4月26日は福島原発震災情報連絡センター 主催のバスツアー。
昨年同様楢葉町から富岡町 夜ノ森まで。
年間20ミリシーベルトまで大丈夫ということで、福島県も国も被災者を帰還させようとしている。
しかし、原発事故前はICRPも追加被ばくを年間1ミリシーベルトと言っていた。
それも外部被ばくと内部被ばくを合わせてのはずだ。
国は外部被ばくを年間1ミリシーベルトに抑えるため時間当たり0.23μシーベルトと基準を決めて除染しているが、
それでも決して大丈夫とは言えないのだが、
山下俊一福島県立医大副学長を始め御用学者たちは無責任にも年間20ミリシーベルトを唱えている。。
まずは、いわき市の隣の広野町。
事故前は人口4500人。
Jビレッジがあったかつては、温暖な気候で観光客も多かったと聞く。
2年前、民主党の「原発のない社会を目指すグリーンテーブル」主催でJビレッジに視察に行ったことがあるが、椅子の背に中田選手たちスタープレイヤーの名前が残っていて、何とも言えない気持ちになった。
現在は1200人戻ってきているが、
小中学校には、いわき市からスクールバスで通ってきているという。
楢葉町
避難指示の中、年間20ミリシーベルトまでは帰す、という方針が出ている。
3月で宅地はすべて本格除染が終了した。
日中立ち入り自由になっている。
津波被害にあった家はそのまま。
楢葉町の帰還に合わせて常磐線も運行を予定している。
常磐線の砕石もすべて除染した。
竜田駅もきれいになっていた。
自転車置き場には3年前から自転車が主を待っているようで、もの悲しい。
住民が避難した後は窃盗団が入ったということだった。
現在いつ解除するか、カウントダウンの段階らしい。
見晴らし台で 毎時0.5μSv。
除染作業で集めたフレコンの山。
川内村
3割戻っているというが 1週間のうち4日間戻ったら帰還とみなしている、ということだった。
井出川河口の破片からプルトニウムが見つかった。
そのほかのベータ核種も見つかっている。
富岡町
車内でも0.4μSv/h。
頭が痛くなってきた
大野博美さんは反対に頭がさえて来たそうだ。
血管がぴりぴりしている、という人もいた。
人それぞれ症状が違い、毎回私は頭が重くなってくる。
車道には地震での地割もまだある。
タイベックを着て日中の立ち入りが許可されている。
人影は見当たらない。
ただ、家に帰ってきているらしい車が庭に留まっている。
富岡駅は海がそばなので線量が低くなっている。
それでも時間当たり0.6μSv
3年前から時間が止まったままだが、それでも、
4月から駅周辺から30mは除染が始まり、避難解除準備区域になっている。
駅前の店。
家の中にすっぽりと入った軽自動車。
それ以外は手つかずで居住制限区域と帰宅困難区域が混在している富岡町。
年間20ミリSvまでは 避難指示解除準備区域
年間20~50ミリSvが 居住制限区域
年間50ミリSVが 帰宅困難区域
国交省が許可しないような水での除染作業を当初環境省は認めていた。
バスの中でも時間当たり1.6μSv
富岡第二小学校の校庭で 4マイクロシーベルトだったとか。
モニタリングポストは
↓
中学校 のモニタリングは
↓
桜の名所夜の森で、時間当たり1.36μSV(車内で)
う~!頭が締め付けられる!!
外で立っている人は、いったいどれくらい被ばくしているのか?
