Sweet Soul

久保田利伸さんのファン歴38年
Soul R&Bが大好き by麻亜沙

その名はMOON

2005-06-12 | Weblog
出来上がったベアは
MOONちゃん。
そう、ソウル・メイトで
今夜DJをプレイするというので
プレゼントに

目黒食堂へ
目黒駅から1分と
ネットでプリントアウトして行ったけれど
やはり地図が読めない私
酒屋さんで教えてもらったのに
結局電話してしまった。

DJ MOONちゃんは、ダンサナブルなものから渋めの曲まで
(場違いな所に来ちゃったって思ったけれど)
DJって、カッコいいよね

(パペットはプレゼントに含まれていません)


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久しぶりに

2005-06-11 | Weblog
久しぶりに、ベアを作りました
タグを新しくして
Sweet Soul Bear
ちょっと肩が凝りましたぁ
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PIANO BLUES

2005-06-10 | MUSIC 
クリント・イスートウッド監督の
この映画は、監督の意向で
劇場公開されていない。
が、WOWOWで見た時は
ぶっ飛んだね(笑)

今日は、レイ・チャールズの命日だ。
最初にピアノの前に二人が座って映画が始まる。
ピアノを始めたきっかけのエピソードが
映画「Ray」と重なる。

ブギ・ウギから、ジャンプ・ブルースへと
偉大なピアニストの華麗な演奏は
今までのギターや歌にもまして
ブルースの虜となっていく。

アート・テイタムの一人なのに
まるで二人で演奏しているように聞こえ、
片手でビールを飲んでいても分からない。
感情のこもったナット・キング・コールの
弾き語りを、よく真似したとなつかしそうに
レイ・チャールズが語る。

ドクタージョンは
黄色い帽子に黄色い靴
ドクロ模様の靴下がお洒落

プロフェッサー・ロングヘアーは
壊れたピアノを修理しながら
ピアノを覚えたと言う。

ファッツ・ドミノが草原の真ん中でのピアノ演奏を
クリント・イスートウッド監督が撮った時
ヘラジカが10頭首をかしげて聞いていて
終わったらいなくなったとのエピソードに
動物もブルースが好きなんだと笑っていた。

パイントップ・パーキンスは
左腕を刺されてからは、うまく転がせないと言うと
僕は刺されていないけれど、ピアノは弾けないと
クリント・イスートウッド監督が言う。

デューク・エリントン、カウント・ベイシー、
オスカーピーターソンらの貴重な映像
ジェイ・マクシャンとデイヴ・ブルーベックの連弾
クリント・イスートウッド監督が
「ジャズもまたブルースで、アメリカが生み出した唯一の芸術」と語っている。
そして、ラストはレイ・チャールズがアメリカをブルースにして歌っている。
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WARMING BY THE DEVIL’S FIRE

2005-06-09 | MUSIC 
監督はチャールズ・バーネット
自分がブルースマンだったら
どう演奏するかと思い立ち
独自の視点で描いて
ドキュメンタリーとドラマを融合させたと言う。
母がブルースが好きで生活の一部だったが
信仰心の厚い祖母は罪深い音楽と偏見を持ち
その間で揺れていたと言う。

監督自身の経験をもとに
11歳のジュニアが一人で
ミシシッピーにやって来て
ブルースマニアの叔父さんに
ブルースを通じて大人の世界を知る。
叔父さんの部屋はまるでブルースの博物館
外のトイレまでポスタ-が貼ってある。

ドラマの間には
ベッシー・スミス、ミシシピー・ジョンハート、サン・ハウス、
ジョン・リー・フッカーらの貴重なLIVE映像が入っている。

あの、四つ辻の伝説を確かめようと
車で一晩を過ごすのだが
叔父さんは大きな鼾をかいて眠っている。
ジュニアは目を凝らして起きている。
そこに現れたものは
ジュニアが想像した幻影だった。
(そこに流れるセントルイス・ブルースがとてもいい)

伝説はあくまで伝説で
ブルースマンが自分を磨くための分岐点だったと言う。

叔父さんが伝えたかったのは
黒人文化、ブルースの真価を理解して
人生の機微を知って
後世に広めて欲しいということ。
女たらしで子どもを酒場に連れて行く
叔父さんだけど
最後は牧師になったとオチがついている(笑)


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THE ROAD TO MEMPHIS

2005-06-08 | MUSIC 
監督はウッドストックの撮影監督のリチャード・ビアーズ

メンフィスの黒人街ビールストリートの変貌を
ボビー・ラッシュ、ロスコー・ゴードン、B・B・キングを中心に
ブルースマンの私生活や音楽観も織り交ぜた映像。

ボビー・ラッシュは、ツアーバスでアメリカ中を回り
(自分でも運転する)
41年間で休んだのは6週間
バスを降りたところにギターを持った男がいて
弾かせて聞いていたが、チップだとお金を渡して
これがブルースだよと自ら弾いて歌っていた。
土曜日の夜まで歌い
日曜日の朝は教会で皆の歌を聞いている。
LIVE映像では、お尻を振るダンス(今大流行のダンス)が圧巻。

