Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

台風クラブ

2006-11-11 | 日本映画(た行)
★★★★★  1985年/日本 監督/相米慎二

「突き放した視線」


台風の接近とともに、突然狂気に襲われた中学三年生たちの四日間を描く、青春映画の傑作。(以下、ネタバレです)

青春映画というジャンルでは私の中の「ベスト1」かも。台風が近づくことによって顕在化してくる中学生のもやもやが、鮮烈に描かれている。タイトル、そして相米慎二が描く青春映画ということで、爽やかな作品を想像する方もいるかも知れないが、さにあらず。

冒頭、夜のプールサイドで踊り出す女子中学生グループがひとりの男子学生の水着をひっぺがし、はしゃぎながら互いに頭を押さえつけ溺死寸前に追いやってしまうことで物語は始まる。無邪気にひそむ子供たちの残酷さ。オープニングからスリリングな展開を予想させる。そして、主人公である女子中学生の自慰、好きな女の子にやけどさせ、レイプ寸前まで追いかけ回す男子生徒、暴風雨の中の裸踊り、そして物思いにふける男子生徒の自殺、とまあ、実に衝撃的な内容のオンパレード。ところが、相米慎二監督は、それを衝撃的な演出では決して描かず、実に淡々と、子供たちを突き放した視線で捉えている。そこが私はこの作品のすばらしいところだと思っている。

中学生が抱えるもやもやした感じを、映像として実に巧みに見せているところもこの作品が相米慎二監督の最高傑作として誉れ高いゆえんだろう。例えば、台風接近で誰もいなくなった教室で好きな女の子を追いかけ回す男子が執拗に教室のドアを蹴り続けるシーン。その執拗さはかなりゾッとするし、自殺を決意した男子が飛び降りるための階段を作るため、延々と机と椅子を並べるシーンも、一見退屈なシーンのように見えて彼がこれから為すことを考えればひとつの儀式を行っているようにも見え興味深い。他にも印象に残るシーンは本当にたくさんあって、数え始めるときりがない。

いいかげんな大人を代表する先生役を三浦友和が好演。すでに、この頃から先生に希望なんか見いだしてないんだな、というのが実によくわかる。それにしてもこの役、ほんといいね。甘いマスクで一見人の良さそうなお兄さんに見えるだけに、ちょっとイヤな奴を演じるとすごいハマる。現在、いろんな邦画に出てるけど、この作品から今の三浦友和的味わいが出てるんだね。

さて、中学生の狂気を描く、ということでは、私は岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」を思い出さずにはいられない。私は、「リリィ・シュシュのすべて」という映画が好きではない。なぜ、こんなにも「リリィ・シュシュのすべて」が嫌いなんだろう、と思っていたのだが、今回「台風クラブ」を改めて見てその理由がわかったような気がした。それは作り手である大人の視点である。

もちろん、映画の感じ方は人それぞれだからいろいろあるんだろうけれども、私は「リリィ・シュシュのすべて」を見て、「子供におもねる大人」を感じ取ったんだと思う。今どきの子供はこんなに闇を抱えている、かわいそうでしょ?それをボクはとても理解しているんだ、と岩井監督は言っているような気がして仕方ならない。しかし、「台風クラブ」の相米監督は、彼らが抱える狂気には距離を取って、あくまでも大人の冷静な視点でとらえている。

確かに現代の子供たちは過酷な現実を生きている。しかし、1985年の作品でも取り出されているモチーフは、今とほとんど変わらないのだ。まあ、「リリィ・シュシュ」のメインテーマは「いじめ」なので、暗くなるのはしょうがないとしても、そこには未来も希望もない。それを大人が発信して何になると言うのだ。「台風クラブ」のラストシーン、水だまりで埋まった校舎を見て主人公の工藤夕貴は「なんてきれい」とつぶやく。彼女はボーイフレンドが自殺したことを知らない。しかし、このラストシーンが象徴する彼らの未来は、決して暗闇なんかではない。大人は子供たちに現実のつらさを教えることはあっても、決して希望がないなんて、突きつけてはいけないと私は思うのだ。

着火!

