どうして自閉症なの

観察・評価・予測・確認・仮説・見解・根拠

お出かけの報告

2015-03-30 21:45:02 | 息子の成長
最近は、何を聞いても「しない」と言って拒否返事で終わり。


昨日は、娘が「どこに、行ってきたん?」
いつもの返事「しない」。

パパが「行った所、ちゃんと言う」と言ったら。

「阪急電車」
「バス」
「ガスト」
「買い物」
と、しっかり言えました。

振り返って言える。

こういう事も出来るようになってきている。


本当に大丈夫?

2015-03-17 21:18:14 | 支援学校 高等部
入学検査に行ってきました。

面接で、将来についてとか中学校の事とか質問されたようです。

知的障害の息子に。なぜ?
精神のそれも就労に進めそうな障害なら、まだしも。

検査が終わったら、興奮状態で本人も親も制御できない状態。
嫁さんは、手を爪で傷、ガラス窓を叩いて歩く。
よく割れなかった事だと思います。
また病院に行く事になりそうだったと。
窓ガラスを割って怪我をした事。
中学校からの引継ぎには書かれていないのか?

校門から出てやっと落ち着いた息子。
帰る時には、笑顔とまでは求めないが安定をさせて送り出す。
これぐらいはプロとして支援できないものか。


肢体不自由の専門だった支援学校。
校区割りがされて障害に関係なく集まる事に。

「本当に大丈夫なのか」
どの親も全員思っている事で、危惧している。

地域の学校では、怪我は承知の上で託した。
でも、今度は支援学校です。
それも危惧している事は訴えている。

支援の専門の場での怪我。
絶対に許すわけにはいかない。

今日だけの問題であって欲しい。

中学校を卒業

2015-03-14 21:01:18 | 息子の成長
地域での学校生活が終わって、
4月からは支援学校の高等部へ。

なかなか障害特性については難しかった先生との関係。

それでも、色んな支援と関わりには感謝の3年間でした。

仕事の関係で卒業式には行けなかった。
でも、それで良かったと・・・・。と思っています。
考えの平行線はそのままで、感謝の気持ちだけを残したかった。


地域の学校で9年間も過ごせた。
学校や出会った先生方に本当に感謝です。

これからは、障害という世界に入っていきます。

支援学校、作業所という世界。

作業所の職員実態や組織の実態を知った以上は、
本当の戦いがこれから始まります。

支援のプロであるはずの先生、職員。

作業所のプロ職員として、そして、それが親であるという事。

会社を辞めて障害福祉の現場に。
やっとプロとしてプロと向き合う。
息子の為に、家族の為に、同じ人達の為に。

「実践」とは。
これまで出会った先生、職員、親。
事例だけが僕の信念の支えです。

1人でも多くの理解者を増やす。

帰る時は、笑顔で!

2015-03-09 21:47:02 | 福祉作業所
予定が引っ掛かってしまって顔をしかめて仕事。
なかなか引っ掛かりが抜けない。

それでも、以前に比べると荒れることは無い。

でも、笑顔が欲しい。

今日は、ちょっと難しいかなあ。

帰る時は、必ず笑顔で帰ってもらう。
僕は、職場でそう言い続けている。

無理かなあと思っていたら、
ニコニコしながら靴を履いて帰宅。

「いい顔をしてるよ。」
「その顔で家に帰るんだよ。」
「お疲れ様、また明日。」

また少し成長できた利用者。

笑顔で帰れたら、それだけで十分。
そうして、成長を続ける。

No019褒められると怒る息子

2015-03-08 20:34:29 | コラム
今の感情の状態を分るように、
特に、怒っている時には「怒っている」と伝えてきました。

今、息子に「よく頑張った」と言うと、
「しない」と怒りだす。

学校で「頑張る」「頑張れ」と言われ続けているのかもしれない。
「頑張った」という、褒め言葉ではなく。
頑張る事を、強要されているのかも。

「頑張る」という言葉は、嫌な言葉になってしまっている。

作業所では感情の移り変わりをとても大事にして伝えている。
頑張れた事、いい表情になった事も伝えている。

「頑張れ」「頑張れ」とは言わない。
「よく頑張った」と褒めるだけ。

「頑張れ」「頑張れ」と言われる事は辛い事。
励ましではなく、苦しめているだけ。

発語が無い頃、息子に「リンゴ」と言い続けたら、
顔が恐怖で脅えていた。
直ぐに言葉の練習は止めた事を思い出しました。

いつか「頑張った」という褒め言葉に戻したい。