伊藤とし子のひとりごと

佐倉市議会議員4期目
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FoEドイツ フーベルト・ヴァイガー氏講演録「チェルノブイリ後のドイツ・欧州」

2011-09-24 08:37:14 | 放射能問題
9月22日衆院議員会館でドイツのミュンヘン大学教授で環境団体FoEドイツの代表のフーベルト・ヴァイガー氏の講演があった。
残念ながら台風のため、参加できなかったが、
ustream
http://www.ustream.tv/recorded/17407792
を見つけた。

パワーポイントの資料は
チェルノブイリ事故の影響とドイツの市民運動

要録しました。

 FoEドイツは、50万人の会員を持つドイツ最大の環境団体。
1975年に発足した。
86年のチェルノブイリ原発事故以前から、原子力問題を活動の重要なテーマに掲げてきた。
 
 25年前のチェルノブイリ原発事故により100種類もの核種が大気中に拡散された。
原子炉の中の放射能の3~4%がヨーロッパに拡散された。
事故はソビエト下で起こったため、直後隠されており、36時間たって近隣諸国に知らされた。
30km圏内、150万ベクレルを基準として避難措置が取られた。
今も人は立ち入ることが出来ない地域となっているが、一部の高齢者が住んでいる。
 
 事故後1カ月後 ヨウ素剤が配られたが、遅すぎることだった。
チェルノブイリでは除染が行われたが、除染というのは衣服や靴を洗って放射性物質を直接取り除くことで可能であり、
広範囲の汚染に対しては除染は不可能である。
土を50cm取り除かなけれ効果がない。山林、森林を除染する事は木を切り土を取り除かなければならないが、岩肌だけの山になってしまう。
不可能なことだ。
高濃度の汚染地域からは妊婦や子どもは避難することしかできない。
 
 80万人のソビエトの若者が作業をしたが、30万人が被ばくをし、公式発表では2万5千人が死亡した。
直接の放射線で死んだのではなく、様々な病気、たとえばガンなどで死亡した。
最も悲劇的なことは、直接的な放射線による死だけでなく、低線量被ばくによる様々な病気での死亡である事である。
事故による放射能汚染は広くヨーロッパを汚染した。

 チェルノブイリとベラルーシ、2か所高い汚染地域をつくった。
ベラルーシは300km~500km離れているが、特にベラルーシの国境沿い地域は原発があったところより高濃度で汚染されていた。
 
 ドイツは2000km離れているにもかかわらず深刻な影響を受けた。
WHO、IAEAの公式報告によると40名の死者が報告され、2005年までには4000名の死者が報告されている。
 それとは別にベラルーシでは、独立研究者によるとすでに10万人~20万人の死亡者が、さらにこれからの10年で50万人のがん死亡者が出るであろうと言われている。
 また、がれき撤去の作業者が健常者に比べて2倍の速度で老化していると報告されている。
ベラルーシの死産と乳幼児の死亡率が明らかに高くなっており、先天性奇形も放射線の影響のないところと比べて明らかに高い。
ゴメリはチェルノブイリと同程度に汚染された場所だが、0歳~18歳の甲状腺がんの発生率が13年前から比べて58倍に増加した。
ベラルーシのガン罹患率は39.8%増加した。
1987年ミュンヘン大学の教授が甲状腺がん研究所を寄付により設立して、10万人の子どもたちを診察した。
 
 政府による公式発表は、過度に恐れる人間の心理状況により健康被害が起こる、微量の放射線が健康促進作用があるとさえ言われた。
こうした無責任なことが一部の放射線研究者のあいだで言われていたが、全く事実ではなく、追加的な放射線は少しでも危険な物である。
 ソビエトは個人の財産がなかったので、補償の支払い、移住の計画は最低限の範囲で、救済プログラムが実施された。
 
 ドイツへの影響は、南ドイツが汚染され、ひどい所では8万~12万ベクレル/km2。
これは事故から2週間後雨が降ったため。
1988年2年後に発表されるまで、これほどの汚染が起こっていることは発表されず、過小評価されていた。
あまりにも無責任な対応で、事故後2週間は放射性ヨウ素が残存しており、子ども達は外に出たり雨にあったってはいけなかった。
 一方オーストリアも汚染が高かったが、ドイツより早く対策がとられた。
 1986年当時、オーストリアは原発反対だったが、ドイツは推進していた。
 
 政府が何も動かないためFoEドイツは独自に活動を始めた。
放射線測定器を購入して市民の測定拠点をつくり、情報公開し人々に伝えていく広報活動を行い、毎年4月26日をチェルノブイリデイとして忘れないよう大きなデモを行ってきた。
 ミュンヘン大学放射線医学研究者のリンクフェルダー教授を支援して、ドイツチェルノブイリ救援連盟を設立し、寄付を募って1992年ゴメリに甲状腺がん研究所設立に協力した。
 チェルノブイリの子どもたちを放射線の影響の少なくなったドイツに呼んで、保養プログラムを行った。
 
