Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20200229 ルカ13:22~30「狭い戸口」

2020-02-29 | Weblog
2月29日(土)
現在のテーマ「エルサレムへの道」
今日のテーマ「狭い戸口」
■聖書 ルカ13:22~30 (24)
■聖句 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」。(24)
■解説
「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」(23)という問いに対する答えが今日の聖句です。「狭い戸口」は神の国の入り口です。キリスト教の救いは十字架(贖い)が前提となっています。この恵みに与るのに必要なものは信仰のみです。神の用意された戸口は広いのです。しかし、贖いに寄りすがらなければならない自分を見出す人は少なく、恵みに頼らなければならない自分を認める人も少ないのです。その意味で戸口は狭いのです。その後、イエスは戸が閉められる時が来ること、救いの家に入れると思っていたのに入れない人があること、神の国の宴席では後から来た人が先に(上座に)着く場合があることなどを語っておられます(25-30)。これは私たちへの教訓です。信仰によって救われた私たちが実際に救いの実を受けるのは、神の国にゴールインしたときです。それまでの間、私たちは罪と死が支配するこの世にあって、神の子にふさわしい歩みを日々積み重ねる必要があるのです。ペトロは「召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい」と教え(2ペトロ1:10)、パウロは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み」なさいと勧めています(エフェ1:4)。狭い戸口、神の国の入り口に至るまで従いきることが求められています。
■祈り
信仰によってスタートしました。神の国の入り口まで力強く歩む者でありますように!

今日の御言葉 20200228 ルカ13:18~21「からし種とパン種のたとえ」

2020-02-28 | Weblog
2月28日(金)
現在のテーマ「エルサレムへの道」
今日のテーマ「からし種とパン種のたとえ」
■聖書 ルカ13:18~21 (18,19)
■聖句 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」。(18,19)
■解説
「からし種」は百粒で1gと言われるほど小さなものです。しかし、それが蒔かれると驚くほど成長し3メートルを越えるものも出てきます。「パン種」もわずかな量で「3サトン(約40㍑)」のパン粉を膨らませ、約100人分のパンを焼くことができます。2つの種の共通点は、人の目にもとまらないほど小さなものですが、驚くべき生命力を持っている点です。「からし種」は外的な成長・拡大を、「パン種」は内的な変革力を表現しており、教会の成長発展を示しています。私たちの小さな働きは目立たないものですが、確実に「神の国」の完成に向って前進しているのです。
■祈り
主よ、今日も私たちの小さな祈り、働きを祝福してください。

今日の御言葉 20200227 ルカ13:10~17「安息日に」

2020-02-27 | Weblog
2月27日(木)
現在のテーマ「エルサレムへの道」
今日のテーマ「安息日に」
■聖書 ルカ13:10~17 (16) 
■聖句 「この女はアブラハムの娘なのに、18年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」。(16)
■解説
18年間も腰が曲がったままの婦人をイエスは癒されます。それが安息日に行われたことが問題となります。会堂長は「働くべき日は6日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない」(14)と言って、安息日の戒律に違反していると訴えます。十戒には確かに「いかなる仕事もしてはならない」(出エ20:10)とあります。では安息日とは仕事をしない日なのでしょうか。そうではなく、創り主である神を思い起こし、神と交わり、あるいは悔い改める日です。そしてイエスはもう一つの意味を明らかにされます。「安息日は主があらゆる束縛から解き放ってくださる日だ」と。束縛する律法主義と、解放するイエスの福音とが鮮やかなコントラストを描いています。
■祈り
安息日を聖別することができますように。その日、一週間の重荷から、わたしを解き放ってくださいますように。

今日の御言葉 20200226 ルカ13:6~9「実らないいちじくの木」

2020-02-26 | Weblog
2月26日(水)
現在のテーマ「エルサレムへの道」
今日のテーマ「実のならないいちじくの木」
■聖書 ルカ13:6~9 (8,9)
■聖句 「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」。(8,9)
■解説
3年間、実のならないいちじくの木を見て主人は切り倒すように命じます。それに対する園丁(番人)の言葉が今日の聖句です。「実」は悔い改め、「主人」は神、「園丁」はキリストをあらわしています。この例えから神の忍耐の期間と厳格な裁きの時、キリストのとりなしの姿が浮き彫りとなります。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(2ペトロ3:9)とペトロは言いました。悔い改めという実が結ばれることを神は待っておられるのです。そのために今もキリストはとりなしの業をなしておられるのです。この恵みの期間はいつまでも続くのではありません。だからこそ、一人でも多くの人が自己の真相に気がつき、悔い改めに至るようにと私たちも祈り、働く者でありたいのです。
■祈り
神の憐れみと忍耐の期間が続いています。今という恵みの時、救いの日に、家族が友が悔い改めに至るようにと祈ります。

今日の御言葉 20200225 ルカ13:1~5「悔い改めなければ」

2020-02-25 | Weblog
2月25日(火)
現在のテーマ「エルサレムへの道」
今日のテーマ「悔い改めなければ」
■聖書 ルカ13:1~5 (5)
■聖句 「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」。(5)
■解説
今日の拝読箇所には、当時起こった2つの事件が記されています。その2つとも因果応報的思想があります。因果応報とは「よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある」という考え方なのですが、そこから、「悪いことが起こったら、そのようなことが起こる原因(悪)がその人にはあるはずだ」と原因探しをして安心しようとする人間の悪癖をあらわす言葉でもあります(安心するために高い壷を買う人もあります)。ユダヤ教は律法を守る人には良いこと(救い)が、守っていない人には罪の報いがあると信じます。ですから悪いことが起こったのはその人に罪があったからだと断じてしまう傾向があったのでしょう。それに対してイエスは、事件や事故に巻き込まれることは不幸なことであるかもしれないが、それらの人が他の人より罪深かったからではないとの考えを述べ、今日の聖句となります。不幸の原因を「罪」の量とはしておられないのです。「量」ではなく、「ある」か「ない」か、さらに言えば罪の自覚があるかないかが問われています。ごまかすことなく自己吟味をすれば、悔い改めるほかない自分を見出します。罪と向き合うことなく適当に済ませる人には当然の結果がまっているのです。
■祈り
過ちや失敗の多い者です。主よ、今日一日も御手の中に守りお導きください。もし過ちを犯すようなことがあれば、悔い改めますから赦してください。