GWに横田めぐみさんの拉致事件を題材にした舞台を上演する
劇団「てんびん座」へ、上演をやめるよう脅迫する電話やメールが届いているそうだ。
ソース
劇団のサイト内にある広場(日記)には、脅迫電話の内容や、これまでのように「愛」を題材にしたものを上演するはずが、どうしてこんなことに巻き込まれることになってしまったのかという困惑、森木エリ子代表の上演への決意などが書いてある。
結構多いけど引用します
引用開始 (実際の日記は逆順です)
2006/02/01(Wed)
劇団てんびん座5月公演
寒い冬だ。
少し雨が降った。
雪はもうすっかり消えている。
劇団てんびん座5月公演『めぐみに届け』(仮題)の準備を進めている。
「救う会神奈川」を通して、横田めぐみさんのお母様、横田早紀江さんに、台本をお渡ししておいたが、昨日、上演について承諾をいただいた。めぐみさんの写真使用(肖像権)のOKも受けた。
小さな心配事が、ひとつひとつはがれていく。
台本の後半をどのように立体化していくかを、今考えている。どうしても表現すべきことが多すぎて、あれこれ難問に乗り上げ、立体化させるのには今一歩だ。
舞台構成もざっとまとまりかけている。
今はそれらをつかむためにも、稽古場で、本読みを繰り返している状態だ。
演出は椎貝路生。この演出者の感性が、どういうふうに、この芝居になじんでいくか、わたしの手の届かないところにある。
ひにちは毎日止まらずに進み続けている。
朝目ざめれば、時は一日減っている。
ふくらむのは、「思い」か「不安」か。
*****
2006/03/07(Tue)
めぐみに届け 中間報告
「これを上演しよう」と思い立ってから7ヶ月の時がたち、今、具体的に公演に向かって作動しています。
まずタイトルを「この手に・・・」~横田めぐみを想う~ に決定しました。
「神奈川救う会」の会長の川添氏が、人徳篤き御仁で、何かと肯定的に折衝を受け入れてくださり、感謝しています。
さてこの戯曲ですが、昨年、「このままでは、また1年経ってしまう」「わたしたちにできることはなんだろう」という発想から書き出したのですが、あの時点ではわたしは、この事件に関しては、毎日読んできた新聞記事からの知識だけだったのです。
思い立ってからいくつかの本を読みましたが、結局新聞記事に書かれてあったことの枠内の情報にとどまりました。
わたしは、資料を集めてから、書き出す所作を好みません。思い余って書くのでなければ、それは商売行為になってしまうからです(わたしの場合)。思い余って一気呵成に書き下し、あとで、年月日などの確認のために資料を見る、というやり方が、正当な順路だと思っています。
今。稽古中です。
自然と、あちこちからぼちぼちと情報が集まってきます。どこそこで上演していること、放送劇とか、マンガとか、映画製作の予定があるなど、後から知りました。
内容をいちいちは知りませんが、それは、やはり、多くの層の人々に、この事件を知ってほしいという主旨から表現されたものだと思いますので、わたしの行為も、それと同じです。
今にして思えば、書き始めの時点で、もう少し「おりこうさん」だったなら、こういう感じで書いたかもしれないとか、がらりと違う表現をしてみたかったとか、ちょっと残念なこともあるには、あるのです。
