Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20140930 フィリピ1:27~30 「反対者に対して」

2014-09-30 | Weblog
今日からテーマは「福音にふさわしい生活」です。

9月30日(火)
現在のテーマ「福音にふさわしい生活」
今日のテーマ「反対者に対して」
■聖書 フィリピ1:27~30 (27a)
■聖句 「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」。(27a)
■解説
今日の拝読箇所で、パウロは獄中からフィリピの信徒たちにキリスト者としてのふさわしい生活(姿勢)について述べています。パウロは「生活を送りなさい(politeuesthe)」という言葉を特別な意味を込めて使用しています。ローマの植民地となっていたフィリピの住民は、ローマ市民権をもっていることに特別の誇りを感じていました。またローマ市民権を持つことの特権と義務を理解していました。ローマの植民地においてローマの市民権が特別な地位とローマを代表するものであるなら、フィリピの教会は、自分たちが天に国籍をもつ者として神の国を代表するものとして、それにふさわしい生活を送って欲しいとパウロは願っているのです。では「ふさわしい生活」とは。パウロはそれを「戦い」と見ています。天の植民地をこの世に押し広げる戦いです。ティンデルの聖書注解には「キリストが王であり、福音がその法律であり、クリスチャンはその市民である新しい町の一員として生きるべきである」というBenoitの言葉を紹介しています。パウロは自らの戦いの姿を示しながら(30)、「反対者たちに脅されてもたじろがない」ように(28)と励ましを与え、キリスト者の特権として「信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と語り、同じ戦いを共に戦う同労者としての自覚を与えようとしているのです。
■祈り
神の国の市民権を持つ者として、今日も福音を広げるための共同の戦いに、わたしを遣わしてください。

今日の御言葉 20140929 フィリピ1:19~26 「パウロの生死観」

2014-09-29 | Weblog
9月29日(月)
現在のテーマ「パウロの境遇」
今日のテーマ「パウロの死生観」
■聖書 フィリピ1:19~26 (20)
■聖句 「そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」。(20)
■解説
この時パウロが置かれていた状況には緊迫感があります。単に獄中に軟禁されていたというのではなく、有罪判決が下れば死刑も免れない状態であったことが分かります。そのような中で使徒パウロの死生観が垣間見えます。それが最も明確に表れているのが今日の聖句です。直訳すれば「私がどういう場合にも辱めを受けることなく、いつものように今も、あらゆる大胆さで、生を通しても、死を通しても、私の身においてキリストが大きくされることは、私の切なる願いと望みにかなっているのです」となります。「キリストが大きくされること」、「キリストが公然とあがめられるように」ということがパウロのたった一つの願いなのです。パウロ個人の願いとしては「この世を去って、キリストと共にいる」(23)ことです。しかし、彼は自分の願いよりも優先しなければならないものがあることを知っています。神の御心です。神はキリスト者が自分のためにではなく、他者のために生きることを願っておられます。パウロは生きることも、死ぬことも主にゆだね、御心の実現だけを願い、最大限にキリストが崇められることのみを考えていたのです。
■祈り
「私たちの命と奉仕のすべてが、唯一のふさわしい方に栄光と誉をもたらすこと以上に純粋な、クリスチャンとしての願いはありません」(シャフツベリー卿)。パウロの願いが私の願いでありますように。

今日の御言葉 20140927 フィリピ1:12~18 「獄中にあって」

2014-09-27 | Weblog
今日からテーマは「パウロの境遇」です。

9月27日(土)
現在のテーマ「パウロの境遇」
今日のテーマ「獄中にあって」
■聖書 フィリピ1:12~18 (18)
■聖句 「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」。(18)
■解説
パウロは獄中にいます。そこから「わたしの身に起こったこと」(直訳では「わたしの境遇」)を知って欲しいと手紙を書き進めています(12)。パウロの身に起こったこととは、キリストのために投獄されたこと(13)、それが福音の前進に役立ったこと(12)、その結果、「ねたみ」という不純な動機によってキリストを宣べ伝える人たちと、「善意」という愛の動機から福音を伝える人々が生じたことです。外からは迫害、内からは党派心といった問題にパウロはさらされています。しかし、それでもパウロは、今日の聖句にあるように「喜んでいます」。パウロの喜びの原因は「キリストが告げ知らされている」ことにあります。それによって人が救われ、人が救われる時に神が喜ばれることを知っていたからです(ルカ15:7)。神の喜びを自分の喜びとしていたからです。パウロは自分の利害から離れ、神の御心を第一としていたのであり、それこそがパウロがどのような境遇にあっても喜ぶことができた秘訣であったのです。
■祈り
神の御心が満たされていくことをわたしの喜びとすることができますように。

