みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

3月20日

2011-03-21 06:54:13 | レオン
3月20日


今朝の体温36.7度。

10時半、21時 ガーゼ交換


休日2日目。

今日も歩行器で立つ練習をした。

私と父の支えもあり、何とか2回立つ。

この後、天気が良ければ少しだけでも外の空気を吸わせたい!と思ったけど、

雨が降ってきたので断念。

いつもと変わらない車椅子での散歩になった。



午前のガーゼ交換のとき、母が看護師さんに小学校の卒業式も終わったんだねと話していた。

娘さんの卒業式に出席したいって人がいたから。

少しの間の後、Aさん 入院してらっしゃる?と聞いた。

看護師さんは、仲良かったんですか?今、病院にいらっしゃいませんよ とだけ言ってくれた。

3月3日に亡くなったAさん。

母の心の支えだった方なだけに、未だ母には言えないでいる。




歩行器を借りに行ったとき、いつも私たち親子を気にしてくれている看護師さんが私に、

この前、一人で説明を聞いて大丈夫だったかと心配してくれた。

一人で聞いてるんだなって、こっそーり見ながら心配してたんだよ って。

もし、お父さんたちも しっかりと話を聞きたいなら、主治医に説明してもらうから、と言ってくれた。

父と兄には、私から先生が言った通りに話したし、私も今、母が元気だから大丈夫 と言って別れた。

母のことだけではなく、私のことも気にしてくれる看護師さん達。有難い。


今日はお風呂に入るため 家に行った。その時にポテトサラダと、野菜を豚肉で巻いたものを作った。

母の食欲が少しでも増すと嬉しいのだけど。

3月19日

2011-03-20 06:25:07 | レオン
3月19日


今朝の体温36.5度。最近、体温は安定。

10時半、21時 ガーゼ交換



今日は病院がお休み。車椅子での散歩は、人が少なくて良い。

でも、休みと言うことでリハビリもお休み。

毎週、休み明けの月曜日のリハビリで立てない事が続き、へこんでいた母。

それならば と言うことで、連休中も 家族2人がいるときに立つ練習をすることにした。

今日は昼に兄が来てくれたから、ナースステーションに歩行器を借りに行った。

事情を話すと、3人の看護師さん達が顔を見合わせ、心配そうな顔で言った。

くれぐれも気を付けて、と。

もし何かあれば、看護師さんたちの責任にも関わるだろうから、

申し訳ない気持ちももちろんある。

でも、希望を持って頑張っている母に リハビリをするなとは言えない。

看護師さん達からは 心配からだろう。止めておけばいいんじゃないか という雰囲気が漂っていた。


立つ練習は 兄と私が支えて 何とか2回立てた。




朝食、昼食共に8割ほど食べていたのに 夜は半分しか食べなかった。

二ヶ月以上の入院。出てくるメニューが同じような物で 飽きてきたようだ。

しかしながら、具合が悪くなる前兆として 食欲が落ちると主治医から聞いている。

家から私が作って持ってきてもいいから、母には食べていてもらいたい。

3月18日

2011-03-19 02:09:00 | レオン
3月18日


今朝の体温36.5度。サチュレーション98。

10時、21時 ガーゼ交換



今日も いつもと変わらない一日だった。

食事、ガーゼ交換、リハビリ、車椅子での散歩。

今日一日、母が元気じゃなさそうなのが気になった。



私が一人で歩いていたとき、主任看護師さんが近づいてきて、こう聞いてきた。

どうですか?あれから眠れてますか?

