
数学でのアルキメデスの原理は「アルキメデスの公理(又は性質)」とも呼ばれ、”2つの実数aとbがある時に、bをある回数だけ足し合わせると、aを超える”というもので、無限の概念を扱う重要な公理とされる。
言い換えれば、”ある線分の長さを1とし、それを無限に分割すると、どんなに小さな線分も必ず存在する”事を意味する。これは、実数には極限が存在し、実数の連続性を意味する重要な性質とも言える。
更にこの原理は、”2つの0より大きい実数がある時、一方の実数に十分大きい正の整数を掛けると、もう一方の実数より大きくなる”とも言える。当り前の様に思えるかもだが、この性質は実数の連属性において非常に重要な公理となる。
事実、任意の正の実数a,bに対し、十分に大きい整数n∈Nが存在し、na>bが成り立つが、この分母と分子をひっくり返して変形し、1/nが成り立つ。a/bは正の実数だから任意のn∈Nに対してn/1よりも小さくなる正の実数は存在しない。つまり、「アルキメデスの公理」では無限小が存在しない事が判る。
実数の連続性と集合の有界性
例えば、一般には、0.999⋯=1とみなせるが、厳密には、0.999⋯で1にはなりえない。が、これは無限小の存在を認める事で、0.999…と1の間には、無限小という誤差(極限)が存在する事を意味する。これこそが実数における「連続の公理」となる。
一方で、集合の概念で言えば、連続の公理は”任意の空でない、上に有界な集合A⊂Rに対し、Aの上限が存在する”と定義でき、この定義から「アルキメデスの公理」が証明できる。
だがその前に、実数の連続性や有界という性質を理解する必要がある。これは、「アルキメデスの公理」が実数の連続性により”全ての自然数からなる集合Nは上に有界ではない”という事を主張してるからだ。
因みに、有界とは集合や関数などが”ある一定の範囲に収まっている”事を言い、”上界や下界を超えない”事を意味する。つまり、”上に有界な集合は必ず上限を持ち、下に有界な集合は必ず下限を持つ”と言える。
また、実数集合Rの空でない部分集合Aにて、ある実数aがAの任意の要素以上ならば”aをAの上界”と呼び、aがAの任意の要素以下ならば”aをAの下界”と呼ぶ。
定義で言えば、K∈RがAの上界(upper bound)であるとは、x∈A⇒x≤Kが成立し、L∈RがAの下界(lower bound)であるとは、x∈A⇒L≤xが成立。また、上界が存在する時、Aは”上に有界”であるといい、下界が存在する時、Aは”下に有界”であるという。
そこで、自然数の集合NをN={1,2,3,4,5,6,⋯}とすると、実数の連続性から、1<2<3<4<5<6<⋯という関係が成立する。また、Nは実数集合Rの非空な部分集合である為、その有界性を議論できるが、実数の定義より0
従って、Nの全ての下界からなる集合は、L(N)={x∈R|x≤1}となり、Nの下限は、infN=maxL(N)=1となる事が判る。
では、Nは上に有界なのか?事実、Nの要素である自然数1,2,3,⋯は幾らでも大きくなり続ける為に、”Nが上に有界でない”という「アルキメデスの公理」が、直感的には自明となる事が理解できる。
一方、”Nが上に有界でない”とは”任意のRに対し、それよりも大きいNが必ず存在する”との命題に置き換える事も出来るが、”どんな実数xをとっても、xを超える実数が存在する”とした方が判り易いだろうか。
この命題は、”正の実数x,yが任意に与えられた時、xを繰り返し加えれば、yを超える事が出来る”と言え、冒頭で述べたアルキメデスの主張と合致する。
最後に
そこで、実数の連続性や有界の概念や極限に少しは慣れた所で、「アルキメデスの公理」を背理法を使って証明しよう。
まず、”Nが上に有界である”と仮定すると、(前に述べた)上に有界の定義(=上に有界な集合は必ず上限を持つ)から、Nの上限α=supNが存在する。
次に上限の定義から、1∈Nに対し、あるm∈Nが存在し、α−1<m<αとなり、α
