どうして自閉症なの

観察・評価・予測・確認・仮説・見解・根拠

「約束」

2015-07-05 11:48:03 | 支援学校 高等部
先月、給食の支援が「人権侵害」「虐待行為」になるのでは?


これで学校に面談に行きました。


「捨てる」「ひっくり返す」。
これを防ぐ為に「やらせない」という発想で取り組んでいたのだとは思いますが。

息子に給食のお盆(トレイ)を最初から渡さない。って事はしていないでしょうね。
と、冗談半分で連絡帳に書いてみました。
その返事が無かったので、もしかしてと思っていたら。
参観で妻が見てきた様子は連絡帳に書いたそのままでした。


息子の状態も限界に近づいていたので、「面談」をしました。


先生に伝えたのは、

「捨てる」「ひっくり返す」を止めようとしない事。
止めようとすればするほど止めれない。
「捨てる」を認める事から支援を再度開始する。

「捨てる」場所、バケツ等を準備して、「捨てる」事を認める。
認められた事は、興奮のぶつける行為にならないので息子も考え始める。

「捨てない」と約束をするのでなく「ここに捨てる」と約束をする。
これは「捨てる」行為を認めるが「ここに捨てる」という条件を付ける。

この約束は息子にとっては意に反する条件です。
相手が困る事で何かを訴えてたはずなので。
息子は次の手を考え始めるはずです。

ここまでの支援だけでも息子は先生との関係が深くなった事を感じるはずです。


次は、
会話を重視して「脳」を動かす。
「監視」「警戒」だけでは対策も防ぐ事も無理。
息子の脳の動き、感情の動きを知る事から始める。
そして予測が可能になれば防げる、止められる。


この面談では、
アメとムチ。罰。
についてはあえて話をしませんでした。

「罰を与える」 =  「止めれる」

という考え方の支援になりそうなこれまでの学校の実践の内容だったので。

「罰」とは考える時間を与える事なんです。
今の学校の考え方では日課で保障している息子の余暇支援。
休み時間の活動等を罰としてやらせない。
それは「罰」ではなく「虐待」です。
保障した余暇活動は絶対にやらせる。
これは学校や先生の息子への約束なんです。
「考える」「反省する」という事が「罰」なんです。

「約束」は守る為ではなく破る為にある。
世の中、そんなもんでしょう。
障害の世界だけ絶対に守らせるなんていう考え方は。

「約束」は人と人との関係の深さにも影響される。
関係が構築されていない中では「約束」は存在しません。

まずは先生と息子との信頼関係が先です。