日本ではお馴染みの、水の流れる模様といかだ、そこに花と紐の散った様子が描かれている花筏(はないかだ)の図。皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか。
私は春らしく、涼しげでもあり、美しい、と思っていたのですが、その由来を聞いてちょっと見る目が変わりました。
そもそもはなんと、川に流された骨壷が筏から外れた姿だというのです。
昔は川に筏にくくりつけた骨壷を流し、早く紐がとけて壷が川に落ちると早く極楽にいけるとの言い伝えがあり、花筏はその跡をかたどったもの。花は、骨壷と一緒に添えられていたものなのだそうです。
極楽に行ける状態になっているのだから、不吉というわけではないのだろうが、なんだか使う場所は気をつけなくてはいけないのかなという気分になりました。(でも、茶道では何処でも使われてますね)
京都高台寺、北の政所(ねね)の菩提寺、そこには花筏蒔絵の台座がある。蒔絵師幸阿弥家(こうあみけ)が作成した“高台寺蒔絵”の中のひとつ。これはおまいりした時、実際に見ましたが、きれいな蒔絵でした。
「世は無常である。お前たちは怠らずに努力しなければならない。」という釈迦の最後の言葉から、無常とは“あらゆるものはたえず動いて、一点に留まらない。私たちの命も瞬間であり、瞬時に移り変わっていく”こととして、幸阿弥家が表現したのが花筏蒔絵の姿と言われています。筏流しは美しいが儚い、それと同じで我々も今をこそ大切に生きるべきだと伝えているわけです。こうした思想は茶の一期一会の思想にも繋がり、様々な道具やお菓子に使用されるようになったものと思われます。
これらのいわれを聞いて、それまで美しいなあとだけ思って見ていた花筏を微妙な気持ちで見るようになりました。この時期、デパートでも花筏という銘の美しい生菓子をたくさん見かけるけれど、なんだか少々複雑なのです。
ところで、花筏という名の花もあります。ミズキ科の落葉低木。山地の木陰に生え、高さ約一・五メートル。葉は卵円形で先がとがり、縁に細かいぎざぎざがある。雌雄異株。初夏、葉面の中央部に淡緑色の花をつけ、黒色の丸い実を結ぶ。別名ままっこ。花筏の名は葉の中央辺りに花や実がつく姿を筏乗りに見立てたもの。花も実も地味ですが、葉の上に花や実が付くところが珍しく、そこが鑑賞対象になっています。また花筏は春の季語にもなっています。
茶花としても使用されるのでご覧になったことがあるかもしれません。私は初めて見た時、なんとめずらしい、葉から粒が生えていると驚いたものです。
以下、花筏の写真を拝借しました。ご覧下さい。
http://foresthagyu.cool.ne.jp/flower/hana-list/hanaikada.html
私は春らしく、涼しげでもあり、美しい、と思っていたのですが、その由来を聞いてちょっと見る目が変わりました。
そもそもはなんと、川に流された骨壷が筏から外れた姿だというのです。
昔は川に筏にくくりつけた骨壷を流し、早く紐がとけて壷が川に落ちると早く極楽にいけるとの言い伝えがあり、花筏はその跡をかたどったもの。花は、骨壷と一緒に添えられていたものなのだそうです。
極楽に行ける状態になっているのだから、不吉というわけではないのだろうが、なんだか使う場所は気をつけなくてはいけないのかなという気分になりました。(でも、茶道では何処でも使われてますね)
京都高台寺、北の政所(ねね)の菩提寺、そこには花筏蒔絵の台座がある。蒔絵師幸阿弥家(こうあみけ)が作成した“高台寺蒔絵”の中のひとつ。これはおまいりした時、実際に見ましたが、きれいな蒔絵でした。