ロスコー・ゴードンは、ビールストリートで一世風靡したが
泣かず飛ばずとなると、(もっと評価されても良かったのにと自分で言っていた)
N.Y.でクリーニング店の店員となった。
しかし、またブルースをやるためにメンフィスへ、
すっかり変わったビールストリートで
ブルースを演るよと、街行く人々に声をかけている。
(店の名前をメモした紙を見たり、場所は?)
楽器店の前でデモンストレーンションをしている
ミュージシャンに声をかけられて
突然セッションを始めたのは
今なら、ラップをするのと同じ感覚なんだと思った。

B・B・キングは、子どもの頃、綿畑で
1時間に8km、12時間、週6日働いていた。
16年で地球を一周すると言う。
ビールストリートのアマチュアクラブで優勝。
それまで、黒人の音楽がラジオでゴスペルしか流れなかったのが
WDIAという黒人専門のラジオ局ができると
呼ばれてCMを即興で作るとそれでOK!
次々とヒットをとばしブルースの王様に。
しかし、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャ-ドなどの
新しい音楽の台頭に、
ボルティモアでのブーイングには、ひどく傷ついたとか。
だが、フィルモアでは白人の司会者から
「ブルース界の会長」と紹介され、95%が白人の会場
全員が立ち上がって拍手
初めてのことで、一生忘れられないとのこと。

ルーファス・トーマス、アイク・ターナーのコメントもあり
"ブルースの父"W.C.ハンディ賞に参加するために一同に会し、
あらためてブルースの力を再確認したのだった。

今まで見てきたどのDVDにも避けて通れないのが人種差別だ。
ビールストリートが小奇麗な観光地となったのも
1968年のストや暴動でも、メンフィス当局の締め付けが厳しく
黒人街が壊されたからだったそうだ。

今もパワフルなボビー・ラッシュ、堂々たる風貌で活躍するB・B・キング

ロスコー・ゴードンはツアーを始めた矢先、2002年に74歳で急逝した。(合掌)
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RED、WHITE&BLUES

2005-06-07 | MUSIC 
マイク・フィギス監督のこの映画は
イギリスにブルースが根付き
アメリカで再認識された経緯を
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック
トム・ジョーンズ、ヴァン・モリソン
ジョン・メイオール、エリック・バートンをはじめ
素晴らしいミュージシャンたちが語っている。

子どものころ、ラジオから流れてくる
ポピュラー音楽を聞いていたが
アメリカもイギリスも人種も
訳が分からないままだった。
(ビートルズやリバプールサウンドがイギリスで
プレスリーやモータウンがアメリカだという程度)

海を隔てて、フランクフルトから
米軍のラジオ番組を聞いていたとか、
レコードジャケットが厚いダンボールだったとか

ジャズからブルース、フォークソングまで
アメリカから入ってくる音楽
いや、アメリカが捨てた黒人音楽や文化を
イギリス人が拾いあげたという。

ローリング・ストーンズがアメリカへ行って
マディ・ウォーターを讃えたが、
アメリカでは、知られてなかったというエピソード。

B・B・キングは、「イギリス人がいなければ
ドアは開かれず、地獄を見たままだ」

ブルースは、シンプルなコード
3つのコードは、太陽・月・地球
神・男・女
心の底からふりしぼる真実の声
黒人も白人関係なく人間の真実
人生を歌っている。
とのミュージシャンたちのコメントに
頷くばかりである。

トム・ジョーンズが歌い
グリーンオニオンが流れ
ルルが歌う。

イギリスのプライドを感じさせる映画だった。
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昨日は、、、

2005-06-06 | Weblog
昨日の朝は、昨年7月に亡くなった親戚の直さんの一周忌を
繰上げで、五反田の会館で行った。
午後から会食が、戸越銀座のお蕎麦屋さん。
お刺身、天ぷらの他、エビフライにメンチカツ
シーフードサラダ、タコの唐揚なども出た。
食べきれないと思いながらも
最後のお蕎麦が一番美味しかった。

この会食の前後にカフェ・ベローチェで
親戚同士でコーヒーを2回も飲みながら
いろいろ話をしたが
私は2度目はもう、何もいらないと注文しなかった。
皆の旺盛な食欲に目がテン
故人を偲ぶどころではなかったのではと私には思えた。

その後、渋谷に向かう途中で
「まだ仕事、ギリギリで駆けつけるから」と
お友達からメール。
まだ時間があったので、
東急本店でのパッチワーク展を見てから
Bunkamura、オーチャードホールのKatie MeluaのLIVEへ。
若いカップルが多く、外国人も多く
静かに聞き入っていた。

