Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20151130 使徒15:12~21 「エルサレム会議③ヤコブによる総括」

2015-11-30 | Weblog
11月30日(月)
現在のテーマ「小アジア宣教とその余波」
今日のテーマ「エルサレム会議③ヤコブによる総括」
■聖書 使徒言行録15:12~21 (19,20)
■聖句 「それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」(19,20)。
■解説
エルサレム会議の最後にヤコブが立ちます。主の兄弟と呼ばれるヤコブは(マタイ13:55,ガラ1:19)、キリストの復活後に主の顕現に接し(1コリ15:7)、主を信じて仲間に加わった人です。「ヤコブの手紙」の著者であり、エルサレム教会(ユダヤ人教会)の中心的役割を担っていました。ペトロの見解、パウロとバルナバの証言の後、ヤコブは異邦人による神の恵みという事実を預言書の御言葉を引用して論証しています。日々の生活の中で与えられる証や出来事を御言葉をもって論証し、正しく導くことの大切さを教えられます。そして今日の聖句となります。ヤコブは御言葉による立証後、「(信仰によって)神に立ち返る異邦人を悩ませてはなりません」と福音の真理を確認しています。一方で、ヤコブはユダヤ人キリスト者に対する配慮を異邦人教会に求めています。信仰によって救われるという大原則はユダヤ人と異邦人の区別なく平等に与えられたものです。その結果、両者とも福音による自由が与えられたのですが、ユダヤ人キリスト者には古い掟の影響がまだ残っていました。そこでヤコブはユダヤ教における最低限の教え(生活原理)を提示して、異邦人教会に愛の配慮を呼びかけたのです。性質の異なる2つの教会が、福音の原則を確認し、違いを乗り越え、愛によって一つになるための第一歩を教会は踏みしめたのでした。
■祈り
初代教会がユダヤ人と異邦人という大きな違いを乗り越え、福音の名のもとに一つとなったように、私たちも互いの違いを乗り越え、信仰を守り、キリストの一つの体として成長して行くことができますように。

今日の御言葉(日曜版) 20151129 詩編110:1~7 「メシア詩編」

2015-11-29 | Weblog

11月29日(日)
現在のテーマ「詩編第五巻」
今日のテーマ「メシア詩編」
■聖書 詩編110:1~7 (1)
■聖句 「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう』」。(1)
■解説
今日の詩編は、イエス・キリストの十字架・復活・支配との関連が強くみられる代表的なメシア詩編で、キリストの支配の永遠性(王職)と祭司職が予示されている預言的詩編です。聖句として選んだ1節はイエスによって引用されています(マタ22:44,マル12:36,ルカ20:42,43)。来たるべきメシアがダビデの家系から出ることは、旧約聖書から明白です(イザヤ9:6-7,11:1,10,エレ23:5,6,33:14-18,エゼ34:23,24など)。そのため「ダビデの子」とはメシアのことを指す言葉であり、イエス時代のイスラエルでもそれは認められていました。イエスはそのことを十分ご承知の上で、「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」(41)と問われます。そう問いかけることで、メシアが「ダビデの子」以上の存在であることに気が付かせようと、詩篇110:1を引用されたのです。イエスはさらに「ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」(マル12:37)と言ってダビデの子=メシア=主という関係を明らかにされました。今日の詩編は永遠の王であるメシア、永遠の祭司であるメシアを示していますが、イエスによって引用されたことによって、さらに主であるメシアといった構図、すなわちイエスの神性とメシア性を示す言葉となったのです。
■祈り
永遠の支配者、王であるメシアとして、永遠の仲保者、祭司であるメシアとして、そして主として、イエスよ、わたしはあなたを信じ、御名をあがめます。