私が大丈夫ですと答えると、このまま お母さんには伝えないでおくのかと聞かれた。

本当のことを伝えたとしたら もしかすると 他の過ごし方があるかもしれない。

お母さんから聞いておきたい事はないのかな?とか、もし万が一の事があったら

その後の、娘さんのショックが大きいんじゃないかな?反動が酷いんじゃないかな?って思うんです と。

私は、正解があることじゃないから迷ってるんですけど、希望を持っていて欲しいし、

前より 頑張ろうって気持ちが減ってるような気はするけど、それでも歩く為の努力は今もしている。

悔しい!って努力している、今の姿が母らしいような気がして と答えた。

正直、いつも近くにいる分、全てを話していないことに心苦しさを感じる。

言った時の 母のショックを受け止める自信もないのかもしれない。

もし母が、生きる気力を失ったら と思うと怖くて言えない。

一秒でも長く、母といたいと思っているから。

どうするのが一番いいのかな。




夕方、父と二人になることがあった。

メールでは母のことを伝えたけど、直接は話していなかったから

父が心配で、大丈夫かと聞いた。父は私や兄が思っていた以上に冷静だった。

大丈夫だと言い、こんなことは言いたくないんだけど、黒い服は持ってきているか?

ないなら お母さんのを着てみるか、サイズが合わなければ買っておいた方がいいぞ と言った。

写真も見ているんだけど、なかなかいいなと思う写真がない。

こんなことになってしまって、ママ、本当に可哀想だなぁ。と言った。

万が一の時は、もしかすると一番冷静でいてくれるのかもしれない。

でも、母が一番の父。万が一のときも、その後も、やはり心配だけど。



みんな それぞれいろんな思いを持っている。

母は今、何を思っているんだろう?




今日は昼食にグラタンをリクエストしていた。

少し前、病院食が飽きてきたと言ったら、栄養士さんが来てくれ

食べたい物があれば、リクエストしてください!

平日なら、大体 何でもお出しできますよ と言ってくれた。

病院食に飽きた母。久しぶりに美味しいと言って 食べていた。

3月17日

2011-03-18 02:36:28 | レオン
3月17日


今朝の体温36.5度。

10時半、21時 ガーゼ交換



MRI検査を終え、結果も聞き、母は少し落ち着いたようで 16日の夜はぐっすり眠っていた。

朝 起きたときの顔はスッキリとしていて、ご飯も病院食に加え

ヨーグルトやらリンゴなんかも食べていた。


昨日の夕方主治医が来てくれ、MRIの結果を聞いていた時、確かに返事をしていた母。

でもその時は寝ぼけていたようで、主治医が来たことも、話を聞いたことも覚えていなかった。

それを主治医に話したところ、あんな大事な話をしたのに!会話、成り立ってたけどなぁ と不思議がっていた。

確かに!寝ぼけながらの返事は 母の特技かもしれない。



昼過ぎには 昨日電話で検査結果を伝えた叔母が来てくれた。

今日も変わらずリハビリもして、車椅子で散歩もした。

いつもの休憩場所で、叔母が買ってきてくれたたこ焼きをみんなで食べた。

叔母が足浴をしてくれ、私が足の爪を切った。

いつもと同じ時間が 今日も流れる。



夕方来てくれた主治医。母が今、頑張っていっぱい食べていることを話すと、

あんまり食べ過ぎると、今度は体が重くなって動き辛くなるよ と笑って言われた。

母は“難しいねぇ”と困り顔。

この後、エレベーターを待つ主治医と会い、少し話した。

飲んでる薬が効いてくれればいいなと祈らなきゃね。

調子が悪くなっていく時は、食欲が落ちていくんだよ と言われる。

食欲。今は 足に脂肪も筋肉も付けたいから たくさん食べている。

これがいつか、食欲も無くなるときが来るのだろうか?

