Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20120331 申命記34:1~12 「モーセの死と結語」

2012-03-31 | Weblog
3月31日(土)
現在のテーマ「モーセの生涯の締めくくり(継承)」
今日のテーマ「モーセの死と結語」
■聖書 申命記34:1~12 (10a)
■聖句 「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現われなかった」。(10a)
■解説
申命記の最後の章はモーセの死と埋葬、ヨシュアへの継承、モーセの生涯のまとめを簡潔に述べて本書の結語としています。聖句は一つの時代の大きな区切りを示すと共に、その中に新しい時代への期待がこめられた言葉でもあります。なぜなら主自らが、「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける」(18:18)と既に約束しておられたからです。この後「モーセのような預言者」はメシア信仰へと発展します。イエス様時代に、バプテスマのヨハネと出会った民衆が「あなたは、あの預言者ですか」と尋ねたときヨハネは「そうではない」と答え(ヨハネ1:21)、イエスと出会ったフィリポは「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」(同1:45)と語り、パンの奇跡の後には「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」(同6:14)とイエスに対して告白し、イエスもまた「モーセは、わたしについて書いている」(同5:46)と言っておられます。「モーセのような預言者は現われなかった」とは、モーセのような預言者(=メシア)を待ち望む言葉であり、それはイエスにおいて実現するのです。イエスこそ罪の縄目から私たちを解き放つメシアなのです。
■祈り
エジプトでの奴隷状態からイスラエルを解放したモーセの生涯が終わりました。しかし、そこからメシアに対する大きな期待が始まりました。そしてイエスにおいてメシア預言は実現しました。イエスよ、あなたをメシアと信じます。

今日の御言葉 20120330 申命記33:1~29 「イスラエルへの祝福」

2012-03-30 | Weblog
3月30日(金)
現在のテーマ「モーセの生涯の締めくくり(継承)」
今日のテーマ「イスラエルへの祝福」
■聖書 申命記33:1~29 (26-27a)
■聖句 「エシュルンの神のような方はほかにはない。あなたを助けるために天を駆け/力に満ちて雲に乗られる。いにしえの神は難を避ける場所/とこしえの御腕がそれを支える」。(26-27a)
■解説
33章はモーセがその生涯を終えるにあたって語ったイスラエル12部族への祝福の言葉です。聖句はその結びの部分ですが、イスラエルの神の姿が生き生きと描かれています。「エシュルン」はイスラエルの愛称です。「いにしえの神」とは「アブラハム、イサク、ヤコブの神」のことです。モーセはかつて葦の海を渡ったときに「主よ、神々の中に、あなたのような方が誰かあるでしょうか。‥‥くすしき御業を行う方があるでしょうか」と歌いました(出エ15:11)。そして今日、注目したいのは最後の句です。直訳すると「下には、永遠の御腕」となります。その御腕は全能であり、支配は全地に及んでいます(イザヤ51:5)。その御腕は私たちに勇気を与えます(詩89:21)。その腕は私たちの日常的な助けです。しかもその腕は、私たちを下から支えて下さるのです。恵みからもれ、こぼれ落ちそうになっている者を下から守り支えるようにです。まさにイスラエルの神は生きておられる神なのです。そしてこのような神を他に見出すことはできないのです。
■祈り
イスラエルの神は生きておられます。今日もとこしえの御腕によって私たちを支え、お守り下さい。

今日の御言葉 20120329 申命記32:19~52 「モーセの歌②わたしこそそれ」

2012-03-29 | Weblog
3月29日(木)
現在のテーマ「モーセの生涯の締めくくり(継承)」
今日のテーマ「モーセの歌②わたしこそそれ」
■聖書 申命記32:19~52 (39)
■聖句 「しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない」。(39)
■解説
19節から36節までは忘恩の民に対する裁きと報いが歌われています。神を捨て、神を忘れたイスラエルを見て「わたしは、わたしの顔を隠す」(19)と主は言われます。御顔が隠される(主が手を引かれる)ことほど恐ろしいものはありません。主の手はいつも私たちに伸べられており、主の御顔はいつも私たちに向けられていることを覚えたいと思います。37節からは忘恩の民に対する主の呼びかけで、その中心が今日の聖句です。偶像を慕い、主を捨てた民に「わたしこそ、わたしこそそれである」と宣言しておられます。ヘブライ語原典では「アニー、アニーフー」です。「それ」はどこにいるのかも分からない神々(37)に対して、「わたしはある」という実存の神をあらわしています。「わたしはある」とモーセに啓示された神名を、ここでは「わたしこそそれだ(アニーフー)」と啓示しておられるのです。「わたしこそ、わたしこそ」と強調されているこの呼びかけの中に、忘恩の民に対する切ないまでの神の愛と自己啓示を見るのです。
■祈り
「わたしこそ、わたしこそそれである」(アニーフー)と御名を啓示し、ご自身を現し、語られる主よ、あなたの呼びかけにいつでも応じ、あなたを忘れることなく、ただあなただけを信じる者としてください。