でも、わたしも上記の方々と同じ思いで事を起こしたのだから、これは、まっさらな状態でわたしが表現したものであり、もし、ほぼ同時期に作成される映画とか劇とかに、シチュエーションなりが似通っていたとしたら、それは、事実はひとつで、それをあの手この手で表現しようと切磋琢磨したのでなく、一筋、伝えたいという、まっすぐな想いが一緒なのであろうと思います。
横田ご夫妻が、ご老体に鞭打って、日本各地を回られ、この事件を訴えていらっしゃることに、微力でも協力できればと願うものです。
劇団てんびん座の観客の方々は、様々な層に広がっていて、この方々が、改めて心揺さぶられ、この事件に目を向けてくだされば、それは、ひとつの成果であると思うのです。
現に、劇団てんびん座の若い仲間達、台本を読み、「泣いちゃいました・・・」と、言ってくれた子、「本を読みました。胸が痛くなって、しばらく、自分でないような日を過ごしてしまいました」と話してくれた仲間もいました。
それだけでも、行動を起こした価値ありと思っています。
願わくば、よりたくさんの方々に、このメッセージを飛ばせますように、今からドキドキしています。
夜中、台本を読んでいると、「しとっ・・・」と、背中の向こうから、感じるものがあります。何かに見つめられている気配を感じます。何かの魂に、引っ張られるような気がします。
わたしにはもう、父も母も恩師も、熱く芝居行為を語り合ったまぶだちもいない。(芝居の恩師はいます)(先生、長生きしてよね!!)(まぶだちは他にもまだいっぱいいるけど、ある特殊なまぶだちをなくしちゃったから)(もうわたしも、そういう年齢なんだということだな)(生きている人たちを大事にしよう!・・・か。もっともだ)
自分で自分を支えて生きていく時を迎えている。こういうことをやっていると、ことさら心細いけれど、周りには、たくさんの仲間たち、友達がいるから。
信じて進もう。自分のやっていることを信じて。
*****
2006/04/18(Tue)
5月公演への問い合わせに答えます。
これは答えるべきだと思ったので、ここにお答えさせていただきます。
数件、以下の内容の問い合わせ、または詰問、抗議をを受けました。
「拉致問題を取り上げるということは、劇団てんびん座は戦争支持者達を扇動する集団であると解釈していいですね」
「春菜、多喜二を書き、上演した同じ人が、拉致を書くとは。転向したのか」
などです。
お答えします。
拉致すなわち何々・・・と、頭ごなし部類わけするような考えは狭量だと思います。
それに、日本人は、そんなにたやすく何かに扇動されたりしませんから大丈夫です。
もっとも、あるいは (この公演を、どこかの戦争支持論者?が) 利用しようとしたとしても、内容を観たら、ア、こりゃ手出しできないワイとわかるでしょう。
その前に、わたしたちも何か別のものにたやすく利用されたりしないから大丈夫です。
ォ・・・中断
再度書く。(この間40分ほど)
今電話を受けていました。(本当です)
ある人からでしたが(そりゃ当たり前ですね)(男性)、この公演についてでした。
「どういう考えでこの問題を芝居にしたのですか」ということを聞かれまして。
「相手は何を主張したいのかな。わたしにどういう答を望んでいるのかな」と、わたしは考えてしまいました。
もちろんそれはわからないし、探るような会話の応酬はイヤだから、まっすぐに答えてしまいました。
まあそれはそれでよかったかな。
でもその人は、(このページ読むかな!)「わたしはねぇ、もうイライラしてみているんですよ。いっそ戦争してしまえばいいとね」と言っていました。
ア、やっぱりこういうハッキリしたのがいるのだな!