今日の御言葉 20140926 フィリピ1:8~11 「祈り」

2014-09-26 | Weblog
9月26日(金)
現在のテーマ「あいさつと祈り」
今日のテーマ「祈り」
■聖書 フィリピ1:8~11(9,10a)
■聖句 「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」。(9,10a)
■解説
愛してやまないフィリピ教会のためにパウロは祈り始めます。「知る力(epignōsis)」は「神を知る力」であり、それは聖霊の働きによる体験的なものと、やはり聖霊の働きによって与えられた聖書(御言葉)からくる神認識と言えます。「見抜く力(aisthésis)」は新改訳では「識別力」と訳されており、この世におけるキリスト者としての判断力と言ったものです。それによってパウロは「愛が豊かになる」と言っています。「愛が知識によらないで燃え上がるときには、盲目的なものとなり、その熱心さはしばしば自分の義を主張するようになる」という言葉がありますが、真実の愛が燃え上がるためにも「知る力」と「見抜く力」の必要性をパウロは説いているのです。その結果「見分けられるようになる」、すなわち「正しい価値観をもつことができるようになる」のです。神を知るという霊的生活とクリスチャンとしての正しい価値観のもとに重ねる実生活は、私たちをキリストの日に備えさせ(10)、とがめられるところのない者とし(10)、義の実を結ばせ、神の栄光と誉になる(11)のです。それを願い、パウロは「キリスト・イエスの愛の心」(8)で、フィリピの信徒たちのために祈るのです。
■祈り
さらに深く神を知る力をわたしに与えて下さい。キリスト者として正しい価値観、判断力のもとに生活させて下さい。それが愛する兄弟姉妹たちにも与えられ、教会において愛がますます豊かになりますように。

今日の御言葉 20140925 フィリピ1:3~7 「感謝」

2014-09-25 | Weblog
9月25日(木)
現在のテーマ「あいさつと祈り」
今日のテーマ「感謝」
■聖書 フィリピ1:3~7 (5,6)
■聖句 「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。(5,6)
■解説
パウロは当時の書簡の慣例に倣い、あいさつの後に感謝を述べています。その理由が今日の聖句に記されています。パウロは、キリストの福音を初めてヨーロッパに伝えたときのこと(使徒16章)を回顧するように「最初の日から」と言っています。「福音にあずかっている」は「福音にかかわってる(参与している)」という意味で、神の恵みにより永遠の命にあずかった者が福音にかかわる姿を想定しています。パウロとフィリピの教会は福音宣教のために苦楽を共にした間柄であったと言えます。使徒と信徒の一致、協力によって教会という木は深く根を張り、広く枝を伸ばしてい実を結ぶことができるのです。後半6節は、パウロの感謝の確信が示されています。福音をフィリピの町に伝えたのはパウロですが、人々を生まれ変わらせてくださったのは神であり、それをパウロは「善い業を始められた方」と言っています。「キリスト・イエスの日までに」はキリストの再臨の時です。私たちの卑しい体が、一瞬のうちに、栄光の体へと変容される時です。スタートさせてくださった方は、すばらしいゴールへと必ず導いて下さるという確信、「善い業を始められた方は、福音にあずかり続ける者を必ず完成して下さる」という確信が、獄中にあっても神への感謝をパウロに祈らせたのです。
■祈り
福音にあずかった始めの日を忘れることがありませんように。福音の業に参与し続けることができますように。福音の完成を確信し、その日を待ち望みつつ、日々感謝を捧げることができますように。