今の母を見ていると、そんな気がしない。




今日も一日、楽しく過ごせた。

今日も良い一日だった。

私の気持も 一昨日と同じくらいの感じ。

3月16日

2011-03-17 17:17:14 | レオン
3月16日


父と兄にMRIの結果をメールし、叔母(母の姉)に電話をした。

その直後、しばらく部屋を空けている私に 母から電話が来た。

その時私は、泣いてしまっていたので ホールで気持ちを落ち着かせていたところだった。

看護師長さんと主任看護師さんが 私のそばにいてくれた。

母の用件を聞くと、大便がしたい というものだった。

こんなことでも、母はいつも私に言ってくる。

便意があるときは、差し込み型の便器をおしりの下に当ててもらうんだけど、

何度か オナラと尿が出ただけで終わり ということがあった。

それ以来、わざわざ看護師さんに来てもらうのは悪いと言っていた。

でも今日ばかりは仕方がない。目と鼻を赤くした私が行くわけにはいかない。

代わりに看護師さんが行ってくれた。



検査結果を聞いた直後しばらくは、泣き止んでもまたすぐに涙が出てきて仕方がなかった。

1月に、もうサイバーナイフでの治療ができないと分かった時も涙が出たが、その時は母に叱られた。

“私も泣いてないのに、泣いちゃダメ”って。

今日も泣きながら、その言葉を思い出した。


主治医からの説明を聞いていたときは、少し涙が流れたけど、冷静でいられた。

でも 説明が終わり部屋を出たとき、主治医にポンと肩を叩かれ、

“涙を拭いて戻りなさいね” と言われてから泣けてきた。

説明をしてくれていた時の主治医は、いつもの優しい顔だけではなく、

少し言いにくそうな感じで、でもしっかりと、優しい口調で私に伝えてくれた。



涙が少し落ち着いた頃、今日が祖母の外来の日だったことを思い出し、

部屋に戻り、母に“どこを探しても ばあちゃんがいなくってさ”と嘘をついた。

母からは、また大便が空振りだった、だから電話したのに すぐに来てくれなかった と言われた。

午前中、涙が出そうになると、ばあちゃんを見てくる と言っては部屋を出た。

少しして 祖母が部屋に来た。何も知らない祖母が元気な声で“元気そうな顔やね”と言ってくれたので 私も救われた。

午前中いっぱいは、母の顔を見て喋れなかった。

特に母に変化があるわけではない。

今日、結果を聞いたから、この先の不安が増したからと言って、何かが急に変わるわけではない。

まだまだ 話せて、食べれて、笑える母がいる。

これからの一日一日を、母と笑って過ごそうと思えた。



夜に 兄と、いつも以上の元気さを出した父が来た。

父も、いっぱいいっぱい頑張っているんだろう。



16日の就寝~17日にかけて、この入院で初めて というくらい、母はグッスリと眠っていた。

前日までは、検査結果が心配だったのと、いつ退院と言われるかが心配で 眠りが浅かった と言っていた。

母には グッスリと眠ってもらいたい。

不安はなくならないだろうけど、出来る限り 不安も取り除いてあげたい。

17日。今日も いつもと変わらず、同じような一日が過ぎている。

3月16日

2011-03-16 17:16:15 | レオン
以下、父に送ったメール。


題名:お母さんの状態


昨日撮ったMRIの結果を聞きました。

小脳の塊の腫瘍には効果があったけど、脳の表面の腫瘍には あまり効果がなかったみたいです。

今は米粒大だけど、治療前より増大している。

治療は 放射線ではできる治療はなく、本人と家族の望みをつなぐためにも
今飲んでいる薬 タイケルブを続けると言っていました。
副作用も少ないし吐いてもないから。

もしまた水頭症になって、脳のどこかが詰まると、突然吐いたり痙攣したり、
でも そうなると 脳の腫瘍というのは、本人は苦しいということは分からないそうです。
いつそうなるかは正直、分からないけど、意識がしっかりとある時間が どんどん貴重な時間になる。

もし暖かくなって お母さんの体調がいいなら、介護タクシーに乗って
車椅子でお花見に行ってもいいし、ドライブしてきてもいいし、と。

怖かったけど、時間も聞きました。
一般的に言うと月単位で。4月末とかGWとかも、正直 ハッキリとは言えない と言われました。

もしも、良い結果だったら 退院の方向も考えていたんだけど…と言われたんだけどね。

お母さんには“脳の大きい腫瘍には すごい効果があって吐かなくなったんだけど、
全ての腫瘍がなくなったとは今言えないから、タイケルブを続けるって言われたよ”とだけ伝えました。

