Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20121031 詩編92:1~16 「安息日に」

2012-10-31 | Weblog
10月31日(水)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「安息日に」
■聖書 詩編92:1~16 (1-3)
■聖句 「賛歌。歌。安息日に。いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い/朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは」。(1-3)
■解説
味わい深い詩編なのですが、今日は1節の「安息日に」という言葉に注目しました。それは、ミシュナー(律法の解説)にこの詩編が「安息日にレビ人によって神殿で歌われていた」と書かれているからでもあるのですが、それ以上に主への感謝と主の恵みについて述べ伝えたいという詩人の溢れるようなエネルギーをこの詩から感じるからです。そして「安息日」(礼拝)で、自分もこの作者のようでありたいと思ったからです。礼拝に溢れる感謝を持ち寄り、主を賛美したい。安息日に主の御業がいかに大きく、主の計らいがいかに深くあったかをわたしも証したい(6)。会衆の前で、主の家に植えられた喜びを、白髪になっても述べ伝えたい。そう思ったからです。安息日(礼拝)を義務として守るのではなく、神に感謝を献げ、主の御名を賛美するために集い、証が満ち溢れる場でありたいと願うからです。そのための日々がいつも主と共にあり、守りと導きを受けるものでありたいと願うからです。
■祈り
安息日に主に感謝をささげることができますように。そのために今日一日も主と共に歩み、御手の業、主の恵みを覚えることができますように。

今日の御言葉 20121030 詩編91:1~16 「全能の神の陰に宿る人」

2012-10-30 | Weblog
10月30日(火)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「全能の神の陰に宿る人」
■聖書 詩編91:1~16 (14-16)
■聖句 「彼はわたしを慕う者だから/彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。生涯、彼を満ち足らせ/わたしの救いを彼に見せよう」。(14-16)
■解説
詩編91編は、11-12節がイエスを誘惑するサタンの言葉として誤用されていることで有名です(マタイ4:6,ルカ4:10-11)。この詩編も90編同様、困難の中で神による救いと解放を確信する詩で、イスラエルが過去にエジプトの地で守られたように、バビロンの地にあっても守られるとの確信を歌っています。1-2節を信頼の告白、3-13節を守りの内容、14-16節を神の応答と取って、神殿での祭司と礼拝者の応答歌とすることもできます。聖句は神の応答の部分で、「わたしを慕う者」、「わたしの名を知る者」という言葉が印象的です。前者は「わたしを愛して離れない者」(口語訳参)といった強い表現がなされています。後者「名を知る」とは、詩編5:12や9:11にあるように約束の神が示された救いの御名のことで、それはイスラエルの歴史において具体的に示された救いの神の本質を体験的に知っているということです。ここでは「いと高き神、全能の神」(1)として知られていると解せます。神を愛し、神の名を知る者の祝福として、災いからの守護、聖化、神の臨在、尊厳の回復、聖霊の満たしが挙げられています。
■祈り
主よ、あなたを愛し、あなたの御名をたたえます。わたしの生涯もあなたの御手の中で守り、導いて下さい。

今日の御言葉 20121029 詩編90:1~17 「主よ、いつまで」

2012-10-29 | Weblog
今日からテーマは「詩編第四巻」です。150編からなる詩編は、大きく5つに分けられます。今回はその第四巻(90編から106編)です。

