このカテゴリーで記事を書くのは、ずいぶん久しぶりになりました。
ひとつ前の、短い記事をアップした後、ふと、他のブロガーさんの記事が気になって読んでみました。
その方は「大野智の歌声は譜面通り、上手いけど、感情がない」というようなことを、ネット上で目にすることがあるのだそう。
私、最近、あまりネットで大野くんや嵐ごとの検索もしないので、そういう記事を目にすることもないのだけれど、大野くんの歌にそう書く人がいるかもしれない、というのは、想像できる。
だって、上手いものね。
人気があって上手いと、それを認めたくない人って必ず難癖つけたくなるものね。
と、妙な納得もしつつ・・・
でも、そういう人って、きっとちゃんと聴いていないか、
最初から、分厚い色眼鏡フィルター、
あ、この場合は、分厚いアンチフィルターの入ったヘッドフォンかな、
をして聞いているか、
なんじゃないかと考えてしまう。
だって、
感情のない歌声に人は感動しない。
そして、現実として、大野くんの歌声に感動して好きになったたくさんの人がいる。
反論する必要もなく、事実が、大野智の歌声の魅力を物語っている。
そんなことを考えていたら、私が大野くんの歌声に落ちた、その理由を再び書いてみたくなりました。
実は何度か書いてるけど。
ファンになったきっかけは2008年、『truth』を聴いて、MV付きの初回盤をゲットしたくなり、発売の数日後に購入しようと思ったらできなかったこと。
当時は、まだジャニーズなんて、自分が熱心に聴くものだという考えはなく、予約しないと初回盤が手に入らないなんてことも知らず、露ほども想像したこともなかった。
でも、『truth』の大野くんが、嵐さんが、素敵すぎて、あきらめきれず、ネット検索中に出会ったのが、ライブDVD『SUMMER TOUR 2007 FINAL Time -コトバノチカラ-』の「ファンじゃなくても楽しめます」という感想レビュー。
ちょっと勇気を出して、ぽちっとした私のもとに届いたコンサートDVDは、本当にファンじゃなくても楽しめたどころか、極上のエンターテイメントにすっかり虜。
その中でも、大野くんソロ『song for me』は鳥肌の立つ圧巻シーン。
あの大野くんの歌とダンスから、私が感じたのは、ゆらゆらと青白く燃焼し、躍動する、大野智の存在そのもの。
それは、譜面通りの歌声の中に潜む、無心から立ち上がる、大野智の内宇宙。
それに感動して私は大野智という人が、その歌声が、ダンスが好きになりました。
好きになったなんて、生易しい感情じゃなくて、もうどうしてよいかわからないぐらい、切なくて狂おしい感動。
それは、感情をこめて、ある部分の音を伸ばしたり、変えたりする、表面的な表現ではなく、もっと深いもの。
表現というより、自分の存在そのものを、歌とダンスと一体化することで魅せるもの。
またそれは、聞き手の方も、無心でふと聴いたときに心を打たれるもの。
惑わされる噂や情報、アイドルだからという構えがあると、受け取れないもの。
その歌と歌声に出会った瞬間、その運命を受け入れる準備のできている人には、す~っとしみ込んできて、あっという間に虜になってしまうもの。
小学校に入学する前から、バレエに憧れ、そこからバレエ中心にダンスや美しいもの、いろいろなアートやエンターテイメントを好きになった私。
少女の頃から大好きなバレエマンガ『SWAN』の中で語られ、今でも鮮明な印象を残す舞踊表現の神髄があります。
「どう踊ろう、どう演じようと考えているうちは、それは本物ではない。そこから感動はうまれない」(私流に要約してます)
クラシックバレエだと、まだそれでも人を感動させることが出来ても、モダンバレエになると、ただ技術が高く美しいだけでは人を感動させることができない。
そうして、『SWAN』の主人公・真澄は、偽物ではない本物の舞踊を目指して、自分の内面と向き合って、たくさんのものを犠牲にして、ひたすらにバレエを愛した末に、最高のダンサーになる、という深い物語。
今でも大好きな作品。
大野智の歌声とダンスは、その神髄と同じ感動をもたらすなあと、大野智という人を知ってからずっと思っています。
身体にしみ込ませた正確な歌とダンスを無心でステージで繰り返すことで、伝わってくるのは、大野智という人が持っている、本来のエネルギー。
本人すら自覚していない熱量。
美しい、本当に美しい、強い生命力に溢れた、艶めいたオーラ。
それは、ものすごい感動。
それが、私の出会った、『Song for me』の大野智。
今でも『Song for me』は折に触れて鑑賞しますが、何度見ても、やっぱり素晴らしい。
そして、他の曲もどれも心に響いて、聴き入ってしまいます。
サトシック9年目の今も、やっぱり大野くんの歌声に心を揺さぶられています。