わたしどもを同意見者として考えたのかな。
でもわたしは、わたしのこういった平明な表現で、心を込めて自分の主旨を話しました。
だから40分かかったのです。
さて。もう時間がない。今日もこれから稽古です。
今日はラストの絶唱を、テーマミュージックに合わせてやってみるという作業がある。
それから、今日は抜き稽古だけど、新聞社の記者さんが取材に来るということで、少し早めに行かねば。
・・・パンフレットの文章も済んだし。
右手が痛い。キーボード打つの今日はこれで終わり。
*****
2006/04/21(Fri)
穏やかなる決意、済んでいます。
「めぐみにとどけ」
「この手に・・・」という作品は、横田めぐみさんという実在の人の話であり、この子がいなくなって、そのわけもわからず、手がかりもないまま、ひたすら生きていかねばならなかった肉親の話であり、手がかりもない以上、娘は生きていると信じるしかなく、その先に何の光明もないまま、あてどもなく「いつか出逢う日」を信じ続けた人の話です。
今だから人々は結果として「拉致されていたのだ」と思うのですが、20年という歳月を、何も知らされずに娘を待ち続けた両親の、苦悩との戦いは、いかほどのものであったか。いかほど深い、娘への愛情に支えられて、20年という歳月を生き続けてこられたことか。
20年と最初から知っていたのではないのです。抜け切れないトンネルを、あてどもなく歩き続けた人の・・・思いは・・・書こうにも・・・表すことができない。ただ、「愛」という言葉を思わずにはいられないのです。
ドラマは、この「愛」を表現しているものであり、今の若者達や、ごく一般の方々が、劇団てんびん座の公演を観て(別にどういう作品だから観ようではなく、ただ例年通り5月の恒例公演を観に来た方々が)、心に残るものがあればいいなと、いつもの公演と同じ思いを以って上演するのです。
「自分の親は、自分が突然いなくなったら、死ぬこともできないほど苦しむんだ」と知ってもらえればと。家族というものが、絆というものが、どんなに大切なものか、観客も、演者も、改めてかみ締め合いたいと。
この作品への問い合わせが多く、わたしはろくろく稽古もできない状態で、本当にキビシイ!!! どうしてこうなちゃったの!!! いつもの公演と同じ、人間の「愛」を謳い上げたというのに、何にわたしは巻き込まれたのか。
けれど。わたしは動じない。わたしは何に対しても、今は何も心揺るがないし、身構えることもないのです。だって自分の本当の気持ちを自分が知っているから。
昨年の秋、このテーマを取り上げようと思った。それはわたしが、この事件をもう傍観していられなくなったからだ。
でも、少し迷いました。だって・・・現在進行形の実話は、今後どう進展していくか知れず、半年後には、事態が大きく変わることの可能性があるからです。
たとえばめぐみさんが帰国できるという可能性も大いにあったわけです。そうしたらこの作品、もう上演できません。急に書き換えて稽古することはできません。劇場もチャータして、チラシもつくって、チケットも売ってしまったら、劇団てんびん座はこのたった1回の大失敗で、つぶれてしまうしかないのでした。
そのときに、ものすごく決意しました。めぐみさんが帰国できて劇団てんびん座がつぶれてもいい。と。望むところだ。と。
そんな危うい橋を渡っても、わたしはこのドラマを表現すべきだと感じたのでした。表現しなければならないと。そしてなんと悲しいことに、あれから半年以上もたってしまったのに、この事件は解決していないのです。だから上演できるのです。なんと悲しいことに、上演できるのです。
劇団てんびん座がつぶれても・・・というものすごい決意をしてしまった後なので、今、何があっても、例えばどなたかがわたしどもに思想的圧力をかけてきたとしても、わたしは別に揺るがないのです、闘争的でもなく、自然体で平気なのです。
ただ。祈ることがあります。劇団てんびん座の命と同じラインで大切な観客の方々に、安心して観劇する自由な催し物となりますように。毎度のように。
観てよかった。と、観客の方々に思っていただいてこそ、わたしたちは生きがいがあるというものです。不要な雑音は「オニハソト」。
生きることへの喜びと活力、絆によって支えられる愛と安らぎを、劇団てんびん座は皆様にお届けする、平坦なメッセンジャーに過ぎません。
劇団てんびん座は何の宗教団体、政治団体にも属していません。
ひとつだけ公言できること、それは「戦争は反対」。
主宰者のわたし「森木エリ子」が好きな作家は
菊池寛
井上靖
高橋和巳
司馬遼太郎
宮尾登美子
丸山健二
(すきって言うからにはこの方々の小説のほとんどを読んでいるってことらよ~)
(宮尾登美子女史の最新作は、まだ。公演が終わってからが楽しみ(^v^)
こんな程度の罪なき一市民です。
ケケッとみのがしてやってくらはい。
引用終了
座席数が386席という横浜の本多劇場での8ステージ。
毎回満席だとしても3088人。
この規模の上演にまで脅迫をするということに驚いたけど、公演は予定通り行われるそうだ。
でも…せっかくの公演なのに予定が入っていて見にいけないのが残念。
他の日、または他の劇場でもやってくれないかな。。
もしくは全国の救う会で「てんびん座」の公演か、その台本を使って上演してくれる劇団を後押ししてくれればいいのに。。