今 電話をもらってもお母さんもいるから話せません。

お母さんに会いに来るときは、暗い顔は厳禁。
暗い顔になるなら来ちゃダメだよ。私も堪えてるから。
ばあちゃんには言ってない。言わない方がいいかも。
Aおばちゃんには、仕事が休みだと思い、電話しました。
Bおばちゃん、Cおばちゃんにも伝えてないけど 伝えたらみんな頻繁に来そうだから、
それも嫌だし迷ってます。お父さんにお任せで。

お昼に辛いメールでごめんなさい。

涙みせないように会いにきてね。






これが今の母の状況です。

もしも自分が母の立場なら、数ヶ月という期間を知りたいだろうか?

昔、こんな状況じゃなかった時は 私なら絶対に知りたい!と思っていた。

でも実際、今の母の状況を見ていると分からなくなった。

母は希望を持っているから頑張れている。

立とう、歩こうとリハビリに励んでいる。

期間を知らせて、もっと穏やかに過ごした方が良いのだろうか?

でも、頑張っている母の方が、これまでと変わらない母で“母らしい”と私は思う。

今まで病院で入院した期間以上 母と一緒に過ごせるように。

リニアックを受ける前、去年のMRI画像を見た脳外科の先生は、

よく一年間頑張ってこられたと思いますと言っていた。

だから、また母が頑張ってくれるという気がして仕方がない。

また先生達を驚かせて欲しい。

まだまだ母と共に、家族と親戚と共に、頑張りたいと思う。

私にとっては、今日からがまたスタートだ。

3月15日

2011-03-16 05:34:28 | レオン
3月15日


今日の体温36.9度

朝起きた時の顔がスッキリしていない。

また夜中に何かを悩み考えていたのかな?と思って聞いてみた。

でもハッキリとは言わず、お母さんだってイロイロ考えることがあるの と答えるだけ。

朝食を食べ終え少しした頃、話し始めた。

リハビリをしても、なかなか歩けるようにならない。

もし退院って話が出たらどうすればいいかなぁ、と。

車椅子だっているし、ベッドだって、手すりがあって、

背中や足が上がるような物じゃなきゃ 今の私は生活ができない。

ベッドは 借りることもできるだろう。

でも現実問題で考えて、確かに今の母の体力では、家での生活は厳しいかもしれない。

私は母に言った。

以前主治医から“座っているだけでもリハビリになるんだから 少しでも座ってなさい”と言われたけど、

座っていることが辛く、すぐに横になっていた。

でも今じゃ、座って外を見ているのが楽しいと言って2時間ほど座っている。

私は凄い進歩だと思う。前進してないように見えても 少しずつでも進んでるんだから。

続けていけば、きっと歩けるようになる。

それに、今 急に退院 ということにもならないと思うよ と。

母は、本当だねぇと言って リハビリの進み具合については、そう思うことにする と言ってくれた。

本当に少しずつ。


今日はリハビリで二回立てた。昨日より良かった。

車椅子に乗って 散歩にも行った。




今日もMRIがなかったな と思っていた16時半前、急に今からMRI検査が入ったと言われる。

今週とは分かっていたものの、こんなに急に来るとは。

造影剤の同意書に代理署名するのは、もう何度目だろうか?

