こおろ、こおろ

まぜまぜしましょ

大江健三郎氏の「死者の奢り・飼育」を読んでみる

2006年06月14日 18時03分19秒 | Weblog
「飼育」という作品で芥川賞を受賞、賞賛を欲しいままにした大江氏ですが、『「集団自決」の真実』の著者、曽野綾子さんの本の帯に『大江健三郎氏の「沖縄ノート」のウソ!』とあったこともあって、大江デビューしてみました。


この本に収められているのは、
「死者の奢り」、「他人の足」、「飼育」、「人間の羊」、「不意の啞」、「戦いの今日」
という6編。

読んでみて。。。
文学作品としては素晴らしいのだろうけれど、重い、とにかく粘りつくように重い話ばかり。
これは私が簡潔な文章を好むせいばかりではないと思う。

・死体処理室の水槽に入れられた死体を移動させるアルバイトをすることになった主人公の抒情。
・療養所の中という閉鎖社会に生きる脊椎カリエスを患う少年たちの抒情。
・「飼育」されている黒人兵と村の子供たちのふれあいと惨劇。
・バスの中で起きた屈辱的な出来事の傍観者への嫌悪と侮蔑。
・静かな村で起きた侵入者への「けじめ」。
・朝鮮戦争に出征する兵士に反戦パンフを渡す“かれ”と“弟”の、傍観者であることへの嫌悪。

どれもたしかにインパクトのある作品だけど、これ以上、大江氏の作品を読もうとは思えなかった。
叙情的ではあるのだけれど、修飾語が極めて多く、自分はこう感じている、ということを、これでもか、これでもか、と読み手に強く押し付ける文体と、コンプレックスがあるのかと思うほど、どの話にも不必要に出てくる性器の表現には嫌悪感すら覚えた。

そして初期作品でありながら、あらゆる差別感情を大いに発揮している作家が芥川賞を受賞し、多くの賞賛を浴びたとは実に驚かされた。

また、登場人物の発言に現れる高みからの物言いは、当時の日本社会への反発というか、嫌悪感がとてもあらわれていて、この人は日本と日本人が心の底から嫌いなのだなと感じられたからかもしれない。