7月31日(水)
現在のテーマ「真の大祭司であるキリスト」
今日のテーマ「ただ一度献げられた完全ないけにえ」
■聖書 ヘブライ9:23~10:16 (10)
■聖句 「この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです」。(10)
■解説
今日の拝読箇所には、キリストに対して用いられた「ただ一度」という表現が3回、「唯一」という表現が2回出てきます。著者は旧約において毎年献げられなければならない雄牛や雄山羊の血による贖いの不完全性を指摘して、それらのものは「神に近づく人たちを完全な者にすることはできません」(10:1)、「罪を取り除くことができない」(4)と断言します。それに対して、唯一の完全な献げ物として、ただ一度ご自分の体を献げられたキリストの贖罪に、どれほどの意味があり、どれほどの効力があるかを力説しています。それは、私たちの「罪を取り去り」(9:26)、私たちに「救いをもたらし」(28)、私たちが「聖なる者とされ」(10:10)、私たちを「完全な者とする」(14) 贖いなのです。そのためにキリストは体を与えられ(5)、贖罪の死を遂げるという神の御心を成し遂げられたのです(7)。この完全な一回限りの贖罪によって、神は私たちの罪を思い出さず、御子の贖いを信じる者を聖なる者と見なされ、完全な者として神の御前に立つ特権を与えてくださったのです。
■祈り
罪人であるわたしが聖なる者と見なされるために、どれだけの犠牲が払われたかを覚えさせてください。キリストの贖罪の効果を信じる私たちは聖なる者です。だからこそ聖なる者としての歩みを今日から始めさせて下さい。
現在のテーマ「真の大祭司であるキリスト」
今日のテーマ「ただ一度献げられた完全ないけにえ」
■聖書 ヘブライ9:23~10:16 (10)
■聖句 「この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです」。(10)
■解説
今日の拝読箇所には、キリストに対して用いられた「ただ一度」という表現が3回、「唯一」という表現が2回出てきます。著者は旧約において毎年献げられなければならない雄牛や雄山羊の血による贖いの不完全性を指摘して、それらのものは「神に近づく人たちを完全な者にすることはできません」(10:1)、「罪を取り除くことができない」(4)と断言します。それに対して、唯一の完全な献げ物として、ただ一度ご自分の体を献げられたキリストの贖罪に、どれほどの意味があり、どれほどの効力があるかを力説しています。それは、私たちの「罪を取り去り」(9:26)、私たちに「救いをもたらし」(28)、私たちが「聖なる者とされ」(10:10)、私たちを「完全な者とする」(14) 贖いなのです。そのためにキリストは体を与えられ(5)、贖罪の死を遂げるという神の御心を成し遂げられたのです(7)。この完全な一回限りの贖罪によって、神は私たちの罪を思い出さず、御子の贖いを信じる者を聖なる者と見なされ、完全な者として神の御前に立つ特権を与えてくださったのです。
■祈り
罪人であるわたしが聖なる者と見なされるために、どれだけの犠牲が払われたかを覚えさせてください。キリストの贖罪の効果を信じる私たちは聖なる者です。だからこそ聖なる者としての歩みを今日から始めさせて下さい。