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街道をこぐ③ ~東海道(宮~二川)~

2012-05-06 21:25:46 | 旅行記
去年のゴールデンウィークに名古屋から京都まで
旧東海道を自転車で行ったシリーズの続きを1年たってやります。
今回はママチャリではなく、クロスバイクです。


2012年5月5日 晴れ

<宮>


9:00

前回はここから桑名へ向かいましたが、今回は江戸です。
宮の渡しは、桑名への船着き場であるとともに、熱田神宮の門前町でもあった。
当時は東海道でも有数の宿場であったらしいけれども、
運河の合流点にひっそりと宮の常夜灯が再建されているのみ。



宮の渡し公園。このモニュメントがあるぐらいで哀愁が漂います。



以前も書きましたが、ここ宮付近は熱田神宮もあったりするのに
この寂れっぷりはなんなのでしょうか。
ねぇ名古屋市さん!

宮からは伝馬町、笠寺を抜けて向かう。
ところで伝馬町という名前は結構あちこちにあった。
調べると宿場の重要施設である伝馬所(問屋場)があった地区だそう。
勉強になります。


<鳴海>

10:00 

天白川を越えたところで道を間違えて少しロス。
鳴海宿到着。
鳴海宿はいかにもな寂れた商店街になっていました。



鳴海宿の本陣はゴミ捨て場に…



鳴海宿は残念な光景になっていましたが、隣の宿場である知立との間にある
有松宿はまだ景観的に立派に整備されています。





有松宿の入口にあった一里塚の復元。上には名二環が通り立派に復元されすぎです。



尾張藩の庇護の下、有松絞りで有名になったこの地。
整備は立派にされていましたが、人通りはさっぱり。
GWでこれでは思いやられます。


知立に向かう途中のもうひとつ名所が桶狭間古戦場。
中京競馬場駅のそばにあります。




史跡公園になっている桶狭間古戦場。ちっちゃい公園でした。




<知立>

11:00

知立宿着。
昔は、池鯉鮒と書いたということです。



本陣は、本町の街道から一本ずれた通りにありました。
こちらは駐車場になっていました。



問屋場はマンションの駐車場になっているなど、すっかり名古屋のベットタウン化しています。
宿場としてはすっかり面影がありませんが、
知立宿のはずれにある知立の松並木は立派なものでした。



知立の松並木。松並木としては御油よりも立派な気がします。



このあと安城市を抜けて岡崎に向かうのだけれども、
安城にも松並木がちらほらの残っており走っていて気持ちのいいものでした。



<岡崎>

12:00

矢作川を渡って岡崎宿到着。
岡崎宿は「二十七曲がり」と言われる曲がりくねった宿場町でした。
知立側から行くとまずは八丁味噌の味噌蔵が並んでいます。



このあたりは岡崎城から八丁離れていたことから八丁味噌という名前がついたということです。




「二十七曲がり」の曲がる個所には写真のような案内があります



この岡崎ですが、この二十七曲がりに沿ってウネウネと道を探しながらだったのと
本陣の場所が見つけられず、結局1時間近く滞在しました。



見つけられなかった本陣跡はミニストップに。以前は映画館があったそうです。



岡崎インター付近で昼食を済ませて、次の藤川宿に向かいます。



<藤川>

14:00

国道1号から分かれて、藤川宿に入る手前も立派な松並木が続く。
松並木を抜けたところに追分がある。



右側が旧東海道で左側が吉良街道



松並木もだけれどもこの追分といい、藤川宿は結構しっかり整備されています。



本陣付近はこんな様子



残念ながら本陣はすっかり後影がありません。
脇本陣が資料館になっているのと、
脇本陣の横の路地から本陣跡の家の裏側にまわることができます。
当時の石垣が残っているのを見ることができます。



