
「合板」、ああ「ベニヤ板」のことね。
そう、ベニヤ板と呼ばれてますね。
でもねベニヤ(veneer)とはほんとは単板の意味なんです。
明治45年に範多商会がロシアから合板を輸入した際にベニア板と呼んだことが広まったからなんですね。
合板を英訳するとplywood。veneerを縦横何層にも重ね合わせて熱圧接着することで製造されます。
日本で初めて合板を作ったのは名古屋の浅野木工所、浅野吉次郎である。
彼は、茶箱を作ってインドに輸出していたが安い英国製の茶箱に圧倒されて売れなくなってしまった。丁度その時米国製のplywood(合板)を知りオリジナルのロータリーレース機(所謂丸太をカツラ剥きにする機械)を作って製造し始めたのです。1907年ですから合板の歴史は1世紀を超えたことになります。
当初は大豆グルーを使っていたので水に弱くてとても剥れやすいものでした。
20世紀の後半、化学糊が使われグーンと強くなりましたが、昭和の時代はユリア接着剤やメラミン接着剤を多用しており、耐候性が悪く剥れるイメージが強かったと思います。
でも現在はアルカリフェノール系接着剤を使っているので何十年も剥れることはありません。しかもシックハウス症候群で有名になったホルムアルデヒドの発散も極めて少ないので安心して使えるようになってきています。
再来年の2011年に(仮称)森の合板協同組合加子母合板工場が稼動するに当たりご尽力いただいた日本合板工業組合連合会会長になって足掛け6年になるセイホク株式会社代表取締役社長井上篤博氏の講演を聴いて考えさせられました。

国産材100%の針葉樹合板は東濃のスギ・ヒノキの間伐材を直径4cmくらいまで使う日本の技術の結晶であります。
東京の木場にある木材合板博物館監修のDVD「合板ができるまで」を見ていて感慨に耽りました。日本は70%山国、輸入などしなくても充分な森林資源があります。治山治水の意味に於いても林業の復活を後世に伝えていかねばなりません。
地元の木を使いましょう。
そう、ベニヤ板と呼ばれてますね。
でもねベニヤ(veneer)とはほんとは単板の意味なんです。
明治45年に範多商会がロシアから合板を輸入した際にベニア板と呼んだことが広まったからなんですね。
合板を英訳するとplywood。veneerを縦横何層にも重ね合わせて熱圧接着することで製造されます。
日本で初めて合板を作ったのは名古屋の浅野木工所、浅野吉次郎である。
彼は、茶箱を作ってインドに輸出していたが安い英国製の茶箱に圧倒されて売れなくなってしまった。丁度その時米国製のplywood(合板)を知りオリジナルのロータリーレース機(所謂丸太をカツラ剥きにする機械)を作って製造し始めたのです。1907年ですから合板の歴史は1世紀を超えたことになります。
当初は大豆グルーを使っていたので水に弱くてとても剥れやすいものでした。
20世紀の後半、化学糊が使われグーンと強くなりましたが、昭和の時代はユリア接着剤やメラミン接着剤を多用しており、耐候性が悪く剥れるイメージが強かったと思います。
でも現在はアルカリフェノール系接着剤を使っているので何十年も剥れることはありません。しかもシックハウス症候群で有名になったホルムアルデヒドの発散も極めて少ないので安心して使えるようになってきています。
再来年の2011年に(仮称)森の合板協同組合加子母合板工場が稼動するに当たりご尽力いただいた日本合板工業組合連合会会長になって足掛け6年になるセイホク株式会社代表取締役社長井上篤博氏の講演を聴いて考えさせられました。

国産材100%の針葉樹合板は東濃のスギ・ヒノキの間伐材を直径4cmくらいまで使う日本の技術の結晶であります。
東京の木場にある木材合板博物館監修のDVD「合板ができるまで」を見ていて感慨に耽りました。日本は70%山国、輸入などしなくても充分な森林資源があります。治山治水の意味に於いても林業の復活を後世に伝えていかねばなりません。
地元の木を使いましょう。
ベニヤに囲まれて仕事をしています。
昔のベニヤはそういえば、
押し入れに貼られていたのが
ベリベリと剥がれてきちゃってましたよね。
今のは耐久性があるんだ~。
もっと日本の木を使うといいですね。
森も元気になるし、
川も海も生き返りますから。
↑tenchanさんがおっしゃるように、実家のは
ベリベリはがれちゃってます。
木で思い出したのですが、「木を植えた人」
という本、読まれたことありますか?
ジャン・ジオノ著です。
日本語カタカナ記述にすると外来語は幾種類にもなっちゃいますね。
コスト優先で輸入に圧されてきたのだけど、ザ商社日本が勝者になっただけで国民は付けを払わされ続けています。
地産地消で治山治水にも役立つし、国産材の有効利用は促進すべきです。300万立米の利用目標が揚げられています。