Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20130228 2テサロニケ2:16~17 「パウロの祈り②」

2013-02-28 | Weblog
2月28日(木)
現在のテーマ「キリスト者の姿勢」
今日のテーマ「パウロの祈り②」
■聖書 2テサロニケ2:16~17 (17)
■聖句 「どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」。(17)
■解説
神の恵みの事実による立場をはっきりと自覚させ、その立場にふさわしい責任、使命に立つようにと励ましを与えたパウロは、自然に祈りへと導かれています。今日の2節はこの書簡における4つのパウロの祈りの第二のものです。祈り出しは「わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、‥‥父である神が」(16)という信仰の告白で始まり、今日の聖句となります。「心(カルディア)」は、知、情、意のすべてを含む全人格的なもので、神によって知られ(使徒1:24,ロマ8:27,黙2:23)、神ご自身が働きかけてくださる人間存在の根源的な場のことです。パウロは、神ご自身がテサロニケ教会の人々の全人格に働きかけ、その最も深い根源を「励まし、また強め」てくださるのでなければ、終末についての教えを受けても、神の恵みの事実に基づく立場について教えられても十分ではないと知っているのです。この神の働きかけ、聖霊の働きかけなしには、善い働きも、善い言葉も、私たち自身から生まれてくることはないと知っているのです。イエスが弟子たちに「地の塩、世の光」(マタイ5:13,14)であるようにと願われたように、パウロもテサロニケ教会の人々が良い実を結ぶキリストの枝であることを願い、祈っているのです。
■祈り
パウロの祈りは今も、全世界のキリスト者に向けられています。わたしの心を主ご自身が励まし、強めてくださいますように。そして、わたしという小さな存在からも、神の求められる善い働きが生まれ、人を生かす善い言葉が生まれますように。

今日の御言葉 20130227 2テサロニケ2:15 「教えを守り続けなさい」

2013-02-27 | Weblog
2月27日(水)
現在のテーマ「キリスト者の姿勢」
今日のテーマ「教えを守り続けなさい」
■聖書 2テサロニケ2:15 (15)
■聖句 「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」。(15)
■解説
誤った終末の教えの中で動揺するテサロニケ教会に対して、さらには「主イエス・キリストの栄光にあずかる」(14)という恵みの事実に立っているテサロニケ教会に対して、パウロは拠って立つべきものが何であるかを告げます。それは「説教や手紙」、すなわちパウロや使徒たちが語った言葉や書き連ねた手紙、延いては福音書、新約聖書、さらには聖書全体と理解しても良いと思います。神の言葉である聖書にしっかり立ち、その教えを固く守り続けるようにとパウロは勧告しているのです。別の表現としては「キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守りなさい」(コロ2:7)ということです。私たちの生涯は浮草や根無し草のようなものではありません。キリストに根差し、聖書という土台にしっかりと立って、風雪の中でも動揺することなく、キリストの身の丈にまで成長して、その栄光にあずかるという人生です。「信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい」(1コリ16:13)。パウロの励ましは続きます。
■祈り
パウロの励ましに支えられ、私たちも主の教えにしっかりと立って生きることができますように。

今日の御言葉 20130225 2テサロニケ2:13~14 「恵みの事実」

2013-02-25 | Weblog
2月25日(月)
現在のテーマ「キリスト者の姿勢」
今日のテーマ「恵みの事実」
■聖書 2テサロニケ2:13~14 (13)
■聖句 「しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです」。(13)
■解説
ここまで「終末」についての誤った理解、そこから来る不安や動揺を取り除きながら、やがて来る「不法の者」について述べてきたパウロは、ここで語調を変えて「主に愛されている兄弟たち」と、キリスト者の恵みの事実について語り始めます。聖句として選んだ13節は、私たちの救いの根本原理が記されています。私たちが罪の縄目から解放され、死の影から救い出されたのは、聖霊の働きと、信仰によるということです。パウロは別の手紙に「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(1コリ12:3)と言っています。この霊と信仰の働きによる救いは、神の側から見れば「選び」であるとパウロは言うのです。14節では「招き」と言っています。神の招き(聖霊の働き)に応え、私たちはイエスを主と告白して、救いに入れられたのです。それは永遠の初めからの神の選びによるものでもあるのです。「初穂」(13)として選ばれ、福音を通して救われた人々が、「主イエス・キリストの栄光にあずかる」(14)というゴールまで、信仰の歩みを続けて欲しいとパウロは切に願っているのです。
■祈り
聖霊の働き、信仰による応答、神の選びの中で、私たちは新しい人に生まれ変わりました。赤ちゃんのような私たちの信仰の歩みを、今日も主が支え導いて下さいますように。そして、愛する兄弟姉妹たちと共に信仰のゴールを目指すことができますように。

