4月17日
この日の当直の医師が入ってきて 母の死を確認する。
4月17日(日)23時5分 永眠
叔母や従兄弟が部屋の荷物をまとめて運び出してくれている間、
私は母の側で泣き、感謝を伝え続けた。
少し落ち着いた頃、私も荷物をまとめ始めた。
病院で借りた本を返しに行こうと、廊下に出たとき、向こうから主治医が来た。
思わず駆け寄り“先生、ありがとう。お母さん、いっちゃった。”と伝えると、また泣けてきた。
一緒に病室に行き、母の顔を見てもらった。
主治医は“よく頑張られましたね。最後は体力がね”と言った。
主治医が来てくれたのは、この日、二回目。
熱が下がらないのを心配して、休みの日にも関わらず、夕方も来てくれていた。
その時は“体力が落ちているなぁ”と言っていた。
主治医は死亡診断書を書きますね と言って 部屋を出ていった。
部屋の片付けをしているとき、診断書を書き終えた主治医が来た。
父がいなかったので、私がナースステーションに行って説明を受けた。
死亡時刻。病名。手術の時期。解剖はと聞かれ 首を横に振る。
主治医も 可哀想でできないと言った。
説明を聞き終えたので、主治医に聞いてみた。
私は高リスクか?乳癌になる可能性は高いのか?と。
今 乳癌は凄く増えている。みんな働いていて、結婚が遅く 出産も遅い。
食生活の変化も原因ではあるけど、授乳をしたかしてないかでまた確率は違ってくる。
検診は受けなさい。乳癌はこう言ったらお母さんに申し訳ないけど、
4人に3人は助かる病気だからね。早い方がいいんだよ。
乳癌は、約10年かけて1cmほどの大きさになる。
でもその大きさから、たった三ヶ月で倍に、また三ヶ月で倍になることもあるんだよ。
気付いたらアッという間に大きくなっちゃうから、
そしたら怖くなってねぇ。
なかなか病院に来れなくなる。だから検診は大事だよ。
胸の大きい人なんかだと、2.5cmくらいにならないと気付かなかったりして、
そうなると その時点でスタートが違うからね。
だから検診は大事だよ。と 何度も言った。
以前母も、急に大きくなった と言っていた。母は凄い前から胸にシコリを抱えていたのだろう。
もしも 娘の私が側にいたなら、不安な気持ちを私には打ち明けてくれていたかもしれない。
もし なんてことを言っても 母が帰ってくるわけじゃないけど、
もしかしたら 今が違っていたかもしれないと思うと、悔やまれて仕方がない。
主治医に挨拶をして母の元に戻ると、看護師さんと叔母が 母の体を拭いていた。
亡くなって直ぐに看護師さんが、
娘さんも一緒に体を拭いてあげませんか と言ってくれていたので、私も加わった。
最後の胸の皮膚転移の処置もしてくれた。
胸のガンを見ると、既にそこに赤味はなく、黄色っぽくなっていて
あぁ、ガンも死んだんだ と思った。
母の体の色は 何も変わっていないのに、ガンの顔だけが変わっていた。
こんなにも簡単に ガンは死んでしまうんだ と思った。
人が死ぬとガンも生きていられないのに、何の為に 人の体に広がっていくんだろう と思った。
看護師さんは、いつもと変わらない処置をしてくれた。
丁寧に洗浄をし、ガーゼを当ててくれた。
そしてオムツを変え、浴衣を着せてくれた。
私は 毎朝母にしていたように 顔の左半分にタオルを当て拭き、右半分も同様にして拭いた。
看護師さんが 娘さん、お化粧もしませんか?と言ってくれたので
ファンデーション、眉、チーク、口紅を順に付けていった。
ほんのりと頬がピンクになっただけなのに、本当に寝ているみたいな顔になった。
夜で看護師さんが少ないのに、看護師さんみんなが病室に来て、母の顔を見てくれた。
約三ヶ月過ごさせてもらった病棟。
看護師さんたちも一緒に泣いてくれた。
主任看護師さんも泣きながら、私を抱き締めてくれた。
病室を後にしエレベーターに乗るとき、看護師さんたちが見送ってくれた。
父と叔母、私の3人は 看護師さん達に何度もありがとうございました とお礼を言った。