10月29日(月)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「主よ、いつまで」
■聖書 詩編90:1~17 (13)
■聖句 「主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください」。(13)
■解説
表題には「神の人モーセの祈り」とありますが、詩人はモーセではなくモーセの名を借りて、モーセの荒野での40年の生活と自らの苦難の時期(バビロン捕囚ではないかと考えられています)に重ねて、苦境の中での救いの訪れを祈っています。聖句はその祈りの中心となる句で、「このままの状況が長く続くことはない。必ず主は訪れ、私たちを救ってくださる」という信仰が表明されています。「主よ、いつまで」という祈りは詩編をはじめ何度も繰り返されています(詩編13:2,35:17,イザヤ6:11)。新約では黙示録の殉教者の叫びが「主よ、いつまで」で始まっています(6:11)。すべての信仰者は「主は、決して/あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く/懲らしめても、また憐れんでくださる」(哀歌3:31-32)という信仰に生きたのです。ホロコーストの中でガス室に引かれていくユダヤ人が歌った「アニー・マーミン」の歌を思い起こします。「わたしは信じます。メシアが来られることを全き機信仰をもって。たとえ遅くなっても、わたしは信じます。毎日彼が来られるのを待ち続けます」。主はいつまでもあなたをそのままにはして置かれません。
■祈り
主よ、信じて救いの訪れ、あなたのお出でを待ち望みます。

今日の御言葉 20121028 ヨシュア24:29~33 「主の僕、ヨシュアの死」

2012-10-28 | Weblog
10月28日(日)
現在のテーマ「晩年のヨシュア」
今日のテーマ「主の僕、ヨシュアの死」
■聖書 ヨシュア24:29~33 (29-31)
■聖句 「主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、‥‥葬られた。‥‥ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた御業をことごとく体験した長老たちの存命中、イスラエルは主に仕えた」。(29-31)
■解説
ヨシュアに「主の僕」という尊称が冠せられています。ヨシュア記ではこれまで「主の僕」はモーセの使命を示す呼称としてのみ使用されていました(1:1,8:31他多数)。ここで初めてヨシュアがこの尊称で呼ばれているのは、彼の死に至るまでの生涯がその名に値したことを意味しています。「主の僕」という概念は、イザヤ書40章から55章において、他者のために恥と苦難と死に耐える存在として深化し、新約のヨシュア(イエス)において最高度に明示されることになるのです。今日の聖句後半はヨシュアの死後、彼の影響力が続く間は、民は主に従ったことが暗示されています。実際、異教的感化はヨシュア記に続く士師記に記されるように、民の背信と混乱として現われてきます。これらのことから、信仰の純粋性を保ち続けること、ヨシュアのように主の僕として仕え続けることの尊さを心に刻む必要があります。「主よ、終わりまで仕えまつらん」讃美歌 338番を思い起こします。
■祈り
主よ、最後まで主の僕として歩ませてください。

今日の御言葉 20121027 ヨシュア24:1~28 「シケムでの契約」

2012-10-27 | Weblog
10月27日(土)
現在のテーマ「晩年のヨシュア」
今日のテーマ「シケムでの契約」
■聖書 ヨシュア24:1~28 (14-15)
■聖句 「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼‥‥主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいた‥‥神々でも‥‥アモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」。(14-15)
■解説
いよいよ死期も近づき、ヨシュアはイスラエルの民が神ヤハウェに対して誠実であり続けるよう彼らを決断の場に立たせます。それがシナイ契約の更新となるシケムでの契約です。ヨシュアは、過去の救済の歴史から語り始めます。自分たちがどのようなところから救い出されたかを忘れないためです(イザヤ51:1参)。神の恵みと愛がどれだけのものであったかを忘れないためです。それが前提で今日の聖句となります。ヨシュアは指導者として信仰を強制せず、それを自由な選択の問題として彼らの前に置きます。信仰生活は、毎日の生きた状況の中での決断を迫ります。それは唯一の神か偶像神か、永遠のものか一時的なものか、神中心か自己中心かを選ぶ決断です。「わたしとわたしの家は主に仕えます」。ヨシュアは民に信仰を強制しませんが、自分の立場を明らかにして、人々の前に証しています。民はヨシュアの促しに「わたしたちは主に仕えます」と三度答えています(18,21,24)。この彼らの誓いが後の世代へのしるしとなるためにヨシュアは契約の書をしるし(25)、大きな石を立てて証拠とします(26)。ヨシュアの心配と配慮は将来の神の民にまで及ぶものであったのです。
■祈り
わたしとわたしの家が、後々までも主の恵みと愛を忘れることなく、主に仕えることができますように。