2006-11-08 | 木の家の暮らし
昼間はポカポカ暖かいのに、夕方からグ~ンと冷え込みます。
なもんで、とうとう昨晩薪ストーブに火が入りました。

煙突掃除もしたし、よく燃えます!
あったかいですっ!
炎が楽しいです!
ああ~やっぱ薪ストーブは楽しいな。

上の写真は、少し扉を開けて空気を入れつつ燃やしている初期段階。


ぼうぼう燃え始めるとしっかり扉をしめます。
ゆらゆら炎はいろんな形を変えるので、みていて飽きません。

ベロニカは死ぬことにした

2006-11-07 | 日本映画(は行)
★★★ 2005年/日本 監督/堀江慶

「ツンとすました感じが受け入れがたい」


図書館に勤めるトワは「明日がわかる」退屈な毎日にピリオドを打つために「大嫌いな私へ」と遺書を書いて自殺未遂を図る。ところが、目覚めたのは精神病院の中。しかも、自分の命は後一週間ほどだと医師に宣告されるが…

有名な小説が原作と言うことだけど、未読なのであくまでも映画の一作品として感想を書きます。

精神病院のユニークな患者たちの演技は興味深い一方で、ちょっと作り手の自己陶酔的な匂いを感じて気になる。個性的な人々が集い、自由気ままに生きているというシチュエーションは、「メゾン・ド・ヒミコ」を思い出させる。あの作品もゲイの人々の影響を受けて、生きる気力を失っていた沙織が自分自身を取り戻していくのだけど、この作品には私はあまり共感が持てなかった。

精神病院を描くというのは、本当に難しい。彼らの奇妙だけど、人間味のある行動は、人が本来持っているものは何かを訴えてくれる。だけれども、今作では演劇的な演出とセリフの言い回しによって、「精神病患者を演じています」ということをビシバシ感じてしまって、正直冷めた目線になってしまった。そこからは、とても作品に感情移入することができず、上っ面をなぞるような観賞になってしまった。

「メゾン・ド・ヒミコ」で沙織は決して自分を受け入れることのないゲイの男を好きになり、そこから新たな自分を見いだしていく。しかし、今作はクロードなる人物になぜトワがひかれてゆくのかもよくわからないし、クロードの人物造形があまりにも陳腐で弱い。

淡路恵子、風吹ジュン、中島朋子、市川正規、片桐はいり。このあたりの脇役陣をビッグ・ネームで固めすぎたのが、かえって災いしたんじゃないかな。トワの空虚さをあぶり出すことにもっと心血注いだ方が良かったように感じる。きれいな映像なんだけど、このテーマならもっとぎゅっと心をつかまれるような瞬間がないと。

私は究極的に映画は「生」と「死」を描くためにあると思っていて、そのどちらにも「性」を描くことは不可欠だと思ってる。だから、死を前にした彼女が性、すなわちセックスを意識するということは、極めて自然な流れだと思う。でも、そこに行き着くまでにトワからあふれてくるものをもっと伝えて欲しい。精神病院という「ハコ」をいかに美しくおとぎ話のお城のように描くかに、ポイントが大きく置かれてしまったようなそんな気がして仕方がない。

おこぼれに預かったことなし

2006-11-06 | 野菜作りと田舎の食
このあたりの山は松茸山が多いが、そのおこぼれに預かったことはほとんどない…
期間中山ごと業者が買い取って、市場に売られていくわけだから、当たり前って言えば当たり前なんだが。

地元の人も、山の入札に参加できるようだ。
が、しかし私のようなよそ者には依然その仕組みはベールに包まれている…
まあ、どうしても食べたい!なんてしろものでもないですけどね。
目の前にこの看板あるのになあ…なんか複雑な心境。

リンダ・リンダ・リンダ

2006-11-05 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2005年/日本 監督/山下敦弘

「文化祭のユルい雰囲気が、ものすごリアル」


ペ・ドゥナのとっぽい雰囲気が見事にこのゆるい感じと融合。独特の雰囲気を作りだしている。適当に探したボーカルを入れて女子高生がバンド練習する、文化祭発表までの3日間を描いているんだけれども、何とかしなきゃ!っていう緊迫感もないし、発表できたときのカタルシスもすごい大きいわけじゃない。そこんところが、逆に今どきの女子高生っぽくって、すんごいリアルなのだ。

もちろん、がんばって練習してるんだよ。夜の学校に集まって、寝不足になって、スタジオも借りて日夜練習してる。だけども、「必死さ」はないんだ。あくまでも、みんなマイペース。その肩の力が抜けまくった演出が、見事に自分の学生時代を思い出させてくれる。ペ・ドゥナが練習室に来ても、他のメンバーがメールしてたりして、なかなか練習が始まらない。だから、教室を出てぶらぶらして帰ってきたら「ソンちゃん、遅いよ~」とかみんなに言われて。やる気あるんだか、ないんだか、よくわかんないこの感じがすごい笑える。で、こういうイベントごとのある時に決まって告白する奴いるんだよな~。