この日の当直の医師が入ってきて 母の死を確認する。
4月17日(日)23時5分 永眠
叔母や従兄弟が部屋の荷物をまとめて運び出してくれている間、
私は母の側で泣き、感謝を伝え続けた。
少し落ち着いた頃、私も荷物をまとめ始めた。
病院で借りた本を返しに行こうと、廊下に出たとき、向こうから主治医が来た。
思わず駆け寄り“先生、ありがとう。お母さん、いっちゃった。”と伝えると、また泣けてきた。
一緒に病室に行き、母の顔を見てもらった。
主治医は“よく頑張られましたね。最後は体力がね”と言った。
主治医が来てくれたのは、この日、二回目。
熱が下がらないのを心配して、休みの日にも関わらず、夕方も来てくれていた。
その時は“体力が落ちているなぁ”と言っていた。
主治医は死亡診断書を書きますね と言って 部屋を出ていった。
部屋の片付けをしているとき、診断書を書き終えた主治医が来た。
父がいなかったので、私がナースステーションに行って説明を受けた。
死亡時刻。病名。手術の時期。解剖はと聞かれ 首を横に振る。
主治医も 可哀想でできないと言った。
説明を聞き終えたので、主治医に聞いてみた。
私は高リスクか?乳癌になる可能性は高いのか?と。
今 乳癌は凄く増えている。みんな働いていて、結婚が遅く 出産も遅い。
食生活の変化も原因ではあるけど、授乳をしたかしてないかでまた確率は違ってくる。
検診は受けなさい。乳癌はこう言ったらお母さんに申し訳ないけど、
4人に3人は助かる病気だからね。早い方がいいんだよ。
乳癌は、約10年かけて1cmほどの大きさになる。
でもその大きさから、たった三ヶ月で倍に、また三ヶ月で倍になることもあるんだよ。
気付いたらアッという間に大きくなっちゃうから、
そしたら怖くなってねぇ。
なかなか病院に来れなくなる。だから検診は大事だよ。
胸の大きい人なんかだと、2.5cmくらいにならないと気付かなかったりして、
そうなると その時点でスタートが違うからね。
だから検診は大事だよ。と 何度も言った。
以前母も、急に大きくなった と言っていた。母は凄い前から胸にシコリを抱えていたのだろう。
もしも 娘の私が側にいたなら、不安な気持ちを私には打ち明けてくれていたかもしれない。
もし なんてことを言っても 母が帰ってくるわけじゃないけど、
もしかしたら 今が違っていたかもしれないと思うと、悔やまれて仕方がない。
主治医に挨拶をして母の元に戻ると、看護師さんと叔母が 母の体を拭いていた。
亡くなって直ぐに看護師さんが、
娘さんも一緒に体を拭いてあげませんか と言ってくれていたので、私も加わった。
最後の胸の皮膚転移の処置もしてくれた。
胸のガンを見ると、既にそこに赤味はなく、黄色っぽくなっていて
あぁ、ガンも死んだんだ と思った。
母の体の色は 何も変わっていないのに、ガンの顔だけが変わっていた。
こんなにも簡単に ガンは死んでしまうんだ と思った。
人が死ぬとガンも生きていられないのに、何の為に 人の体に広がっていくんだろう と思った。
看護師さんは、いつもと変わらない処置をしてくれた。
丁寧に洗浄をし、ガーゼを当ててくれた。
そしてオムツを変え、浴衣を着せてくれた。
私は 毎朝母にしていたように 顔の左半分にタオルを当て拭き、右半分も同様にして拭いた。
看護師さんが 娘さん、お化粧もしませんか?と言ってくれたので
ファンデーション、眉、チーク、口紅を順に付けていった。
ほんのりと頬がピンクになっただけなのに、本当に寝ているみたいな顔になった。
夜で看護師さんが少ないのに、看護師さんみんなが病室に来て、母の顔を見てくれた。
約三ヶ月過ごさせてもらった病棟。
看護師さんたちも一緒に泣いてくれた。
主任看護師さんも泣きながら、私を抱き締めてくれた。
病室を後にしエレベーターに乗るとき、看護師さんたちが見送ってくれた。
父と叔母、私の3人は 看護師さん達に何度もありがとうございました とお礼を言った。