終わった後、まだ外が明るく「健全なLIVEだわね」と
お腹いっぱいだけど、お茶だけならと
アフターヌーンティーへ。
食事するお友達のパスタもパンもケーキも
しっかりシェアしてもらって、ご馳走になり
おまけにお土産まで戴いてしまった次第。
本当にありがとうございました。
いろいろお話できてとても楽しかったわ


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Katie MeluaのLIVE

2005-06-05 | MUSIC 
今さっきまで、Katie Meluaを聞きながら
仕事をしていて駆けつけたお友達は、始まると
「CDより、やっぱりLIVEだわね」

なんて、透明な美しい声
身体の真ん中から湧き上がる歌声は
素直でとても温かい
ただ歌うためだけに産まれてきたかのよう
何の曇りもなく、何の技巧もフェイクもなく
聞いている者の魂を洗い流してくれたかのよう

「歌の主人公になって、その歌の雰囲気の中で
パフォーマンスするのが得意なの」と
ライナーノーツに書かれてあったが
それにしても、それだけではない
天性の何かが備わっているのだろう。

その殆どが、1stアルバム「CALL OFF THE SEARCH」から
クリスマスの頃出るらしい2ndアルバムからも1曲
客席から手拍子でブルースのカヴァーを歌う
このところ、ブルースづいている私は
いつかKatie Meluaのオリジナルのブルースを
聞いてみたいと思った。

この夜だけのLIVE
聞くことができて本当に良かった。
Katie Meluaのサイト
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Teddy Bear Voice

2005-06-04 | Weblog
テディベア協会の会報が届いた。
7月のコンベンションの案内、7/16~7/17
東京都立産業貿易センター (2・3・4階)
  東京都港区海岸1-7-8

つなみ災害義援のオークション出品ベアが掲載されていた。
ヤフーのネットオークション(企業提供で17体)
コンベンションでのシークレットオークション
そして、ハガキでの入札もできる。
展示も六本木ヒルズ展示室(6/25~7/1)

rikoさんの土佐つむぎで作ったベアが掲載されていて
よ~し、入札しようっと
好きなベア作家さんの作品もたくさんあるから、困ってしまうわ

そして、rikoさんのベベリスをこれから作らなくっちゃ

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FEEL LIKE GOING HOME

2005-06-03 | MUSIC 
ブルースのDVDはどうしたと言われそうなので(笑)
今日は、「FEEL LIKE GOING HOME」のDVDを見た。

監督はマーティン・スコセッシ
若手ブルースマンのコーリーハリスをガイド役に
伝説のブルースマンの足跡を辿り、
とうとう、アフリカまでブルースのルーツを求めて行く。

父ジョン・エイヴリーと息子アランは親子二代の民族音楽学者で、
全米各地を回り、フォーク、スピリチュアル、カウボーイ・ソング、ブルース、
などの音源を録音、収集して、国会図書館の資料用に膨大なコレクションを残した。
服役中のレッドペリーを見出し、世に出したと言われている。

様々な伝説、今やブルースそのものを象徴されている
ロバート・ジョンソンは29曲を残して27歳で亡くなっている。
旅から旅で演奏を続け、高音で切り裂くように歌い、都会的だったと言う。
残されたスーツ姿の写真は、惚れた女性からのプレゼント。
そばで歌ってくれるだけで満足したと言う。

ロバート・ジョンソンに影響を与えた、サン・ハウスは
叩きつけるように、泥臭く、ギターを弾きながら歌った。
何でもブルースにしてしまう、何とかブルースとか。
ブルースは本当は愛し合う男と女の歌なんだ。
例えば、スプーン一杯のコーヒーより
スプーン一杯の紅茶より
ひとすくいのお前の愛が欲しい・・

ドラムとファイフ(笛)の伝承者のオサー・ターナーは
95歳で亡くなるまで、現役で活躍し
娘のシャード・トーマスが後継者となった。
(この娘さんは、とても若い。まだ10代の前半みたいだが
とてもしっかりしていて、ソウルフルだ)
片手で一つのリズムを刻み
片手で違うリズムを刻むポリリズムで
アメリカでは南北戦争まで、奴隷のドラムは禁止されていたそうだ。
ファイフの響きは日本の横笛にも似ている。

コーリーハリスが向かった西アフリカ
サリフ・ケイタは、アフリカでは生まれた時から歌い
身体に音楽が沁みついていると言う。

そして、西アフリカのジョン・リー・フッカーと
言われるトゥーレと語り合って歌う
「アフリカには全てのルーツがある
伝統、歴史、伝説、科学、技術」と。
木陰でギターを弾きながらブルースを歌う
二人は本当の兄弟のようだった。

またひとつブルースの本質に触れたような気がした。



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