Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ハンニバル

2006-08-08 | 外国映画(は行)
★★★★ 2000年/アメリカ 監督/リドリー・スコット 

「ハンニバル・レクターの独壇場」


前作「羊たちの沈黙」があまりに良かったので、この作品はなかなか見れなかった。なぜなら、FBI捜査官クラリス・スターリング役をジョディ・フォスターではなく、ジュリアン・ムーアが演じていたからだ。

物語は、前作でハンニバル・レクターことレクター博士が逃亡して数年経ったところから始まる、文字通りの続編。レクター博士はフィレンツェの権威ある古い教会で司書としての職を得ようとしていた。なるほど、イタリアねえ。拷問や処刑といった中世イタリアの歴史が、レクター博士の口から次から次へと語られると怖いの何の。そういうアンタは次に何をやらかすんだい?とゾクゾクする。レクター博士には莫大な懸賞金が懸けられていて、彼の存在に気づいたイタリア人刑事が金目当てにチクるんだけど、それは観客の期待通り、レクター博士の餌食になってしまうんですよね。ああ、バカな奴。

それにしても、こんなに猟奇的で悪魔の化身のようなレクターという男を、ある種高貴なまでの存在に仕立て上げてしまうアンソニー・ホプキンスはさすが。「羊たちの沈黙」では、天才的なサイコキラーだったレクター博士が、今作では優雅さと気品を身に付けてしまった。宮殿にたたずむレクターはまるで神の啓示を受けた大司教のようだ。

一方、再びレクター捜査に関わることになったクラリス。いや、FBIという組織からその正義感ゆえにつまはじきにされ、強制的にレクター探しを命じられるわけだが、その孤独感をジュリアン・ムーアはうまく演じている。が、それでもこれがジョディだったらなあ、という思いは否めない。FBI捜査官という立場のクラリスは前作「羊たちの沈黙」で猟奇殺人犯であるレクター博士に癒されるわけである。以来、クラリスはレクターを殺人犯だとわかっていながら、心の奥底では自分のただ1人の理解者であるという思いを抱き続けており、そこから湧き出る苦悩と戦っている。その複雑な思いに苦しむ姿は、やっぱりジョディの方が似合っている。苦しさを強固な意志の力で乗り切る、普通にしててもそういう顔なんだもん、ジョディ・フォスターって。

それから、映画は原作とはかなり内容が違うらしい。実は「ハンニバル」は未読なのだが、どうやらクラリスはレクター博士と共におぞましい物を食するほど、親密な関係になるようなのだ。この改変が映画として成功だったのかどうかは、判断が付きかねる。前作でレクター博士の精神世界に強烈に惹かれていたクラリスが、次回作でそのような関係に陥ることは推測できる。しかし、それを映像化するには、反発の方が大きかったのでないだろうか。この件に関しては、原作を読んでからまた書いてみたい。

さて、イタリア人刑事が殺される中盤から、物語は一気に加速し、世にも恐ろしい晩餐会へと突入していく。これはね、ほんとに恐ろしいです。覚悟して観ないと寝られません。ホントに怖い。ひとりでは見ない方がいい。あまりの恐ろしさに固まったまま、見つめるエンドロール。そこで私はようやく気づいた。レクターの餌食となり見るもおぞましい姿になり、彼に莫大な懸賞金をかけていたこの物語のもう1人のキーパーソン、ヴァージャーを演じていたのは、私の大好きなゲイリー・オールドマンだったよ!よくこんな役引き受けたなあ。びっくり。


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