっても日本の牛肉市場もアメリカにとっては馬鹿にならないのだから、ぜひ全頭検査を実施して、安全な牛肉を提供してもらいたいと思う。