Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

チェンジリング

2009-10-23 | 外国映画(た行)
★★★★★ 2008年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

「息子に会えずとも母はそれを希望と呼ぶ」


先に「グラントリノ」を見てしまったのですが、ある人から「チェンジリング」は母性を、「グラントリノ」は父性を描いていて、これらは対になっているのでは、と言われまして。見てみてナルホド納得なのでした。

しかしながら、ここで描かれている母性は実に世間的にも、政治的にも何のチカラも持たぬか弱いものです。そこには、ひたすら「我が子が帰ってくるのを願う」という祈りがあるのみ。バックアップしてくれる牧師と真実を明らかにしようとするひとりの刑事の存在がなければ、ウォルターの件は迷宮入り間違いなしです。おしんのように堪え忍ぶ母を通じて見えてくるのは、こんな時代にも母の祈りをすくい取る正義は確かにあった、という主張かも知れません。

アンジーは、常に帽子を目深にかぶり、その目を上に向けることはありません。徹頭徹尾、伏し目がちです。もちろん、敢えての演出なのでしょう。我が子が行方不明という最も逼迫した状態にあってさえ、この時代の女性はその主張を正面切って言うことができなかったということかも知れません。しかし、我が子は生きている、という母の思いは、己の中で強く息づいている。その心の内を、抑制された演出の中でアンジーが見事に表現していました。精神病院に入れられるという最悪な事態においてさえ、壁を叩いて泣き叫ぶのではなく、ほろほろと涙を流す。それが却って地味に映ってしまい、最優秀主演女優賞を逃したのだとしたら、少しアンジーが気の毒です。「愛を読む人」も見ましたが、ケイト・ウィンスレットと比べて全く遜色のない演技ではないでしょうか。

どことも知らぬ子供が「お休み、ママ」と振り返るシーンは、完全にホラーです。この子がどう警察に言いくるめられたのか、よくわからない部分も多い。しかし、こうした語られない部分がやはり映画には必要なんだと思います。この男の子にも最後には母なる人が迎えに来ますけど、あれだって実母かどうかわかりません。この子の行く末を思っても、空恐ろしくなるのです

行方不明の子を思う母の苦悩、腐敗した警察、猟奇殺人事件。どれをとっても暗い話なのですが、見ていて絶望的になるほどどんよりとした気持ちにはならないんですね。これぞイーストウッドの手腕。どのエピソードにも深く張り込み過ぎず、感情的な演出を施さないということです。また、142分という長さも全く感じさせません。消えた息子はどうなったのか、そうしたミステリー作品としての醍醐味も十分に発揮していて、いつものことなのですが、1本の作品で2,3本分見たような醍醐味を感じさせてくれます。

もはやイーストウッドの手にかかれば、衣装やセットまで最高のものが瞬時に揃うのでしょうか。1920年~30年代のアメリカを再現した舞台装置も全くぬかりがありません。近年これほど多作でありながら、役者もスタッフも脚本も常に完璧で作品を世に送り続けていることに驚嘆です。

それにしても、本作も「グラントリノ」もなぜ作品賞にノミネートされていないのでしょう。不思議でなりません。もはやイーストウッド作品はアカデミーの枠を超えて存在しているのでしょうか。

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2 コメント

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こんにちは♪ (ミチ)
2009-10-23 20:21:29
『グラントリノ』との同時期公開で、どうしても彼自身が出演している作品の方に目が行きがちですけれど、これもまた素晴らしい作品でしたよね。
他の監督が撮ったら猟奇的なことにばかり重点が置かれてここまで良くならなかったかも・・・と思います。
アンジーってそれほど思い入れのある女優さんじゃないんですけど、やっぱり監督の指導の賜物なのか、これは良かった!
面白かったです (ガラリーナ)
2009-10-25 10:19:50
長さを全然感じさせませんでした。
「グラントリノ」も見直したいんですけど、なかなか時間がないです。
このアンジーはすごく良かったですねえ。
あまりにも無力でちょっとイラだったりしましたけど、あの時代でシングルマザーってことはそもそも肩身の狭い思いを日頃からしていたんではないかなあ、とそんなことを考えました。