今日の御言葉 20151128 使徒15:6~11 「エルサレム会議②ペトロの見解」

2015-11-28 | Weblog
11月28日(土)
現在のテーマ「小アジア宣教とその余波」
今日のテーマ「エルサレム会議②ペトロの見解」
■聖書 使徒言行録15:6~11 (11)
■聖句 「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。(11)
■解説
「律法か福音か」、「行いか信仰か」。教会を二分するような問題について協議の場を設け、議論が重ねられます。その中でペトロが見解を述べています。ペトロはコルネリウス一家に起こったことを思い起こさせています。その内容は、異邦人も「福音の言葉を聞いて信じるようになるため(信仰による救い)」(7)、異邦人にも「聖霊を与えて、彼らをも受け入れてくださった」という神の証明(8)、信仰による救いについて神は何の差別もなさらないという事実(9)です。ペトロは信仰によって与えられる聖霊賦与のしるし(聖霊の証印)は、割礼に勝ることを暗に示しているようです。そして、これまでユダヤ人が負いきれなかった律法による自力救済という軛を異邦人に負わせるのは神の御心ではない、もしそれを負わせるのであれば神を試みることになると言って、今日の聖句をもって結論としています。「主イエスの恵みによって救われる」。「神であるイエスが成し遂げてくださった贖いに、神が求める標準を生きることのできないわたし(神の目から見れば罪人であるわたし)は、神の現してくださった恵みにすがること(信仰)によってしか救い(神の御前における義)を得ることはできません」ということです。
■祈り
律法を守って来たペトロ、しかし、それを守り通すことができなかったペトロ、弱さを経験したペトロの福音への理解と信仰を、わたしにも受け継がせてください。

今日の御言葉 20151127 使徒15:1~5 「エルサレム会議①発端」

2015-11-27 | Weblog
11月27日(金)
現在のテーマ「小アジア宣教とその余波」
今日のテーマ「エルサレム会議①発端」
■聖書 使徒言行録15:1~5 (1)
■聖句 「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた」。(1)
■解説
15章は本書の分水嶺に当たり、ルカはこの記事を本書全体の真ん中に置くことによって、エルサレム会議の意義を強調しています。会議の主題は「律法か福音か」です。それはキリスト教がユダヤ教内部の革新的な一派にとどまるのか、それとも全ての民のための救いの使信を証明し、全世界に向かって飛翔するのかを左右する、重要な会議でした。発端はアンティオケアの教会にエルサレム教会からやって来たユダヤ人キリスト者が、モーセの律法にある「割礼」を救いの条件としたことにあります(1)。激しい議論の末、この問題を解決するために、アンティオケの教会はパウロやバルナバをエルサレム教会に派遣します。二人は道中でも、エルサレム教会でも、神が共にいて行われた異邦人改宗の恵みを証し歓迎されますが、ファリサイ派から信仰に入った人々から「異邦人にも割礼を受けさせて、律法を守るように命じるべきだ」(5)と訴えが起こります。初めての神学論争が起こったのです。それは、長い間、律法による救いを信じ、律法を守って来たユダヤ人キリスト者の越えなければならない壁であり、恵みの素晴らしさを全てのキリスト者が理解するためにも必要な出来事でした。その後の教会が異文化と出会いながらも、いかなる民族的、人種的、社会的要件も救いを受け、教会に受け入れることの条件とはせず、ただ「恵みによる信仰」(エフェ2:8参)を救いの要件とする端緒が開かれた出来事であったのです。
■祈り
資格があって救われたのではありません。ただ「恵みにより、信仰によって救われました」(エフェ2:8)。それこそが全世界に対するわたしたちキリスト者の証です。

今日の御言葉 20151126 使徒14:21~28 「デルベからの帰路」

2015-11-26 | Weblog
11月26日(木)
現在のテーマ「小アジア宣教とその余波」
今日のテーマ「デルベからの帰路」
■聖書 使徒言行録14:21~28 (23)
■聖句 「また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」。(23)
■解説
第一回伝道旅行の折り返し点が「デルベ」です。そこからパウロとバルナバは来た道を引き返しています。わざわざ迫害された2つの町を経由しているのは、誕生したばかりの教会を励ますためでした。ここに牧会者としての彼らの姿があります。二人は、弟子となった人々を「力づけ」、「わたしたちが神の国に入るには多くの苦しみを経なくてはならない」と信仰生活のゴールと現実を示し、「信仰に踏みとどまるように励まし」(22)、今日の聖句では、「長老(教会を支え導く人)」を任命するという実際的な手段を講じ、その後「祈り」、事後を「主に任せ」ています。種を蒔いた彼らは、水を注ぐことを忘れなかったということです。「成長させてくださるのは主である」(1コリ3:6参)と信じていたということです。伝道と牧会は表裏であることを二人の姿から学びます。アンティオケアに到着すると、彼らは「神が共にいて行われたこと」を証し、特筆すべきこととして異邦人に「信仰の門」が開かれたことを報告して(27)、第一回伝道旅行は終わっています。
■祈り
今日の聖句から、牧会者パウロの姿を見ます。計画し、祈り、主にゆだねる信仰を教えられます。