文化祭のセットもスカスカな感じ。クレープ焼いてる教室を廊下から撮ってるシーン。教室内の机や椅子が端に置かれて、がら~んとしている。教室の中も手伝うわけでもなくぶらぶらしている生徒がいる。ほんとにどこかの高校の文化祭にカメラを持ち込んだみたい。

さて、ぶっきらぼうな女子高生、香椎由宇もいいんだけど、何と言っても韓国からの留学生ソンちゃんを演じるペ・ドゥナがいい。美人じゃない分、味わいで、なんて言ったら失礼なんだけど、ほんとに味のある表情を見せてくれる。ハングル語でものすごい頑張って告白してくれる男子生徒に「はあ…」みたいな受け答え。バンドのことでいっぱいいっぱいな感じが出てて面白かった。また、言葉が通じないから、ソンちゃんと他の3人のメンバーは、かなりぎこちない。ぺちゃくちゃしゃべらないし、お互いのことをあまり突っ込んだりしない。ちょっと冷めた関係だ。でも、このあっさり感がまたとってもリアルなんだな~。

夢のシーンの「ギター用の大きな手」と「ピエールさんとラモーンさん」には笑った。しょうもなすぎて笑った。そうそう実行委員会が撮ってるビデオもね、「ああ、あんな感じだったな~」と、ノスタルジー。


トリックー劇場版

2006-11-04 | 日本映画(た行)
★★ 2002年/日本 監督/堤幸彦

「あかん…全然おもんない。」



これが面白かったら、ドラマも振り返って見ようかな、なんて思ったけど全くダメ。しょうもない小ネタやギャグが私のツボには全くはいらん。そういう人はもう全くもって問題外なんでしょう。まあこの手の映画を見てわかったのは、わたしは「内輪ネタ」があまり好きじゃないってこと。人気ドラマの映画化は、そのドラマが好きな人のためにある。当たり前っちゃあ、当たり前なんだが。

それでも、映画なわけだからドラマを観てない人もそこそこは面白くてしかるべきなんじゃないのか、といういらだちは隠せない。仲間由紀恵の「貧乳ネタ」なんて何が面白いのかさっぱりわからんし、神として登場する竹中直人もベンガルも何にも面白くない。神003の石橋蓮司のキレた演技だけが救いか。

もともと小劇場ノリが苦手な私としては、この奇妙なテンションが苦痛でしかない。しょうもないギャグを否定しているわけじゃないんだ。しょうもないギャグはしょうもないなりに可笑しい時もある。でも、これが堤監督のテイストなの?だとしたら、全く波長が合わないとしか、いいようがない。

村のたたりとか兄弟の間にできた子供とかって、もろ横溝作品を思い出すんだけども、パロディにもなってないし、中途半端すぎて一体何がしたいのか理解不能。一度もクスリとも笑えなかった。これ映画館で見てたら、絶対暴れてたな。


フライト・プラン

2006-11-03 | 外国映画(は行)
★★★★ 2005年/アメリカ 監督/ ロベルト・シュヴェンケ
「ジョディも老けたなあ」


あんまり評判が低いもので、気楽に見始めたら結構面白かったです(笑)。

一緒に乗ったはずの娘が密室である飛行機内でいなくなる。捜索を依頼したら誰も娘のことを見ていないし、搭乗記録すらない。というアイデアはね、とても面白い。目の付け所はとてもいい。でも、そこで満足してしまったんだろうか。後半の犯人発覚のあたりのツメの甘さがなあ…。とにもかくにも、そこが今作の評価を大きく下げてしまった。

飛行機の中、というシチュエーションはすごく楽しめた。飛行機を知り尽くしたジョディ・フォスターが機内を縦横無尽に走り回り、客室から機械室へと潜入したり電気系統をいじくって停電させたり、スリリングな展開は見応えがある。

まあ、ともかくもジョディ・フォスターほど「必死にがんばる姿」が似合う女優はいない、ということ。今作でもそれをしみじみ再確認した。どんな劣悪な状況、孤独な状態に陥っても「ひとりぼっちで奮闘する女」。それがジョディ・フォスター。いいかげんこういうキャラ、飽きたなと思うんだけど、それでもやっぱり面白い。ジョディ・フォスターという女優のしかめっ面とか、ちょっとツンツンしたしたしゃべり方なんかが、こういうシチュエーションに見事にハマるんだろう。

