Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

愛の嵐

2011-07-04 | 外国映画(あ行)
★★★★★ 1973年/イタリア 監督/リリアーナ・カヴァーニ

「2人にしかわからない世界」


1957年冬のウィーン。今は、夜のホテルのフロントマンとして身を隠しながら働いているマックス。彼は元・ナチス親衛隊員のひとりだった。ある日、収容所時代に知り合った女性・ルチアと再会する。その当時、2人は支配する者、される者に関係なく異様な愛の絆で結ばれていた。彼女は現在、結婚しており妻の座についていた。しかし、再会したふたりはお互い離れられなくなり再び、愛の嵐へと身をゆだねていくのだった…。


道徳や常識でとらえると当事者以外には全く理解できない結びつきというのが、男と女の間には存在する。同性同士の友情も家族の愛もこの世になくてはならないものであり、尊ぶべきものであるだろう。しかし、男女の愛というものは移ろいやすく、前者に比べれば実体性の薄いものである。そして、友情も家族愛も、第三者が理解できる範疇にあるのに対して、男と女の愛はその逆。2人にしかわからない世界がそこにある。第三者には理解できなければできないほど、そこに圧倒的な魔力が潜む。そんな世界を描く作品が大好きです。

「愛の嵐」は、そんな2人だけの世界を描く傑作。同じ作風で「愛のコリーダ」「ラストタンゴ・イン・パリ」「ラスト、コーション」が私の中の4大傑作です。いずれの作品も男女は結びついてはならない禁断の関係。本作ではナチスの将校とユダヤ人捕虜の倒錯した愛の世界。

これらの傑作に欠かせないのは、女優が魅力的であるということ。本作では、とにかく裸にサスペンダーというシャーロット・ランプリングの出で立ちが鮮烈で、何年経っても脳裏に刻み込まれています、ナチスの将校たちの前でまるで少年のような体つきのシャーロットがその肌を見せる。観客も観てはならないものを観てしまったような、しかし、その妖しい魅力に引き込まれて仕方ありません。

ふたりが再会した時からこうなるだろうと予測した通り、悲劇のラストへ。本作は何度も観ているはずなのに、ラストシーンはすっかり忘れていて、今回そのあまりにあっけない最期に胸が痛みました。逃亡するふたりをカメラはロングでとらえていて、銃に倒れる瞬間もあまりにあっけない。誰にも理解されず、寂しく死んでいくふたり。しかし、この憐れな最期こそ、ふたりが望んだものなんだろう。



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