「世は無常である。お前たちは怠らずに努力しなければならない。」という釈迦の最後の言葉から、無常とは“あらゆるものはたえず動いて、一点に留まらない。私たちの命も瞬間であり、瞬時に移り変わっていく”こととして、幸阿弥家が表現したのが花筏蒔絵の姿と言われています。筏流しは美しいが儚い、それと同じで我々も今をこそ大切に生きるべきだと伝えているわけです。こうした思想は茶の一期一会の思想にも繋がり、様々な道具やお菓子に使用されるようになったものと思われます。
これらのいわれを聞いて、それまで美しいなあとだけ思って見ていた花筏を微妙な気持ちで見るようになりました。この時期、デパートでも花筏という銘の美しい生菓子をたくさん見かけるけれど、なんだか少々複雑なのです。
ところで、花筏という名の花もあります。ミズキ科の落葉低木。山地の木陰に生え、高さ約一・五メートル。葉は卵円形で先がとがり、縁に細かいぎざぎざがある。雌雄異株。初夏、葉面の中央部に淡緑色の花をつけ、黒色の丸い実を結ぶ。別名ままっこ。花筏の名は葉の中央辺りに花や実がつく姿を筏乗りに見立てたもの。花も実も地味ですが、葉の上に花や実が付くところが珍しく、そこが鑑賞対象になっています。また花筏は春の季語にもなっています。
茶花としても使用されるのでご覧になったことがあるかもしれません。私は初めて見た時、なんとめずらしい、葉から粒が生えていると驚いたものです。
以下、花筏の写真を拝借しました。ご覧下さい。
http://foresthagyu.cool.ne.jp/flower/hana-list/hanaikada.html
京都の桜も散り始め、運が良ければちょうど今頃に見られる風景です。
花筏と呼ばれるものにもいろいろあるのかもしれません。
満開の桜もいいですが、「桜吹雪に花筏」という風景も私は好きです。
思っています。
そのような由来があるとは・・・少しびっくりですが
なんとなく理解できますね。
昨年高台寺に行った際、夜間拝観で蒔絵を見たのですが
蒔絵が浮かび上がり素敵でしたよ。
お花も可愛いですよね。
どうしてこうなるんだろう?って思っちゃうよね。
なるほど~。。。
ありがとうございました。ほんとにここへ来ると勉強になります。
個性溢れる、花筏の花は大好きです♪
「花筏」の由来・・・知りませんでした。
棗の蒔絵、香合、茶碗、などはよく見かけます。
しかし・・・骨壷うんぬんって聞くとちょい不吉っぽいですが極楽に・・・って話になると一つはお道具を持っていたい気になります。
本当に色々教えてもらって・・・ありがとう♪
この日記で勉強できるから本は買わなくてもいいかも・・・
花筏にはそんな謂れがあったのですね、
骨壷流しというのもなんとも複雑なイメージがわきました。
極楽浄土が信じられていた昔は、死はずっと身近だったのでしょうね。
私もこれからは複雑な思いでみることになりそうです(^^;)
>私は花筏というのは、川や池の近くの桜から散った花びらが水面一面を覆い尽くして筏のようになる様のことだと思っていました。
今はそれが一般的な花筏の姿かもしれませんね。が、元の姿は極楽浄土に行った跡の姿だそうですよ、先生がおっしゃっていたので間違いないと思います。茶道具や菓子の世界では美しい姿だけを模すようになったのでしょう。
桜が水面一面に散った様子はまた美しいですよね。私も大好きです。
そうですね、美しい姿と思っていたら、実は儚い姿だったとは、私も知った時は驚きました。そして、おなじようになんとなく理解できるなあと思いました。
高台寺の夜間拝観、いいですねぇ。私はまだ行ったことがありません。高台寺は一般用に茶事も開催したりしていて積極的ですね。この茶事にも実は興味を持っております。
花筏の炉縁、いいですね。私は炉縁は見たことないなぁ。
個性溢れる花筏の花、確かに見るほどに面白いし、かわいらしいですね。どうしてこんなところに乗ってるの?と粒粒に聞きたくなります。