それから、彼女の機内でのヒステリックな行動にシンパシーを感じるかどうか、というのもこの作品を楽しめるかどうかの大きなポイントだと思う。とにかく、あれこれ要求しまくりですから。もし、私が一緒に乗ってた乗客だったら、なんじゃこのオバハン!状態ですな。でも、それが意図であって、ウザいほどうるさいオバハンにまでジョディ・フォスターを追い詰めておいて、後半犯人登場。早くコイツを捕まえて!とせねばならんところが、甘いんですな。だから、ジョデイのうるさいオバハンばかりが印象に残っちまう。

犯人とジョディ一家の繋がり、または犯人の動機。これらをしっかり描くことで、後半さらにスリリングで面白い展開にすることは十分できたはず。これは、そんなに難しいことではないですよ。だから、とてももったいないんだなあ。私なら犯人の設定をこういう風にしてもっと面白くしたなあ、なんてそんな話で鑑賞後盛り上がったのでした。

スネーク・アイズ

2006-11-02 | 外国映画(さ行)
★★★★ 1998年/アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ
「カメラワークを楽しむ」


デ・パルマらしいカメラワークが冴えまくり。人物の目線で動くカメラ、俯瞰で移動を続けるカメラ。様々な視点の移動が物語を一層スリリングに仕立て上げる。もちろん、お得意の左右2分割もある。

冒頭の長回しが圧巻。最初はカメラがずっとニコラス・ケイジを追っているなあ、というのは何となくわかるんだが、そのうち一体どこまでついていくんだ~と言うほどの長さにドキドキ。ボクシングの試合が始まったというのに、カメラはいっこうに試合には切り替わらない。試合はどうなってるんだ、と思ったら銃声。そこで、初めてカメラは逃げ出す群衆をとらえた俯瞰のものに切り替わる。ここまでオープニングからおよそ13分。いやはやすごい緊張感です。

そのあと、試合のシーンをそれぞれの登場人物の目線のカメラでリプレイ。謎が明らかにされてゆく。証言や語りではなく、カメラワークで謎をひもとく、なんて、さすがデ・パルマ。

汚職刑事を演じるニコラス・ケイジがいい味出してる。あんまり好みじゃないけど、今作では賄賂にまみれた刑事をキレた演技で見せる。任務からではなく、巻き添え喰らって仕方なく真実を暴き出す男になっちゃうあたりの脚本もいい。国防長官暗殺の陰謀を知り、「俺はそんなこと知りたくなかった!」と叫ぶあたり、普通のハリウッド陰謀ものとは違って妙な正義感を振りかざさないのが面白い。

だいたいのっけから「コイツがくさい」と言うのがありあり。でも、もともとこの映画は、そういう犯人捜しのスリルを作り出す気なんてさらさらないと思うよ。だからそういう謎解きの面白さを求める人には、全くピンとこない映画かもしんない。結局、デ・パルマ節が好みかどうか、というので今作の評価がまっぷたつになっちゃうんだろう。

私はこの次々に繰り出されるカメラワークにワクワクしちまった。このワクワク感がサスペンスとしてのスリルも十分に感じさせてくれましたよ。ご都合手技の展開なのか、いやいやしっかり張られた伏線によるものなのか、見終わってからいちいち考えてしまうのも、これまた楽し。ラスト・シーンの意味するものも自分なりにあれこれ推測してみたり。デ・パルマテイストが存分に楽しめる作品。

季節外れの収穫

2006-11-01 | 野菜作りと田舎の食
驚いた。こんなに立派なズッキーニが収穫できました。
まじで、今日採れました。
しかも、今年ズッキーニ初収穫です(笑)。
やっぱ、昼間暑いから大きくなったんだね。
できたのは嬉しいけど、どう考えても異常気象だね。

それにしても、夏場はひとつも成らなかったんだよ。
普通なら9月半ばには、引っこ抜いてしまうのを
ただのぐ~たらでほっといたの。

つまりね、長くなりましたが夏野菜の後始末、なーんもしてないの。
仕事が忙しくてねー、畑になかなか入れないんですよ。
冬野菜は大根しか植えてないし。

嬉しいなあ。さっそく焼いてポン酢とかつおぶしかけて食べました。
ウマかった~。