Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

アラキメンタリ

2008-04-12 | 日本映画(あ行)
★★★ 2004年/アメリカ 監督/トラヴィス・クローゼ
「ドキュメンタリー以前」



若い外国人監督と言うことで、ほとんどアラーキーの紹介に終始していて、ファンとしては目新しいことがなく、ちょっと残念な作品。外国人の目から見た、日本的エロスの代表者なんでしょう、アラーキーは。ゆえに緊縛などのヌード写真の様子をメインに展開している。が、しかし、緊縛写真だけで荒木を語ることができないのは、ファンなら誰しも知っていることで、確かに陽子夫人の話やその他の写真も展開されているが、全体的には女性の局部の残像だけが残ってしまった感じだ。もう少し、違う切り口があっただろうに。

例えば、女性の緊縛写真を海外で発表する際、フェミニズムの観点から「こんな写真は展示できない」と拒否されることがあると言う。その摩擦はなぜ起きるのか。海外に向けて荒木というカメラマンを紹介するには格好の材料だと思うのだけど。なぜ、荒木の前で女たちは何もかもさらけ出すのか。見た目ただのエロ爺にしか見えない荒木をなぜみんなはモンスターと恐れるのか。ネタはいっぱい転がってるのに、ただ撮影風景と関係者のインタビューをダラダラと撮っているだけなんだなあ。これは、ドキュメンタリーと言うよりも、もっと前段階のフィルムですよ…

ダイアン・アーバスを見たばかりなので、ちょっとその観点で。フリークスを撮影したいという衝動に逆らえなくなったダイアンを夫のアランは理解できなかった。ダイアンはその後離婚し、48歳という若さで自殺している。一方、女性の裸を追い求め、局部にまで迫る荒木を、陽子夫人は理解した。いや、彼女こそ、最大の理解者であった。赤裸々なセックスの写真も含む新婚旅行での日々を撮った写真集を当時電通に勤めていた陽子夫人は自ら売り込んでいたと言う。(このエピソードは本作の中で荒木自身の口から語られていて、こういう部分をもっと突っ込めなかったかなあ、と思う)

やっぱり、自分の傍に理解者がいるかどうかということは、表現者の生き方に大きな影響を及ぼすんだなあ。だって、アラーキーはどこに行っても歓迎され、多くの人に愛され、陽気にふるまう。きっと、それは陽子夫人が彼を理解し、彼に大きな自信を与えていたからだと思う。というわけで、作品が今イチだったので、今から「センチメンタルな旅」でも見て気分を盛り上げるのだ。

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