*1989年6月4日の六四天安門事件から31年、香港で毎年開かれていた六四に絡む集会は全て禁止されました。
ビクトリアパークでの六四燭光晩會、深水ポ(土へん+歩)區楓樹街遊樂場舉辨六四晩會等の申請も不許可。
その理由として新型コロナウィルス感染防止を上げてるようですが、そんな事誰が真に受けると思てるんでしょうなぁ。
2019年6月4日の"Today's maido"に、このブログ内の六四天安門事件に触れている記事へのリンクを貼ってあります。
目を覚ましたら3時40分、昨宵は8時過ぎには眠り込んでた筈やよって、睡眠の質は兎も角、時間的には充分やろね。
朝の重要作業は並の出来、先ずは気象情報のチェックをしたら雨の心配は無さそう、それでも雨具は持って行くけどね。
身支度を整えゆっくり新聞に目を通し自宅を出発したのが5時30分、十三の淀川区民センター前で6時30分。
中津濱、淀川左岸線、毛馬橋、桜ノ宮公園に入り都島橋東詰を潜ったのが6時30分、片町、大阪城を過ぎ上本町1(長堀通)7時。
熊野街道、生玉南から阿倍野橋までは谷町筋、南霞町、大国、塩草を経て立葉で7時30分、会社着7時35分、エエ感じのペースですわ。
書類チェックは簡単に済み、ニュースを眺めると、英国が対香港住民に滞在許可の優遇、何れは市民権も与える構え。
中共に返還時の約束を守るように申し入れたそうやけど、手遅れもエエとこで、全人代で公にした国家安全法を引っ込める筈が無いやんか。
元々面子が潰れるのを極端に嫌うお国柄、まして新コロで国外から責められ、国内にも不満是有、新疆省での懸案、等々。
内憂外患が満載の時には、力で押さえる傾向が顕著に出て、ともするとやり過ぎに走る、そんな例は過去に何度も有る。
国外から幾ら非難を受けても、一層頑なになりこそすれ、耳を傾けるようとはせん、そんな事したら後ろから弾が飛んでくるからね。
しかしながら、約束を守らず、一国二制度の概念を力任せにひょこ曲げ、「政権は銃口から生まれる」では嫌われるばっかり。
「世界の好きな国ランク」で何故我が国は上位にならないのか?という記事を見付けたので読むと反省の色皆無。
自画自賛を並べ、金を出し、種々援助もしてるのに、好意を持たんとは怪しからん、唯我独尊力の論理、まさにそれが原因やがな。
午後になったので出発前に気温をチェックしたら、30℃越えの真夏日、水分補給をしながら、頑張り過ぎんように気を付けて走りましてね。
曽根の坂は安全を取って自転車から下りて押して上がり、それでも見事に茹で上がって帰宅、シャワーで徐冷しアイスカフェオレで復活。
右手首の手袋と袖口の間が幅3cm程日やけして真っ赤、それほど日差しが強かったように思わんかったがなぁ?
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