友人宅で1歳半のぼうやに会った。両親とぼうやと私でランチに行き、帰り道、まだ危なげに歩くぼうやがパパに手をさしのべる。パパは少し先に先に手をやり、ぼうやは手をつかもうと歩き続ける。トコトコトコ、やっと、手を繋げた、うれしそうにぼうやが笑った。微笑ましかった。
当然のことながら初対面の私にはちょっと警戒気味だった。数時間後、彼の中でようやく私は認められたらしい。大好きな音楽に合わせて躍る時、右手をママとつなぎ、次に左手を私の方に出してくれた。さしのべられた手は、かわいらしく、いとしく、なんだか、私はじーんとしてしまった。「手、つないでくれるの?」と思わずにっこり。握った手は柔らかく温かく、体温が心地よかった。
本で読んだことがある。子供は一日最低6回は抱きしめた方がよいのだそうだ。そうすると安心して、精神的に落ち着く、いい子に育つ。
思えば、子供だけじゃない、大人もきっといつも誰かに抱きしめられたいと思っている。でも、悲しいことにいつの頃からか抱きしめられる理由を失ってしまうのだ。欧米人は挨拶代わりにハグするが、日本人はそれすらない。お互いに心地よい体温を感じることなんて皆無に等しい。だから、ごく自然に親に手をさしだせる時が過ぎてしまったら、親のさしのべた手を握り返すのが恥ずかしくなってしまったら、代わりに恋人を探して、抱きしめてもらい、お互いに安心するのだろう。
おばのところに遊びに行った時、飼っていた猫が寄ってきて私の膝の真横で丸くなって眠り始めた。伝わってくる体温は温かかった。少し動いて離れると、寝ているはずの猫が立ってぴとっとまた私の膝にくっついて眠るのだ。猫もまた体温を感じて安心して寝ているに違いない。
ぬくもりを感じる時はこの世にひとりでないことを実感する時なのかもしれない。
体温という物理的なぬくもり以外に、心のぬくもりを感じることもある。相手の真心を感じる時、思いがけず優しい言葉をかけてもらった時など、人はほのぼのとやさしい気持ちになる。
茶席もまたそれを実現する場となる。相手の為に、部屋を整え、準備をし、おいしい食事と抹茶でもてなす。どうぞゆっくりくつろいで下さい、と心を尽くす。
利休様の時代に茶室は急激に狭くなったが、これは狭い緊張感から非日常を感じさせる効果以外に、物理的にお互いのぬくもりを感じあう効果もあったのだろう。茶室(小間)とは物理的なぬくもりと、精神的なぬくもりが融合して、最高のぬくもりを生む場所といえるかもしれない。
当然のことながら初対面の私にはちょっと警戒気味だった。数時間後、彼の中でようやく私は認められたらしい。大好きな音楽に合わせて躍る時、右手をママとつなぎ、次に左手を私の方に出してくれた。さしのべられた手は、かわいらしく、いとしく、なんだか、私はじーんとしてしまった。「手、つないでくれるの?」と思わずにっこり。握った手は柔らかく温かく、体温が心地よかった。
本で読んだことがある。子供は一日最低6回は抱きしめた方がよいのだそうだ。そうすると安心して、精神的に落ち着く、いい子に育つ。
思えば、子供だけじゃない、大人もきっといつも誰かに抱きしめられたいと思っている。でも、悲しいことにいつの頃からか抱きしめられる理由を失ってしまうのだ。欧米人は挨拶代わりにハグするが、日本人はそれすらない。お互いに心地よい体温を感じることなんて皆無に等しい。だから、ごく自然に親に手をさしだせる時が過ぎてしまったら、親のさしのべた手を握り返すのが恥ずかしくなってしまったら、代わりに恋人を探して、抱きしめてもらい、お互いに安心するのだろう。
おばのところに遊びに行った時、飼っていた猫が寄ってきて私の膝の真横で丸くなって眠り始めた。伝わってくる体温は温かかった。少し動いて離れると、寝ているはずの猫が立ってぴとっとまた私の膝にくっついて眠るのだ。猫もまた体温を感じて安心して寝ているに違いない。
ぬくもりを感じる時はこの世にひとりでないことを実感する時なのかもしれない。
体温という物理的なぬくもり以外に、心のぬくもりを感じることもある。相手の真心を感じる時、思いがけず優しい言葉をかけてもらった時など、人はほのぼのとやさしい気持ちになる。
茶席もまたそれを実現する場となる。相手の為に、部屋を整え、準備をし、おいしい食事と抹茶でもてなす。どうぞゆっくりくつろいで下さい、と心を尽くす。
利休様の時代に茶室は急激に狭くなったが、これは狭い緊張感から非日常を感じさせる効果以外に、物理的にお互いのぬくもりを感じあう効果もあったのだろう。茶室(小間)とは物理的なぬくもりと、精神的なぬくもりが融合して、最高のぬくもりを生む場所といえるかもしれない。
やわらかくてあったかいものはいいですね。猫もね。
ハグ&握手、ただいまは(相手が受けてくれそうな人なら)積極的にする派です。
幼少のみぎりにはすごく苦手でしたが、20代中盤あたりからできるようになりました。
そのころ、まわりにそれを習慣にしてる人(日本人だけど)が増えて、慣れたことが原因だと思います。
お茶とつながるとは思いもよらず、読み進めてきてなるほど、です。
握手は時々するけれど、ハグはなかなか照れますね。
私は慣れてないなぁ。でも、今度ukiki01さんに会う時はハグしてみましょう、是非。
茶室は、私にとって習い始めは固い緊張の場でしたが、今は釜から湯気が上がっている様子に和み、床の間の花を眺めたり、おいしいお菓子と抹茶、皆さんとの会話を楽しんだりする余裕もでき、優しいぬくもりの場となりました。
ホストファミリーが一人一人ハグ、それはうるうる感動体験だね。
思えば私も小さい頃は両親にたくさん抱っこしてもらったものでした。今はほとんどないわ。。。ある意味不自然よね。
毎日ハグハグ生活はきっと幸せをたくさん運んでくれるよね。老若男女問わず、1日6回/人 ハグが必要ってことかな。
その坊やの様子が、目に浮かぶようです。
小さい頃は、どこの誰の子でも、あんなに愛おしいほどに可愛いのに、大人になると・・・。
街を歩いていて、泣いている子供を抱きしめてあげているお母さんを、時々ですが見かける事があります。
そんな姿を見ると、僕はとてもほっとします。
でも抱きしめられたい今の自分がいます。
年をとっても抱きしめられたい!
本当に、子供はかわいいですね。大人でもかわいい人はいますけどネ。
本当に抱きしめるというのは最高の愛情表現ですね。
迷子のお迎えにきたお母さん、怒っている人が多いけど、子供ははぐれて不安だったんだからまず抱きしめてあげて!と思ってしまいます。
スジャータさんはお子さんを抱きしめながら、抱きしめてもらってもいるんですよね。
私もいつも抱きしめてもらえるように、誰かを抱きしめられるようにあったかい人間でいたいと思います。準備は万端なつもりなんですが現実は?!
もう子供と手をつなぐことも少なくなりました(笑)
ちょっとした優しい一言で、親密になれますね^^
でも、手を繋いだり、抱っこしてもらったことは愛されているって理屈なく感じられることだったんだなあと今になって思います。
やっぱりスキンシップ、優しい一言、心遣い、色々なぬくもりから親密になれますね。