今日の御言葉 20130223 2テサロニケ2:3~12 「不法の者」

2013-02-23 | Weblog
2月23日(土)
現在のテーマ「終末についての教え」
今日のテーマ「不法の者」
■聖書 2テサロニケ2:3~12 (10)
■聖句 「そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです」。(10)
■解説
主の日に信じる者が「集められること」(1)、だから「動揺しないように」(2)と語ったパウロは、いよいよ終末についての教え、その内容を語り始めます。まず「神に対する反逆が起こり、不法の者が出現」します(3)。この者は、すべて神と呼ばれているもの(ほかの宗教)に対しても反抗し、ついには「自分こそ神である」と宣言します(4)。今は「彼を抑えているものがある」(6)が、既に不法の秘密の力は働いると注意を促しています(7)。そして「時が来ると、不法の者は現れ」、最終的には主イエスによって滅ぼされます(8)。「不法の者」はサタンではなく、サタンの働きによって現れます(9)。「不法の者」は偽りの奇跡とあらゆる不義を用いて「滅びて行く人々を欺くのです」(10)。今日の聖句後半は、「不法の者」に惑わされ、滅びに至る人々の原因について記しています。すなわち、「救いとなる真理を愛そうとしなかったから」だと。「真理」とは「神の真理」(ロマ1:25)、「福音の真理」(ガラ2:5,14,コロ1:5)のことです。口語訳でも、新改訳でも、今日の聖句の最後は「愛を受けいれなかった」と強い語調になっており、それは「歓迎しなかった」という意味で、福音に対する意識的な拒否の態度を現しています。これほどまでの人々の不信仰に対して、パウロは「神が惑わす力を送られた」のだと断じています(11)。そして12節において「真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです」と結論を述べています。私たちに求められているのは終末に対しておびえることでも、動揺することでもなく、真理を愛すること、神の現された愛を信じ、受け入れるようにと人々に語り伝えることです。
■祈り
やがて不法の者が現れます。しかし、私たちは恐れません。真理を愛し、神の現された愛を受け入れるようにと宣べ伝えます。

今日の御言葉 20130222 2テサロニケ2:2 「動揺しないでほしい」

2013-02-22 | Weblog
2月22日(金)
現在のテーマ「終末についての教え」
今日のテーマ「動揺しないでほしい」
■聖書 2テサロニケ2:2 (2)
■聖句 「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい」。(2)
■解説
「主の日」とは、キリストが再臨される時のこと、正しいことを行われる神の裁きと報いがある日のことです。「霊によって」とは、主の日が既に来たという啓示が与えられたという主張、「言葉によって」とは宣教のこと、「手紙によって」とはパウロが書いた手紙などのことです。おそらく、偽りの教師がテサロニケ教会に入り込み人々を惑わしているとの報告をパウロは受けたのでしょう。もちろんパウロは「主の日は近い」ことを主張しています(ロマ13:11以下他)。しかし、それはカレンダーの上での日時について言っているのではなく、キリスト者としてのパウロの信仰と希望の表明です。それを誤ってとらえた偽教師たちはテサロニケ教会を扇動し、混乱が起こっていたのです。パウロは「動揺しないように、分別を無くさないように、慌てふためかないように」と諭すように筆を進めています。錨から切り離されて大波にさらわれている船を落ち着かせようとする船長のようです。十字架刑を目前に、イエス・キリストが弟子たちに言われた言葉を思い起こします。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)と。詩編62:3には「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない」とあります。
■祈り
どんなときにも慌てることがないように、私たちの信仰の錨を主という岩にしっかりと下ろしていることができますように。