2022年11月21日(月)
#372 THE ROLLING STONES「ベガーズ・バンケット」(ABKCO UICY-20001)
音盤日誌「一日一枚」ではこれまで約一年間、ずっと過去投稿分の再収録を続けてきた。
が、昨日で過去分すべてのアップを完了したので、きょうからはいよいよ、リアルタイム更新を始めたいと思う。
改めて、よろしく。
さて、リアタイ版第1回、記念すべきファースト・ステップはこれ。
ストーンズ、68年リリースのオリジナル・アルバム「べガーズ・バンケット」である。
この一枚について語り出したら、いくら字数があっても足りないのだが、今回は簡潔にまとめよう。
「べガーズ」こそはストーンズ黄金時代の魁(さきがけ)となる一枚である。
前年の「サタニック・マジェスティーズ」の意味不明な迷走っぷりを完全に払拭して、「ストーンズは死なず」「ストーンズここにあり」と彼らのファンのみならず、全ロックファンを納得せしめた、名アルバムなのだ。
のちにライブでの定番となる「悪魔を憐れむ歌(M1)」「ストリート・ファイティングマン(M6)」を基軸に、ストーンズの本来の魅力、すなわち全ての既成概念に対して「ノー」を突きつける暴力性、不良性が全面に押し出すことに成功している。
サウンド的には、彼らのお家芸であるロックンロール、ブルース・ロック的なものに固まることなく、時にはアコギ中心でドラムを使わないなど、カントリーやフォーク、あるいはアコースティック・ブルースなスタイルを試みており、非常にバラエティに富んでいる。
これらに共通して言えることは、いずれも彼らのルーツ・ミュージックと呼べる音楽スタイルだということだろう。
それ以外で特に注目すべきは、プレイヤーとしてのキース・リチャーズの成長ぶりだろう。
かつてはバンド創始者ブライアン・ジョーンズが音楽性をリードしていたストーンズであったが、ジョーンズの私生活の乱れに伴って次第に求心力を失っていったのが67から69年頃であった。
ソングライターチームとしてのジャガー=リチャーズがめきめきと力をつけ、ギタリストとしてのリチャーズもどんどん腕を上げていった。
オープンチューニングによるスライドギター、これもジョーンズよりリチャーズのプレイの方が精彩を放つようになった。(例えばM5「ジグソー・パズル」がそうだ)
もはやバンドは、単なる厄介者のジャンキーを必要としなくなっていたのだ。
そしてリチャーズは歌の方にも手を伸ばすようになる。
アルバムラスト(M10)の「地の塩」では、ミック・ジャガーと共同ではあるが、リードボーカルに挑戦しているのだ。
上手いと言うよりは、枯れた味わいがあるというべきその歌は、リチャーズの後年のソロ活動にも繋がっていく第一歩と言えるだろう。
最後に、このアルバムの成功の陰の立役者を紹介しておこう。
その人の名は、ジミー・ミラー。
本作より73年の「山羊の頭のスープ」に至るまで、ストーンズのアルバムを制作し続けたプロデューサーである。
元々はドラマーで、トラフィック、ブラインド・フェイスをはじめとするバンドのプロデュースを手がけている男。
表にこそ登場することはないものの、このミラーという男の確かな感性が、ストーンズを「中興」へと導いたことは、その後のアルバムの内容も聴き合わせてみるに、間違いない。
「サタニック〜」の失敗を踏まえて、自分たちが本来あるべき路線へと大きく舵を切り直したストーンズ、そしてジミー・ミラーは、掛け値なしに凄い才能の持ち主だと思う。
単なる流行りもののバンドから、「本物」へと変身を遂げたモニュメントな一枚だ。必聴。
音盤日誌「一日一枚」ではこれまで約一年間、ずっと過去投稿分の再収録を続けてきた。
が、昨日で過去分すべてのアップを完了したので、きょうからはいよいよ、リアルタイム更新を始めたいと思う。
改めて、よろしく。
さて、リアタイ版第1回、記念すべきファースト・ステップはこれ。
ストーンズ、68年リリースのオリジナル・アルバム「べガーズ・バンケット」である。
この一枚について語り出したら、いくら字数があっても足りないのだが、今回は簡潔にまとめよう。
「べガーズ」こそはストーンズ黄金時代の魁(さきがけ)となる一枚である。
前年の「サタニック・マジェスティーズ」の意味不明な迷走っぷりを完全に払拭して、「ストーンズは死なず」「ストーンズここにあり」と彼らのファンのみならず、全ロックファンを納得せしめた、名アルバムなのだ。
のちにライブでの定番となる「悪魔を憐れむ歌(M1)」「ストリート・ファイティングマン(M6)」を基軸に、ストーンズの本来の魅力、すなわち全ての既成概念に対して「ノー」を突きつける暴力性、不良性が全面に押し出すことに成功している。
サウンド的には、彼らのお家芸であるロックンロール、ブルース・ロック的なものに固まることなく、時にはアコギ中心でドラムを使わないなど、カントリーやフォーク、あるいはアコースティック・ブルースなスタイルを試みており、非常にバラエティに富んでいる。
これらに共通して言えることは、いずれも彼らのルーツ・ミュージックと呼べる音楽スタイルだということだろう。
それ以外で特に注目すべきは、プレイヤーとしてのキース・リチャーズの成長ぶりだろう。
かつてはバンド創始者ブライアン・ジョーンズが音楽性をリードしていたストーンズであったが、ジョーンズの私生活の乱れに伴って次第に求心力を失っていったのが67から69年頃であった。
ソングライターチームとしてのジャガー=リチャーズがめきめきと力をつけ、ギタリストとしてのリチャーズもどんどん腕を上げていった。
オープンチューニングによるスライドギター、これもジョーンズよりリチャーズのプレイの方が精彩を放つようになった。(例えばM5「ジグソー・パズル」がそうだ)
もはやバンドは、単なる厄介者のジャンキーを必要としなくなっていたのだ。
そしてリチャーズは歌の方にも手を伸ばすようになる。
アルバムラスト(M10)の「地の塩」では、ミック・ジャガーと共同ではあるが、リードボーカルに挑戦しているのだ。
上手いと言うよりは、枯れた味わいがあるというべきその歌は、リチャーズの後年のソロ活動にも繋がっていく第一歩と言えるだろう。
最後に、このアルバムの成功の陰の立役者を紹介しておこう。
その人の名は、ジミー・ミラー。
本作より73年の「山羊の頭のスープ」に至るまで、ストーンズのアルバムを制作し続けたプロデューサーである。
元々はドラマーで、トラフィック、ブラインド・フェイスをはじめとするバンドのプロデュースを手がけている男。
表にこそ登場することはないものの、このミラーという男の確かな感性が、ストーンズを「中興」へと導いたことは、その後のアルバムの内容も聴き合わせてみるに、間違いない。
「サタニック〜」の失敗を踏まえて、自分たちが本来あるべき路線へと大きく舵を切り直したストーンズ、そしてジミー・ミラーは、掛け値なしに凄い才能の持ち主だと思う。
単なる流行りもののバンドから、「本物」へと変身を遂げたモニュメントな一枚だ。必聴。
<独断評価>★★★★★