バスの中で母がお年寄りに席を譲った。母もそれなりの年になっているし、膝がいい方でもないのに、必ずそうする。偉いなと思う。でも私は譲るのを躊躇することが多い。
まだ社会人になりたての頃、バスの中で初老のご夫婦が前に立ったので、男性の方に向かって“どうぞ”と席を立った。ところが、“私はそんな年ではない”と怒りの様相で怒鳴られ、立ち上がった手前座るわけにもいかず、困って固まってしまった。隣の奥様が“折角譲って下さったんだから座れば”と進めるが、がんとして年寄りじゃないと言い張り、結局私はうつむいて座らざるを得なかった。それ以来、譲ることがトラウマになっている。よかれと思ってしたことが、思わぬ怒りを買ってしまったからである。今でも、元気だし健康かもしれないけれど、少なくとも私よりは年上なのだから座ってくれてもよかったのにと釈然としない思いが残っている。が、感じ方は人それぞれ、不用意に声をかけない方がお互いに楽なのかもとも思うようになってしまった。
若者が席を譲らないと問題になったりするが、譲られた大人の方も譲られたらお礼を言って座る勇気を持たないと益々譲る若者は減るのではないかと思う。
お年寄りでも如何にも座りたそうに若い人の席の前に立つ人もいる、譲ると当たり前のように座る人、譲られても遠慮する人、軽く遠慮した後“じゃあありがたく座らせて頂きますね”と言って座り、降りる際に丁寧にお礼を言う人、本当に様々だ。
最近は小さな子供が疲れた、座りたいといって親にごねる姿をよく見る。周囲の人が気を使って譲ると、待ってましたとばかりに子供が座り、軽く会釈するだけで子供自身にお礼を言うことを教えない親がいる。それでいいんですか、と言いたくなる。反対に、きちんとお礼を言わせたり、男の子なんだからちゃんと立ちなさい!我慢しなさいと諭す親もいた。譲られたらお礼をいい、次に自分が譲ることも子供に教えるべきだと思う。
公共交通機関で譲る譲られる姿を見ているとその人柄が見えてくる。譲ることと譲られることは難しい。そして、最近は日本人の品格が確実に落ちていることを感じて悲しくなる。詰めれば座れるのに堂々と2人分の席の真ん中に座る人、足を投げ出している人、荷物を置く人、化粧している人、飲食している人、地べたに座り込んでいる人、この国はどうなってしまったんだろう。私も会社帰り疲れて、並んでやっと座れた場合など、どうしても譲りたくないこともある。でも、最低限のマナーだけは守りたいと思う。
こんなこともあった。
白杖をついた方が切符を買おうとしていたので、“手伝いましょうか”と声をかけたら“結構です”と強い口調で断られた。と思えば、駅のホームで、“ご一緒しましょうか”と声をかけたら、“是非。いつもは主人が一緒だけど誰もいなくて困っていたの。”と喜んでもらえたり、“通勤路が昨日から変わって乗り換えにまだ慣れなくて。嬉しいけれどそちらの時間は大丈夫ですか。”とこちらへの気配りまでして下さる方にも会った。
声をかけることも譲ることと同じで難しいと感じる。相手の様子をみて押し付けがましくない声のかけ方をして、断られても不愉快にならない心を持つようにしなくては。
譲り上手、譲られ上手、声かけ上手、声かけられ上手、臨機応変ということはいつも難しい。けれど、場数を踏んで上手になるしかないのかな。嫌な思いをすることがあっても、お互いが声をかけあっているうちに日本はいい国になる気がするから。
まだ社会人になりたての頃、バスの中で初老のご夫婦が前に立ったので、男性の方に向かって“どうぞ”と席を立った。ところが、“私はそんな年ではない”と怒りの様相で怒鳴られ、立ち上がった手前座るわけにもいかず、困って固まってしまった。隣の奥様が“折角譲って下さったんだから座れば”と進めるが、がんとして年寄りじゃないと言い張り、結局私はうつむいて座らざるを得なかった。それ以来、譲ることがトラウマになっている。よかれと思ってしたことが、思わぬ怒りを買ってしまったからである。今でも、元気だし健康かもしれないけれど、少なくとも私よりは年上なのだから座ってくれてもよかったのにと釈然としない思いが残っている。が、感じ方は人それぞれ、不用意に声をかけない方がお互いに楽なのかもとも思うようになってしまった。
若者が席を譲らないと問題になったりするが、譲られた大人の方も譲られたらお礼を言って座る勇気を持たないと益々譲る若者は減るのではないかと思う。
お年寄りでも如何にも座りたそうに若い人の席の前に立つ人もいる、譲ると当たり前のように座る人、譲られても遠慮する人、軽く遠慮した後“じゃあありがたく座らせて頂きますね”と言って座り、降りる際に丁寧にお礼を言う人、本当に様々だ。
最近は小さな子供が疲れた、座りたいといって親にごねる姿をよく見る。周囲の人が気を使って譲ると、待ってましたとばかりに子供が座り、軽く会釈するだけで子供自身にお礼を言うことを教えない親がいる。それでいいんですか、と言いたくなる。反対に、きちんとお礼を言わせたり、男の子なんだからちゃんと立ちなさい!我慢しなさいと諭す親もいた。譲られたらお礼をいい、次に自分が譲ることも子供に教えるべきだと思う。
