みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

3月3日

2011-03-04 07:34:34 | レオン
3月3日


今朝は体温36.6度。サチュレーション96。

一時より落ち着いてきたように思う。



10時15分頃、ガーゼ交換をしていた時に部屋の外から泣き声が聞こえてきた。

女の子の泣き声も。

この病棟には がんの緩和目的で入院している方たちがいるから 決して珍しいことではない。

実際に 泣き顔の方を何度も見た。



でも今日は特別だった。

泣き声が聞こえたり、人がたくさん集まっている病室、それは母の同病友達・Aさんの病室だった。

私は不安になった。

不安を抱え 母の側にいた。お昼前、売店に行こうと思いAさんの部屋の前を通る。

部屋にはAさんの名前がある。人の気配もする。

病棟のホールにはAさんの身内の方だろう、たくさん人がいて、ご飯を食べている。

ホッとする。Aさん、きっともうひと頑張りしてくれたんだ と思った。

昼食を食べ終わる頃、また外が騒がしくなった。

母の食器を下げるため Aさんの病室の前を通る。

Aさんのご主人が、泣き顔の女性に頭を下げ“ありがとうございました”と言っている。

あぁ 逝ってしまったんだ。

病棟のホールからは女の子の泣き声が聞こえてくる。

Aさんは 乳がんの患者会にも積極的に参加していて、その仲間の方たちもたくさん来ていた。



Aさんと母は主治医も同じだし、外来でしばらく彼女を見ないと、

主治医にAさん元気にしてる?と聞いていた。

そしてAさんは、いつも母を励ましてくれていた。

良く通る、大きな明るい声で”もう頑張りたくもないけど、頑張らなきゃね”と。

今年の1月4日、外来で会った時もそうだった。

その元気な声に 母は励まされていた。

“あの人の声を聞いただけで元気になるわ”といつも言っていた。

去年の母の入院の際には、ご自身でしたフラワーアレンジメントを持ってきてくれ、

何度も励ましに来てくれた。

今回は初めて入院時期が同じになり、母が車椅子で3回ほどAさんに会いに行った。

その時は、足がむくんで重くなったし、立てなくなった。

足がブラブラでいうことをきかないと言っていた。

母のリハビリを羨ましいと言い、私もリハビリしたい!家に帰っても車椅子じゃ動けないもん と言っていた。

それでも前向きで、今より悪くならないようにしなきゃね、

娘の小学校の卒業式にも出たいし と言っていた。

その後、Aさんのベッドのカーテンが常に引かれるようになった。部屋の扉が閉められるようになり、

しばらくして個室に移られた。

それから母は会いに行っていない。




今日、私は母には言えなかった。


リハビリの後 いつものようにAさんの部屋の前を通ると、まだ名前があった。

エレベーターを待つ。

エレベーターが開き、中に乗ろうとしたら、病棟の看護師さんが誰も乗っていないベッドを下ろした。

そのエレベーターに乗ると、お線香の臭いが漂っていた。

勝手な思いだけど、Aさんがエレベーターまで会いにきてくれたんだと思った。

車椅子の散歩から戻ると Aさんの部屋は掃除中だった。


夕方来てくれた主治医も なんだか今日は元気がないように見えた。



肝転移や骨転移の痛みが酷かったAさん。今は痛みから解放されていますか?



Aさんのご冥福をお祈りします。




10時、16時、21時 ガーゼ交換

この前モーズ軟膏を使い 酷い痛みを感じた時以来、

右胸~その下辺りが時々痛むようになったと言っている。