同意書を見た途端、検査結果を思うと不安になってきた。

やはり、頭の小刻みの揺れが気になる。

結果は明日だろうか。母と一緒に聞くのか、それとも、また私一人で聞くことになるのか。

不安で怖い。

前回撮った治療前のMRIは、素人の私が見ても 明らかに怖いなと思う物だった。

その時の症状は、一日に1、2回吐き、頭は小刻みに揺れていた。

今は吐いてはいないものの、小刻みに揺れている。

言いたい言葉が出てこないとか、変なことを言うとかはない。


母が検査室に入った時、仕事が休みだった父から連絡が入る。

病室に来たけど、今どこにいる?と。事情を話し検査室に来てもらう。

父もやはり不安そうだった。


検査結果が主治医からの説明ならば、きっと良い風に言ってくれるだろう。

前回撮った時よりも、明らかに症状は軽いのだから。

でも、脳下の先生から言われるなら、不安な事も言われそうで、正直怖い。

あの先生は、優しくもハッキリとした言い方をする人。だから怖い。





今日、お風呂に入りに家に行くと、祖母が 名古屋のアパート代がもったいないんじゃないかと言ってきた。

どれだけの期間かかるか分からない母の看病。

一度解約し、母が落ち着いたら また借り直せばいいんじゃないかと言う。

正直、私もアパート代に関してはもったいないと思っている。

しかしながら、この年齢で(こんな状況だとしても)実家に戻るというのは 次に出ていくことはできるのか?

こんな状態だから、いつでも母のことは心配だし、90を超えた祖母も心配。そして父のことも。

父も、母のことがかなり堪えている。家が綺麗になっても、母のいない家じゃ 楽しくもない と。




お風呂に入りながら、不安やら心配やら、いろんなことを考えると泣けてきた。

自分で思ってた以上に張り詰めていたみたいで、久しぶりに泣いてしまった。

自分では大丈夫なんだけど、検査結果が心配なのと いろんな不安と。

とにかく今は、検査結果が怖くて仕方がない。





10時、20時半 ガーゼ交換

MRIを受け、母も疲れたようで 夕食は7割ほど食べて終わった。

3月14日

2011-03-15 06:42:00 | レオン
3月14日


今日も母のことを記録として。

今朝の体温36.6度
サチュレーションは96。

週の頭だからか、リハビリをするも 二回目が立てない。

車椅子に乗って 散歩には行く。



胸のこと。やはり、勢いのありそうな 赤い粒は増えてきている。

なんとなく足の甲のムクミも気になる。

あごのあたりと首元が、また少しむくんでいるようにも思える。

また前ほどむくまなきゃいいけど。


10時半、21時 ガーゼ交換
食事もしっかりと食べた。

3月13日

2011-03-14 06:33:50 | レオン
3月13日


こんなときに母のことを書くのもなと思いますが、記録として。

今朝の体温36.7度
サチュレーションは98。

食事の量は、各食事9割は食べる。

歩けないこと以外、最近は安定している。

胸の様子。前に、がんが取れた場所のことを、

サラサラの砂にビー玉を置いたような穴が出来たと書いたけど、

あの後 ポロポロと剥がれたけど穴が増えることはなかった。

内面に入り込むことなく、表面にくっついてただけみたいで

ポロリと剥がれ落ちてきた。

しかしながら、またしても元気ながんが活動しているようで、

最近赤い粒が増えてきた。


小刻みに揺れていた頭のこと。

この2日程、そう揺れているようには感じなかった。

今週はMRI。結果を知りたいような、不安なような。




10時半、21時 ガーゼ交換

3月12日

2011-03-13 06:48:46 | レオン
3月12日


今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

被災された皆様にお見舞い申し上げます。


今日もテレビを見つめることしか出来なかった母と私。

一体 どれだけの命が奪われたのだろう。

余震と言えど、震度3だったり4だったり。

普段なら、その震度でも不安になるくらいの大きさの余震が続いている。

“津波に巻き込まれたかもしれない息子を探しています”と、市役所で情報を求める女性。

“主人と子供二人が生き埋めになっている。呼んでも返事がないんです”と泣き崩れる女性。

テレビを見れば見るほど、被害が拡大している。

茨城、長野、新潟でも地震が続いている。


福島第一原発一号機での爆発。

もう本当にテレビで見守ることしか出来ない

これ以上、被害が増えないように。





母に関しては、今日も変わらず。

朝の体温は36.1度。

11時、21時 ガーゼ交換

今日来てくれた叔母は、ガーゼ交換に立ち会った。

久しぶりに見る胸の様子に驚いていた。