Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20071231

2007-12-31 | Weblog
この一年、「今日の御言葉」を読んでくださりありがとうございました。来る年もどうぞよろしくお願いいたします。今日一日も主の豊かな祝福が皆様の上にありますように。そして、希望に輝く新年をお迎え下さい。

12月31日(月)
今週のテーマ「感謝」
今日のテーマ「尽きぬ感謝を」
■聖書 詩篇109:30~31(30)
■聖句 「わたしはこの口をもって/主に尽きぬ感謝をささげ/多くの人の中で主を賛美します」。(30)
■解説
109編の前半では、敵意、悪意などに囲まれている詩人は相手への裁きを主に祈っています。ところが21節からは相手のことよりも自分の状態を素直に認めながら主に憐れみを求めています。28節からは「彼らは呪いますが、あなたは祝福してくださいます」と主を褒め讃えています。そして、今日の聖句では、主に感謝をささげています。詩人の状況には大きな変化はなかったのではないかと思います。ここでの感謝は信仰によるものです。一年の終わりに、私たちはどのような祈りを主にささげるのがふさわしいのでしょうか。尽きぬ感謝です。
もし今、事態が好転していなくても詩篇の作者のように信仰によって感謝をささげましょう。新しい年、主は豊かな祝福を備えておられるからです。

今日の御言葉 20071230

2007-12-30 | Weblog
今週のテーマは「感謝」です。

12月30日(日)
今週のテーマ「感謝」
今日のテーマ「あなたに感謝を」
■聖書 詩篇75:2
■聖句 「あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし/人々は驚くべき御業を物語ります」。
■解説
75編の主題は「公正なさばき主である神への感謝」です。今日の聖句はその冒頭にあたる部分で、最近なされた神の救いのわざへの感謝を高らかに賛美しています。「御名は近くにいまし」とは、具体的に現された神の力、特に救いのわざによって示された神のご臨在の表現(イザ30:27以下)です。さて、一年が終わろうとしています。この一年間を振り返り、主があなたになされた御業を数え上げ、感謝を捧げましょう。 ★ 主よあなたに感謝を捧げます。わたしが御名を呼ぶとき、あなたはいつもわたしの近くにいて、わたしを支え導いて下さいました。

今日の御言葉 20071229

2007-12-29 | Weblog
12月29日(土)
今週のテーマ「クリスマス」
今日のテーマ「アンナの賛美」
■聖書 ルカ2:36~38
■聖句 「そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
■解説
昨日のシメオンに続いて敬虔な信仰の人アンナが、生まれたばかりのイエスについて神を賛美しながら証言します。それはシメオンと同じようにこの幼子が預言されたメシア(救い主)であるという証言です。イエスの誕生に関してザカリヤ夫妻(1:18)、シメオン(2:25)、そしてアンナと年老いた人々が降誕物語を彩るのは、長かった旧約時代の終幕と新しい時代の幕開けを告げるのにふさわしかったと言えます。長い敬虔な信仰生活を積み重ねた人々の証言が道しるべとなり、次の世代を育てるのです。

今日の御言葉 20071228

2007-12-28 | Weblog
12月28日(金)
今週のテーマ「クリスマス」
今日のテーマ「シメオンの賛歌」
■聖書 ルカ2:28~32 (30)
■聖句 「わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。(30)
■解説
「シメオンの賛歌」はラテン語より「ヌンク・ディミッティス」と呼ばれています。彼は正しい信仰のあつい人(25)で、「メシアに会うまでは決して死なない」(26)と言われていました。シメオンが聖霊に導かれて神殿に入っていくと、旧約の規定に従い幼子のために献げものをしようとしていたヨセフ、マリアと出会い、イエスを抱きます。シメオンという名は「主は聞かれた」という意味ですが、このとき彼は「お言葉通り、この目であなたの救いを見ました」と言い、自分に対する主の御言葉の実現を高らかに讃えています。そして、彼は言います。「これは万民のために整えてくださった救い」(31)と。彼は人類を代表して救いのしるしとなったのです。それはメシアを見ること、メシアと出会うこと、メシアを抱くことです。

今日の御言葉 20071227

2007-12-27 | Weblog
12月27日(木)
今週のテーマ「クリスマス」
今日のテーマ「喜びにあふれた」
■聖書 マタイ2:9~11
■聖句 「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」。(10)
■解説
新共同訳になってから「学者たち」と訳されていますが、「博士たち」と言った方がまだ馴染み深いかもしれません。いずれにしろ真理の探求者であった彼らは不思議な星を見つけます。その星に導かれて旅に出ます。目的は預言されているメシアとの出会いです。しかし、旅路の途中で星を見失います。闇に輝く星は小さくても彼らの行く手を照らすものでした。その星が突然消えてしまったのです。私たちの人生においても同じようなことがあります。神の国を目指す旅の途中で、主の導きを感じられなくなるときです。そんな時、学者たちに再び星が輝いたことを思い出してください。主は必ず私たちの足元を照らす星を用意してくださるのです。彼らは星を見て喜びました。しかし、ベツレヘムではもっと大きな喜びを経験したのです。