象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「野球とニューヨーク」”その2”〜アイルランド移民とW•トウィードの悪の支配

2018年02月17日 11時03分32秒 | 野球とニューヨーク

 少し間が空いたので、〈その1〉のおさらいをです。ジャガイモ飢饉により、新大陸に移動したアイルランド移民が、貧困の中で見出した娯楽こそが、ベースボールだったんです。
 彼らは知識も教養もお金もなかった。腕力だけが自慢の彼らは、只々野球が好きだったんですね。そして、NYに留まり続け、ベースボールもまた、彼らと共に発展を遂げる。
 
 そこに、"正当なる汚職"を地で行く、タマニー親分(Wツィード=写真の人)が登場し、NYをマンハッタンを、そしてベースボールをも支配するのですね。


 このタマニ一派のジョン・モリセイも、ボクシングで世界王者になった後、賭博のオーナーとして成功し、一味の支援を受け、連邦下院議長を務めた。
 その後、トロイ・ヘイメーイカーズ(後のNYジャイアンツ、今のSFジャイアンツ)を結成し、見事に八百長ゲームを成功させ、賭博師たちに迎合したんです。賭博こそが出世の一番の近道だった。 
 
 南北戦争が、ベースボールの普及に大きく貢献した事は、余り知られていない。兵士たちにより熱心にプレイされ、4年間の戦争の間に腕を上げた。
 戦後、それぞれが地元に戻り、ベースボールを広めた。戦争とベースボールは深い縁があり、"恋愛と戦争は何でもあり"が、ベースボールでも導入されたのです。
 
 南北戦争の後、ベースボールブームに乗り、1869年に、シンシナチで作られたレッドストッキングズは、全員がプロからなる初の球団であった。
 この後、これを真似るチームがシカゴを初めとし、続出する。オーナーのハリー・ライトは経費が掛り過ぎるとして、球団をボストンに移した。これが後のレッドソックスである。

 勿論、不正と真っ向から戦った人たちもいた。”野球の父”こと、ヘンリー・チャドウィックはその一人だ。彼がNYに居なかったら、野球はもっと腐敗し、競馬やボクシングと同様に"賭けのゲーム"に成り下がってたろう。
 野球記者である彼は、野球のルールを統一した。ボックススコアを考案し、野球ガイドブックの編纂にも尽力したんですが。

 彼は、何とか賭博からベースボールを救い出そうとしたが、慣れ親しんだファンからはそっぽを向かれた。一方、ファンも不正の度にそっぽを向いた。しかし、ベースボールそのものに背を向ける事はできなかったんです。

 ベースボールこそが、自由・平等・民主の精神を具現したスポーツであると、彼は主張した。が、ベースボールが大衆化するにつれ、様々な悪弊が纏わり付いた。

 このチャドウィックが提唱したのは、野球選手は紳士たれとの事ですが。英国のクリケットプレーヤーのような存在になる事を期待したんです。彼は生涯を掛けて、ゲームの神聖さを守ろうとしたが、タマニー派には全く太刀打ち出来なかった。
 彼流に言えば、イギリス生まれの小さなドングリは、ここアメリカに来て、スクスクと育ち、底知れぬ腐敗した大きな森として、全米中に勢いよく繁茂するのです。

 野球の不正と政治の腐敗を述べたらキリがないのですが。やはり、触れておきますね。”臭いモノには蓋を開けろ”ですな。

 勿論、ツィード親分も1860年(〜1871)に、NYミューチュアルズという球団を創る。これは、長い大リーグの歴史でも、初めてNYに本拠を置いた球団だとされます。
 ただ、同じ年にシンシナチのレッドストッキングスが、プロ球団として発足した事だけが有名になり、一般には多くは語られてはいない。というのも、全米を巡業するでなく、NYに留り、ブルックリンの強豪だけと試合をやってた。

 本拠地はホーボーケンにあったが、NYでは、ブルックリンのファンが圧倒的に多く、殆どが、同じタマニー派のモリセイが支配するユニオンパークでの興行だったのです。

 しかし、これまた大リーク史上初の八百長事件を引き起こすんですな。この事件こそが、後の”ブラックソックス”の引き金となるんですが。ミューチュアルズとブルックリンとの試合で、僅か100ドルで八百長が行われた。


 お人好しのミューチュアルズの捕手ウォンズリーは、2人の内野手に30ドルを渡し誘い込む。全く軽い気持ちだったんでしょう。勿論、そんな八百長はバレバレで、3人は追放となるが、その後直ぐに釈放される。
 その内の一人が、後にシカゴWソックスで活躍するエド・ダフィーなのです。彼こそがシカゴに八百長を持ち込むのです。

 翌年も、飽きずに不正が起き、初っぱなから染み付いたイカサマ路線は、商業主義にも迎合し、促進される事になります。
 その上、ツィード一味は野球賭博そのものを仕切っていた。ホーボーケンで産み落とされた頃の純朴な優雅さは全く失われた。

 ベースボールはギャンブルの為の舞台となり、金を賭けるのは客だけでなく、選手も監督もアンパイヤまでもが、賭ける様になっていくのです。選手たちはプレーでなく、賭けに集中してると揶揄された。

 また、ベースボールほど賭博に向いてるゲームもない。のんびりしてて、インターバルが多く、賭けに全く都合のいい、無数の間と闇が散らばってると。その間と闇が賭博を増殖させた。賭けの対象も、勝敗だけでなく、点差、ヒット数、HR数など様々に及びます。
 この頃の野球とオーナーは、観客に賭けをさせ、金を巻き上げ、大きく成長し、私服を肥やしていきます。


 一方、ナリーグの前身と言われるNAPBBP(National Association of ProBaseball Players)はその名の通り、選手個人の連合体で、オーナーが支配する仕組みではない為、白人の中には黒人も多くいた。が、アイルランド系と黒人の激しい対立を防ぐ為にも、黒人を排除する必要があったと言う。
 つまり、ニグロリーグの誕生は、”差別”だけではなく、アイルランド移民に対抗する為の”手段”でもあったんです。

 全く、酷い話ですね。日はここまでです。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ニグロリーグの誕生 (paulkuroneko )
2018-02-20 14:52:56
またまた、こんにちわ
二グロリーグの誕生が、黒人とアイルランド移民との対立と深く結び付いてたとは、少し驚きです。てっきり白人が黒人を差別してた結果と思ってました。

黒人野球が生き延びる為の必要な手段だったんですか。そんな歴史があったとは知りませんでした。
返信する
Re:ニグロリーグの誕生 (lemonwater2017)
2018-02-20 19:48:40
こちらこそ、今晩わです。

 八百長は仕方ないにしても、差別や対立は詰まらんですね。そのまま黒人と白人が一緒にプレーしてたら、八百長どころじゃなかったでしょうに。戦国時代みたいな野球が見れたでしょうね。一気に世界中に広まったかもです。

 結局、白人同士で癒着し合ったんですね。ホーボーケン時代の野球を見てたかったです。
返信する

コメントを投稿