みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

3月16日

2011-03-17 17:17:14 | レオン
3月16日


父と兄にMRIの結果をメールし、叔母(母の姉)に電話をした。

その直後、しばらく部屋を空けている私に 母から電話が来た。

その時私は、泣いてしまっていたので ホールで気持ちを落ち着かせていたところだった。

看護師長さんと主任看護師さんが 私のそばにいてくれた。

母の用件を聞くと、大便がしたい というものだった。

こんなことでも、母はいつも私に言ってくる。

便意があるときは、差し込み型の便器をおしりの下に当ててもらうんだけど、

何度か オナラと尿が出ただけで終わり ということがあった。

それ以来、わざわざ看護師さんに来てもらうのは悪いと言っていた。

でも今日ばかりは仕方がない。目と鼻を赤くした私が行くわけにはいかない。

代わりに看護師さんが行ってくれた。



検査結果を聞いた直後しばらくは、泣き止んでもまたすぐに涙が出てきて仕方がなかった。

1月に、もうサイバーナイフでの治療ができないと分かった時も涙が出たが、その時は母に叱られた。

“私も泣いてないのに、泣いちゃダメ”って。

今日も泣きながら、その言葉を思い出した。


主治医からの説明を聞いていたときは、少し涙が流れたけど、冷静でいられた。

でも 説明が終わり部屋を出たとき、主治医にポンと肩を叩かれ、

“涙を拭いて戻りなさいね” と言われてから泣けてきた。

説明をしてくれていた時の主治医は、いつもの優しい顔だけではなく、

少し言いにくそうな感じで、でもしっかりと、優しい口調で私に伝えてくれた。



涙が少し落ち着いた頃、今日が祖母の外来の日だったことを思い出し、

部屋に戻り、母に“どこを探しても ばあちゃんがいなくってさ”と嘘をついた。

母からは、また大便が空振りだった、だから電話したのに すぐに来てくれなかった と言われた。

午前中、涙が出そうになると、ばあちゃんを見てくる と言っては部屋を出た。

少しして 祖母が部屋に来た。何も知らない祖母が元気な声で“元気そうな顔やね”と言ってくれたので 私も救われた。

午前中いっぱいは、母の顔を見て喋れなかった。

特に母に変化があるわけではない。

今日、結果を聞いたから、この先の不安が増したからと言って、何かが急に変わるわけではない。

まだまだ 話せて、食べれて、笑える母がいる。

これからの一日一日を、母と笑って過ごそうと思えた。



夜に 兄と、いつも以上の元気さを出した父が来た。

父も、いっぱいいっぱい頑張っているんだろう。



16日の就寝~17日にかけて、この入院で初めて というくらい、母はグッスリと眠っていた。

前日までは、検査結果が心配だったのと、いつ退院と言われるかが心配で 眠りが浅かった と言っていた。

母には グッスリと眠ってもらいたい。

不安はなくならないだろうけど、出来る限り 不安も取り除いてあげたい。

17日。今日も いつもと変わらず、同じような一日が過ぎている。