公共交通機関で譲る譲られる姿を見ているとその人柄が見えてくる。譲ることと譲られることは難しい。そして、最近は日本人の品格が確実に落ちていることを感じて悲しくなる。詰めれば座れるのに堂々と2人分の席の真ん中に座る人、足を投げ出している人、荷物を置く人、化粧している人、飲食している人、地べたに座り込んでいる人、この国はどうなってしまったんだろう。私も会社帰り疲れて、並んでやっと座れた場合など、どうしても譲りたくないこともある。でも、最低限のマナーだけは守りたいと思う。
こんなこともあった。
白杖をついた方が切符を買おうとしていたので、“手伝いましょうか”と声をかけたら“結構です”と強い口調で断られた。と思えば、駅のホームで、“ご一緒しましょうか”と声をかけたら、“是非。いつもは主人が一緒だけど誰もいなくて困っていたの。”と喜んでもらえたり、“通勤路が昨日から変わって乗り換えにまだ慣れなくて。嬉しいけれどそちらの時間は大丈夫ですか。”とこちらへの気配りまでして下さる方にも会った。
声をかけることも譲ることと同じで難しいと感じる。相手の様子をみて押し付けがましくない声のかけ方をして、断られても不愉快にならない心を持つようにしなくては。
譲り上手、譲られ上手、声かけ上手、声かけられ上手、臨機応変ということはいつも難しい。けれど、場数を踏んで上手になるしかないのかな。嫌な思いをすることがあっても、お互いが声をかけあっているうちに日本はいい国になる気がするから。
身障者の人は、自分でできることは自分でするよう訓練をしている場合があるので、その人の意思を尊重することが大切です。人によって意識も違うので難しいですね。
今日、楽焼の展示会を見てきました。
楽焼といえば、黒楽と赤楽しか知らなかったのですが、白やピンクに近い明るい色や、とても鮮やかな織部の緑が使われていたり、全体的にとても華やかな印象でした。m-tamagoさんのアドバイスどおり作家の方にお聞きしてみたら、鉱物を使い、何度も焼いたりすることによって、いい色合いが出るのだと教えていただきました。
ひとつ欲しいと思いましたが、お値段は100万円前後でした・・・。
この「小川長楽展」は東京でも9月5日~11日に日本橋三越で開催されるそうですので、ぜひどうぞ。
それはトラウマ的体験だなあ。
ただ、申し出をすべて受けなければいけないというわけではなくて、
「拒否する」権利もあるんだよね。
我々みんなに。
なので、m-tamagoさんが書いておられるとおり、
「相手の様子をみて押し付けがましくない声のかけ方をして、
断られても不愉快にならない心を持つ」
のが妥当かつ現実的な路線だと思います。
もちろん「相手が不愉快にならないよう断る」技術を身につけるとなおよさそうですね。
ところではげしく余談ですが、
これは恋愛とか人間関係にもそのままあてはまるのでは?と思いつきましたよ。
トラウマに懲りるか、懲りずにどんどんアプローチするか。人それぞれなところが。どうでしょう。
イギリスのちょっといい話があります。
イギリスにいた間はこんな出会いを求めていたのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/fifeanddrum/diary/200509010000
一度読んでみてくでさい!
実際、声をかけるのは、ごくたまにですねぇ。。。
電車やバスだけでなく、いろんな場面で声かけることは無くなってますよね。
危ない人も多いし(汗)
ちょっとした勇気なんでしょうが、現実にはなかなか難しいですねぇ。
電車で、席を譲って、笑顔で御礼言われたりするのは、
嬉しいことだけは確かですね^^
うとましがられることもあると思いますが、
まぁ、前向きに譲っていきたいと思います^^
席を譲られた経験がありません。
(喜寿の白髪のばあさんなのに)・・
譲りたく見えないのは母さんのせいじゃないと
娘は言います。それだけピンとしていると言う
事かな これって自慢れですよね
譲って下さるかたの心の逡巡を気付かせて
もらいました。
譲る譲らないは時と場合、人によって、難しいですね。
さて、楽焼の展示会、よかったようですね。
「小川長楽展」東京の展示会を楽しみに待つことにします。秋ですね!教えて下さってありがとう。
私も先日永楽(保全・和全)展を見てきましたので、近いうちに感想をアップしますね。
「拒否する」権利、まさにそうですね!
「相手が不愉快にならないよう断る」技術、これまた大切ですね!!
>これは恋愛とか人間関係にもそのままあてはまるのでは?と思いつきましたよ。
なるほど~。譲る譲らないと同じで諦めずに頑張った方が幸せがくるってことかな?!
ちょっといい話をありがとう。
どの国でも、人間、お互いに労わりあう、思いやる心が大切ということですね。
そういう意味で日本は最近自分だけしか見えていない人が多くなってしまった気がします。自戒も含めて。
なかなか難しいですね。私も迷い迷って止めてしまうことが多くなってきているかも。
でも、やっぱり笑顔で譲り譲られる、そうなれるといいですね。
グランマさんは元気で溌剌となさっているのですね、きっと。
私はこの人は妊婦さんなんだろうか、それとも太っているだけだろうか、と迷って止めることがあります。間違えたら失礼ですし。
それから見た目白髪でも生き生きとした表情の方にはちょっと迷うかもしれません。やっぱり一筋縄ではいきません、譲ることは。。。。