 チェルノブイリと福島で起こっていることは同じ状況にある。
政府が沈黙している事、
被害を過小評価しようとしている事、
様々な基準値が引き上げられている事、
避難区域を補償しなければならないという経済的理由によって小さくされている事。
これは、子どもを守る理由からではない。


 チェルノブイリと福島は状況は多少異なるが、あまりにも大きな事故であり、その影響にあって人々が何もなすすべがないことでは同じである。
大きな原子力事故の前でなにもできなくなっている。
放射能は目に見えず、匂いもないため、気づくことが出来ない。
必要なのは政府による客観的な情報公開であり、子どもを真っ先に守るべきであり、原子力産業を守ることをしてはいけない。 
 
 私たちが出来ることはお互いに支え合う事、
政治的な圧力をかけ続ける事、
できる限り健康的な生活をすること、
汚染されていない食べ物を食べる事、
除染をできるだけすること。

 
 このような問題が起こってしまったあとでは、解決する事は不可能である。
これと付き合って生きていかなければならない。
今すべきことは、原子力発電をすぐに止めることである。

以上

質疑応答から

 ドイツでは追加放射線量の基準は1㍉シーベルト/年間。EUでは1㍉から5㍉シーベルト/年間。
 食品の基準値はチェルノブイリ事故後引き上げられた。引き上げないとドイツの農作物が売れなくなるから。
引き上げられたことに市民はおかしいと気付いた。批判的な声が脱原発の声ににつながていった。
 
 ドイツで立ち上がったのは農家の人々だった。農家が大きな被害を受けたため、自分たちの声を政治に届けていかなければならいと立ち上がった。
 福島でも放射能が農産物を捨てなければならなくなったが、十分な補償がなされていない。

 福島の事故が起こって脱原発の動きが起こった訳ではない。
2022年脱原発を2035年に延ばし、それをまた2022年に戻すためにメルケルさんは自分の党に説明する必要があった。本年5月に8基の古い危険な原発は止められたが、その他の9基の原発をいつ止めるのかが問題になったが、右派も脱原発という同じポジションに立った。2010年に原発の延長という問題が起こった時、10万人のデモ、ほとんどが若い人達のデモが起こった。
 
 政府の懐柔策について、ドイツでも同じように「放射線は大丈夫だ」ということを言った。
医者や研究者の独立研究者のグループを作り、政府の発表がまちがっていると訴えていった。
産業界や国の影響していない学者が積極的に事実を公表していった事が決定的なことだった

 ミュンヘン近くの放射線汚染について、全く発表がなされなかったので、独自の放射線調査をして発表していった。
放射線地図が2年後公表されたことで、自分たちの調査が正しいと検証された。
 
 ドイツと違うのはフランスが核兵器を持っていること。
パリでも大きなデモが起こっているが、それが日本と同じで政治に届いていない。
 ドイツ市民とフランス市民が協力して、2つの原発、ヘッセンとカデノ原発反対運動をしていた。
ストラスブルグ議会で脱原発と決定した。
 
 ドイツ政府はソビエト政府に賠償を求めなかった。
しないうちにソビエト政府の崩壊が起こり、できなくなってしまった。

 原子力産業に税金がつぎ込まれたことはドイツでも同じ。600億~700億ユーロが注がれた。
原子力産業が政府に保証されない。もし事故があればあまりにも計り知れない被害になる。
日本で賠償機構があるが、国民すべてが原子炉一つのために税金を払う事になる。
 フランス、ドイツでも日本と似た状況で、原子力産業が政府と密接な関係にある。
ドイツには4つの原子力業界があるが、原子力災害を目の当たりにしてあきらめようと結論を下した一方、50万人が原子力に頼らない、自然エネルギーを選んでいる。
これが原子力を止める大きな力になった。。

 
 ヨウ素131は消えるが、まだ南の地域には1万~2万ベクレル/m2いう汚染が残っており、セシウム137の汚染でキノコや野生のイノシシから基準を上回る値が検出されている。
 
 個人個人でしなければならないことは、子どもたちのためにできるだけ自然に育てられた健康的な汚染されていない食物を食べることである。

感想 
 原発村はどこの国でも大きな利権の構造である。
しかしドイツでは送発電が分離されているため、国民の電源選択が出来るた。
また、地道な独立研究者が情報を発信し続けていることも、大きな力となっている。
私たちは正確な情報を得て、自分達で正しい選択を行っていかなければならない。
そうすると自ずと、原発は早急に止めなければならなという結論に達するだろう。
ドイツのように。
今、若者が声を出し、行動を始めている。
これは政府にとってはとても嫌なことだろう。弾圧も起こっている。
しかし、自分たちの国の方向性を自分たちで選択する権利は誰にも止められない。

 私たちはきちんと現実を見て、海外からの事例から得た情報を使って、
政府に対してきちんとした情報公開をすること、政策を行う事を求めて、
声を大にして活動をしていくべきと改めて思った。



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