除染作業で体調が悪い人が出ている。
除染作業では原発労働者より3倍もの内部被ばくをしているそうだ。
心筋梗塞で死亡例など循環器系疾患で低線量被ばくの症状が出ている。
帰宅困難区域では、雨どいの下で時間あたり20~30μSv。
佐藤和良さんは知人の家で雨どいの下から時間当たり120μSvを実測したそうだ。
今年は小鳥が少ないと言っている。
そういえば、いわき市湯本の「ゆったり館」周辺ではウグイスの鳴き声が響き渡っていたのに。
外は6μSv
車内1.37μSv。
いわきへの帰り道。海岸に沿って7.8mの堤防がすでに出来上がっていた。
昨年同様楢葉町から富岡町 夜ノ森まで。
年間20ミリシーベルトまで大丈夫ということで、福島県も国も被災者を帰還させようとしている。
しかし、原発事故前はICRPも追加被ばくを年間1ミリシーベルトと言っていた。
それも外部被ばくと内部被ばくを合わせてのはずだ。
国は外部被ばくを年間1ミリシーベルトに抑えるため時間当たり0.23μシーベルトと基準を決めて除染しているが、
それでも決して大丈夫とは言えないのだが、
山下俊一福島県立医大副学長を始め御用学者たちは無責任にも年間20ミリシーベルトを唱えている。。
まずは、いわき市の隣の広野町。
事故前は人口4500人。
Jビレッジがあったかつては、温暖な気候で観光客も多かったと聞く。
2年前、民主党の「原発のない社会を目指すグリーンテーブル」主催でJビレッジに視察に行ったことがあるが、椅子の背に中田選手たちスタープレイヤーの名前が残っていて、何とも言えない気持ちになった。
現在は1200人戻ってきているが、
小中学校には、いわき市からスクールバスで通ってきているという。
楢葉町
避難指示の中、年間20ミリシーベルトまでは帰す、という方針が出ている。
3月で宅地はすべて本格除染が終了した。
日中立ち入り自由になっている。
津波被害にあった家はそのまま。
楢葉町の帰還に合わせて常磐線も運行を予定している。
常磐線の砕石もすべて除染した。
竜田駅もきれいになっていた。
自転車置き場には3年前から自転車が主を待っているようで、もの悲しい。
住民が避難した後は窃盗団が入ったということだった。
現在いつ解除するか、カウントダウンの段階らしい。
見晴らし台で 毎時0.5μSv。
除染作業で集めたフレコンの山。
川内村
3割戻っているというが 1週間のうち4日間戻ったら帰還とみなしている、ということだった。
井出川河口の破片からプルトニウムが見つかった。
そのほかのベータ核種も見つかっている。
富岡町
車内でも0.4μSv/h。
頭が痛くなってきた
大野博美さんは反対に頭がさえて来たそうだ。
血管がぴりぴりしている、という人もいた。
人それぞれ症状が違い、毎回私は頭が重くなってくる。
車道には地震での地割もまだある。
タイベックを着て日中の立ち入りが許可されている。
人影は見当たらない。
ただ、家に帰ってきているらしい車が庭に留まっている。
富岡駅は海がそばなので線量が低くなっている。
それでも時間当たり0.6μSv
3年前から時間が止まったままだが、それでも、
4月から駅周辺から30mは除染が始まり、避難解除準備区域になっている。
駅前の店。
家の中にすっぽりと入った軽自動車。
それ以外は手つかずで居住制限区域と帰宅困難区域が混在している富岡町。
年間20ミリSvまでは 避難指示解除準備区域
年間20~50ミリSvが 居住制限区域
年間50ミリSVが 帰宅困難区域
国交省が許可しないような水での除染作業を当初環境省は認めていた。
バスの中でも時間当たり1.6μSv
富岡第二小学校の校庭で 4マイクロシーベルトだったとか。
モニタリングポストは
↓
中学校 のモニタリングは
↓
桜の名所夜の森で、時間当たり1.36μSV(車内で)
う~!頭が締め付けられる!!
外で立っている人は、いったいどれくらい被ばくしているのか?
除染作業で体調が悪い人が出ている。
除染作業では原発労働者より3倍もの内部被ばくをしているそうだ。
心筋梗塞で死亡例など循環器系疾患で低線量被ばくの症状が出ている。
帰宅困難区域では、雨どいの下で時間あたり20~30μSv。
佐藤和良さんは知人の家で雨どいの下から時間当たり120μSvを実測したそうだ。
今年は小鳥が少ないと言っている。
そういえば、いわき市湯本の「ゆったり館」周辺ではウグイスの鳴き声が響き渡っていたのに。
外は6μSv
車内1.37μSv。
いわきへの帰り道。海岸に沿って7.8mの堤防がすでに出来上がっていた。