因みに、上限(supremum)とは上界の最小値(minimum)であり、その値をαとすると、A(≠∅)⊂Rに対し、任意のε>0に対し、x∈A(≠∅)⊂Rが存在して、α−ε≤x≤αが成立。この時にα=supAと書け、上の証明では、εを1、xをm、AをNとおいた。
下限(infimum)も同様に、下界の最大値(maximum)であり、その値をβとすると、任意のε>0に対し、x∈A(≠∅)⊂Rが存在して、β≤x≤β+εが成立。この時にβ=infAと書ける。
但し、最大値と上限の違いは”α∈Aか否か”にあり、maxはα∈Aである必要があるが、supはその必要はない。つまり、supは必ず存在するが、maxはそうとは限らない。また、下限(inf)と最小値(min)の違いも同様である。
一方で、最大値と最小値が存在する時、上限と下限はそれに一致する。故に、上限や下限は最大値や最小値の拡張概念とも言える。
簡単に説明するつもりが、結局はややこしい抽象論に終止したが、アルキメデスの公理を数の最小限というテーマで眺め続けると、不思議と嵌ってしまう。
これも数学にのめり込むが故の、独特の”安心感”というものであろう。だが、あるベトナムの学生が毎晩の様に鳴り響く空襲警報に悩まされ、その時に知り合ったのがアルキメデスの公理だった。
青年は、この古典的な公理に集中する事で戦時の不安を遠ざける事が出来たという。そして気がついた時には、アメリカ東海岸の有名私大で教鞭をとっていたというから、全く洒落にならない。
また数学的な思考は、問題を分析し、解決策を見つける為の体系的なアプローチを提供し、不確実性や混乱に対する耐性を高める事が出来るという。
つまりだ。
精神的不安を論理的に考察する事で、不安に対する耐性を高めることは可能かもしれない。
でも、数学にのめり込みすぎて気狂いになる人も多いから、全ては程々にってとこだろう。
頼りすぎると廃人にもなる。
私も若い頃は数学者になりたかったんですが、今に思うと数学者になれなくて、良かったと思います。
ナッシュJrが言ってましたが
数学は一時的には良い論理思考を与えてくれるが、やがて脳に破壊的ダメージをもたらすと
数学の天才は、脳内の神経回路が非常に複雑で繊細に出来てますから、その設計上少しでもバランスを崩すとショートし易い。
薬物か?数学か?
どちらもそれ自体は毒物みたいなもので
試す時は自己責任でってなるんですかね。
それに最大値と最小値
私達が日常使うのは最大値と最小値で
その上にある上限と下限や上界と下界は
まるで異次元の世界
英語に直せば上から順に
UpperBoundとLowerBound
SupremumとInfimum
MaximumとMinimum
これが精神安定剤になるって
だから数学者って変態なのよ
非常に抽象的にはなりますよね。
因みに、boundとは有界の意味で、集合がある範囲内に収まる状態を指します。
数を数列と考える事で集合論に展開でき、集合や数列の大きさや順序関係を論じる時には、とても便利なツールとなる訳です。
例えば、集合A={1,2,3}に対し、3や4は上界で、1や0は下界となり、最小の上界(上限)は3で、最大の下界(下限)は1ですね。
記号で言えば、supA=3、infA=1となります。
これを変態と言えばそれまでですが、こうした作業を延々と繰り返す事で、数学者は精神を安定させてるのです。
同様に、実数全体の集合も(上にも下にも)有界ではない。
数列で言えば、{an}=2n=2,4,6,…≥2で下に有界となり、{bn}=−1n=-1,−1/2,−1/3,…≤0で上に有界となる。
{cn}=(−1)^n=−1,1,−1,1,…では−1≦cn≦1となり、(上にも下にも)有界な数列となる。
また、収束列は全て有界な数列となる。
こうした具体例を延々と続け、有界の定義を理解するんだが、これも数学の基本かもだ。
グラフにして、値域の範囲(bound)を確かめる事で、有界か否かを判断します。
定義で確かめるよりも、この様な簡単な具体例で確かめた方が理解は早いですよね。