<赤坂>

藤川宿から赤坂宿は主に国道1号を走る。
途中長い下り坂をぶっ飛ばします。


14:40

赤坂宿到着。
本陣は駐車場になっていました。


本陣付近は休憩所の整備がされています



本陣は残っていませんでしたが、
赤坂宿には、「大橋屋」という昔ながらの旅籠が残っています。



昔ながらの旅籠の「大橋屋」。一泊1万円するらしい。




<御油>


赤坂宿から御油宿は1.7キロしかない。
赤坂宿のはずれからは、有名な「御油の松並木」が続きます。



有名な御油の松並木


風情がありますが、規模としては知立の方が大きい気がします。
御油宿はこの松並木を抜けてすぐにあります。


15:00

御油宿に到着。
本陣の位置がわからず行ったり来たり。
結果、本陣跡は「イチビキ」の工場になっていました。




御油宿の本陣跡に建つイチビキの工場。旧東海道をパイプラインがまたいでいます。



御油が醤油になりました。


御油宿の後は、吉田宿になります。
吉田宿とは、豊橋のこと。
この御油から豊橋の間が非常に単調で10キロほどあります。



<吉田>

16:00

今の豊橋の由来にもなった豊川にかかる豊橋を通過。



豊川にかかる豊橋。豊川は幅広い立派な川でした。



吉田宿の本陣は、豊橋駅と吉田城の間あたりにあります。



吉田宿本陣跡。今は鰻屋になっています。



本陣跡は、「丸よ」という鰻屋になっています。
実は以前この「丸よ」に仕事の宴会で来たのを思い出します。
その頃は、全く東海道なんてものに興味もなかったのですが…。
あと「べっぴん」という言葉の発祥地でもある旨も書かれた看板が掲示されています。

本日はここまでと思っていたので、豊橋市内を散策。




豊橋市内には市電が走ります。なかなか良い光景です。




16:30

まだ日が高いので、吉田城跡へ。


天守閣跡は芝生広場に。コスプレ撮影会があったようです。



一旦、豊橋駅へ。
近くの金券ショップで名古屋までのチケットを購入。
するとチケットは豊橋の隣の二川からも使える切符でした。

ということでせっかくなので、二川まで急遽向かいます。


<二川>


17:00

二川宿着。
ここ二川宿は愛知県のはずれ(三河の端っこ)の宿でもある。
そのせいか非常に寂れた良い雰囲気の宿でした。


夕暮れの二川宿




二川宿の街道沿いの家には写真のような暖簾が掲げられていました




本陣跡は資料館になっています



残念ながら本陣跡の資料館はすでに閉館していたので、外から写真を撮って終了。
二川宿の高札場跡に建つ「中原屋」という和菓子屋でお土産のわらび餅を購入し、
二川駅へもどります。



17:30

二川駅で、初めての輪行に挑戦です。
京都行きの時は、ママチャリに毛が生えた程度の自転車だったので、
一気に京都まで行き、車でピックアップでした。
今回は、自転車を持って帰らないといけません。
一応、輪行の仕方は事前に演習&勉強していました。
やはり20分ほどかかりましたが、無事、輪行バッグに詰めることができました。

様子はこんなカンジ。







はじめてなので記念写真におさめてみました



18:00

二川駅から名古屋へ電車移動。
今回はここまで。走行距離は65キロほどでした。


次回は、ついに静岡県へ。
今回と同じく70キロ程度と考えると、
浜松で昼飯を食べて金谷ぐらいまでかなぁと想像しています。
夏に入るまでに三島ぐらいまで行き、
秋になったら箱根越えで江戸に行きたいなんて考えています。



■街道をこぐ ~東海道 まえがき~
http://blog.goo.ne.jp/mailto1979/e/2073abf0e0abcce6fc783a2f72be8c0e

■街道をこぐ① ~東海道(宮~水口)~
http://blog.goo.ne.jp/mailto1979/e/53ce6db09bb2e867f87d12bffa047371

■街道をこぐ② ~東海道(水口~三条大橋)~
http://blog.goo.ne.jp/mailto1979/e/f02059e13a2edc5e37ac7abd31635375

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