今日の御言葉 20120328 申命記31:14~32:18 「モーセの歌①イスラエルの忘恩」

2012-03-28 | Weblog
3月28日(水)
現在のテーマ「モーセの生涯の締めくくり(継承)」
今日のテーマ「モーセの歌①イスラエルの忘恩」
■聖書 申命記31:14~32:18 (32:15b,18)
■聖句 「お前は肥え太ると、かたくなになり/造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。‥‥‥お前は自分を産み出した岩を思わず/産みの苦しみをされた神を忘れた」。(32:15b,18)
■解説
エジプトの大軍から逃れ、葦の海を渡ったときにモーセは「海の歌」(出エ15:1-18)を歌いました。そして今、ヨルダン川を渡ろうとする民にもう一つの歌を与えます。今日の拝読箇所はその歌への導入部(31:14-30)とこの歌の前半部(イスラエルの忘恩)です。主なる神がどれだけ真実な方であるかはこれまでにも繰り返し語られてきました。その神の教えに誠実に歩むときの祝福についても、不誠実である場合の呪いについても語られてきました。しかし、それであるにもかかわらず民は他の神々に向かい、主を侮ると語られています。前半部ではここまで数々の奇跡をもって導かれた主を裏切り、忘れてしまう民の姿を悲痛な思いで歌うモーセの姿が見出されます。人間とは何ともろく、不誠実な存在なのでしょうか。今日の聖句はそれをみごとに表しています。特に15節は、豊かさの中で神を忘れ去っている現代人を思わせます。15節の「捨てる」には「独りにする」、「侮る」には「馬鹿にする」、18節の「思わず」は「無視する」といった意味があります。そして最後の「産みの苦しみをされた神」は、私たちに十字架上のキリストの姿を思わせます。新約の民である私たちは、旧約の民であるイスラエル以上に、主を愛し、御言葉に従って歩むことが求められます。
■祈り
主よ、イスラエルと同様に弱いわたしたちを守り導いてください。

今日の御言葉 20120327 申命記31:9~13 「読み聞かせなさい」

2012-03-27 | Weblog
3月27日(火)
現在のテーマ「モーセの生涯の締めくくり(継承)」
今日のテーマ「読み聞かせなさい」
■聖書 申命記31:9~13 (11-13)
■聖句 「あなたはこの律法を全イスラエルの前で読み聞かせねばならない。民を、男も女も子供も、町のうちに寄留する者も集めなさい。彼らが聞いて学び、あなたたちの神、主を畏れ、この律法の言葉をすべて忠実に守るためであり、これをまだ知らない彼らの子供たちも聞いて学び、‥‥主を畏れるようになるためである」。(11-13)
■解説
「おそれ」には2つのものがあります。一つはヨシュアに言われた「恐れるな」で敵に対する恐れです。もう一つは今日の聖句にも含まれる「畏れ」であり、主への畏敬の気持ちです。この後者の気持ちがいつまでも続くようにと、7年目ごとに全会衆を集めて、律法(聖書)を読み聞かせなさいと命じられています。6章7節ではいつでも常に語り聞かせるようにと命じられていますが、それは家庭の中での継承についてであり、ここでは民族として、あるいは主の民としての御言葉の継承について語られています。いつでも聖書を手に持つことのできる今日であればこそ、今日の聖句をしっかりと心に留めて、主を畏れることの大切さを自分自身が、そして家族が、さらには会衆が学ぶ必要性を感じるのです。
■祈り
聖書を自らが学び、家族と共に読み、教会で会衆と共に読んで聞くことができますように。