大阪在住の藤田雅敏さんが長年収集されたくらわんか茶わんを、この度、波佐見町に寄贈された記念として開かれています。
これまでは、町内で発掘された破片が中心の展示でしたが、きちんとした完品の状態の貴重な器がたくさん展示されています!
しかも寄贈された点数は600点。一堂に展示できないため、いまのところ半分の300点を展示。
くらわんか碗
江戸時代、大村藩に属した上波佐見村・下波佐見村内の諸窯で、とくに18 世紀~19世紀前半にかけて生産された厚手の磁器製品のことを、一般的に「くらわんか茶碗」もしくは「くらわんか手』と呼ばれています。
1650年代、中国に内乱がおこり、中国製の焼き物の海外輸出が中断。そこで日本の焼き物が海外へ盛んに輸出されるようになります。
肥前一帯の窯にも注文が増え、技術も向上していきます。
1690年代には中国の内乱が収まり、再び中国製の焼き物が海外へ輸出されるようになるとともに、日本製は海外からの注文が激減しました。
肥前地区の窯は、国内向けのやきものを多く生産するようになります。波佐見の窯は、とくに庶民が買える安いやきものを生産し始めました。
このころの磁器は、大変貴重なもので、大名への献上品等に用いられる高級な品物でした。
しかし、波佐見町で大量生産されたことにより、庶民へも磁器が浸透していくことになります。
波佐見焼はすごい!
この年代の染付の器は一般に「くらわんか茶碗」と呼ばれ、日本中の人に広く親しまれました。江戸時代の終わりころには、中尾上登窯跡、永尾本登窯跡など世界有数の巨大な登窯を築いて、くらわんか茶碗を大量に生産しました。
大阪の淀川、枚方鍵屋浦で停泊している三十石船に「酒くらわんか、飯くらわんか」と呼びながら酒や食べ物を売っていた「くらわんか舟」。その「くらわんか舟」で器と使用されていたのが波佐見焼の「くらわんか茶碗」です。
舟の上で飲食物を販売し(今で言う移動販売みたいなもの)、器付きで売る。購入した人は食べ呑みしたあと、淀川に捨てる。そんな使い捨ての器として使用されていたようです。実際に淀川では川底に多数の茶わんが沈んでいたそうです。
くらわんか茶碗は分厚い白い磁器に素朴な柄が描かれた物が多く、長崎県の波佐見焼、愛媛県の砥部焼、高槻市の古曽部焼で大量に作られています。
長崎県の波佐見焼が一番の生産地で、土もの風の少々粗い素地と付立て描きと呼ばれる簡素な絵柄。素朴な手書き絵付と温もりある色合い、形状から優しさが伝わってきます。
くらわんか碗といっても、小皿や茶わんをはじめとして、いろいろな形状のものが生産されています。
これは広東碗。18世紀後半から流行した高台が広く体部が直線的に開いた形の碗。
しっかりと流行をとらえ、大量生産を行われていたんでしょう。
シンプルな小皿。見込みは蛇の目に釉薬を歯み剥ぎ取ってあり、積み重ねて焼いてある。そのため、窯の中にたくさん入れて焼くことが出来るため生産コストも下がります。
化粧の際に使用する紅を入れる紅皿。このような洒落た品も波佐見で作られていたとは知りませんでした。
ホント、貴重な資料を寄贈していただいて感謝です。
これは常設の焼き物で、海を渡った波佐見焼として有名なコンプラ瓶。
鎖国の時代、出島でオランダ人に日用品を売る特権を与えられた商人をコンプラ商人とよび、その組合をコンプラ仲間(ポルトガル語のコンプラドールからきた言葉で仲買の意、略字C.P.Dは日本最初の商標)といいました。
コンプラ瓶はコンプラ仲間が作っている「金富良商社」ブランドの瓶。
長崎のコンプラ仲間が、オランダ東インド会社V.O.Cを通じて輸出したところから通称「コンプラ瓶」と呼ばれ、波佐見の諸窯で大量に生産されました。醤油瓶にはJAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤー日本の醤油)、酒瓶には JAPANNSCHZAKY(ヤパンセ・サキー日本の酒)と書かれ、そのどっしりとした独特の形はヨーロッパ人の注文によるものと言われています。
『波佐見陶史』(昭和44年)によると・・・
この蘭瓶については、中尾皿山の人で小柳市左衛門(小柳満太郎祖父)という人が、長崎の貿易商社、コンプラ会社と長崎市古川町吉田松兵衛という人との間に一手特約を結び、小柳氏を中心に三股永尾の三皿山で、壱ケ年四十万本くらいを特約し、製造を始め取引をしていたが明治初年頃から次第に特約も減少し、明治40年頃は拾万本、大正5年頃は三万本、大正六・七年には壱万数千本の特約となり、その後醤油の製造が粗悪になってきたために、ついに注文皆無になったと言われている。この蘭瓶は醤油三合入りの徳利であった。ということらしいです。
年間40万本・・・すごい量にただただ驚きです。
こちらも常設の焼き物で、江戸時代波佐見で生産された青磁、「波佐見青磁」もしくは「三股青磁」と呼ばれます。
その優美さから日本を代表する青磁の一つと言う事が出来ます。
青磁の釉薬は、水色に近い透き通った色合いを基調とし、器の表面に、草花の模様を流れるように彫り出したものが多く見られます。
また、牡丹や梅樹の形を貼り付けた製品も作られていました。技術的に、肥前でトップレベルの青磁であり、この窯で生産されたと考えられる青磁は、滋賀県彦根城家老屋敷跡、東京都汐留遺跡 龍野藩脇坂家屋敷跡、新潟県高田城跡、宮城県仙台城跡など、主に富裕な人々の住居跡から出土しており、当時、かなりの高級品だったことが推測されます。
知れば知るほど、波佐見焼はすごいです~。
藤田コレクションも1回では紹介しきれないので、またあとでアップしようと思います。
くらわんか碗を観てみたいと思われた方は、是非波佐見町へ!
陶芸の館2Fでは、いつも絵付け職人「源さん」が皆さんをお待ちしております。
ま、妙にリアルすぎて、ちょいとばっかし恐いんですけどね・・・
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ma-mac
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