象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

”笑えない”数学は世界を支え、そして世界を変える

2023年04月08日 11時37分55秒 | 数学のお話

 「神は数学者か」(マリオ・リビオ著)では、人間の純粋な思考の産物である筈の数学が何故、宇宙構造や自然現象、遺伝の法則や株価の挙動などを説明するのに見事なまでに役に立っているのかと訴える。
 創造主(神)は数学を元にこの世界を創ったのか?それとも人間が数学を作ったのか?
 だとしたら、数学者は神様なのか?それとも神が数学者なのか?
 数学の”不条理な有効性の謎”に迫るとも言えるこの本は、ぜひ数学嫌いの方々に読んでほしいもんだ。
 ”数学は発見か?発明か?”という議論はよくなされるが、数学が宇宙にあらかじめ存在し、人間がそれを”発見した”にすぎないとすれば、神は数学を使って宇宙を創った事になる。一方で、数学が人間の”発明した”ものだとすれば、数学は人間の創作物であり、その数学を使って宇宙の神秘を解き明かすとすれば、人は数学を使って神を解いたとも言える。
 つまり、発見か?発明か?という議論は、数学は”発見であり発明である”と言い換える事ができる。

 例えば、カラタン予想がある。
 これは8(=2³)と9(=3³)は連続する整数で、共に自然数の累乗になる。1844年、ウジェーヌ・カタランは、”無数に存在する自然数の累乗の中で、連続するのは8と9だけだ”と予想した。この予想は2002年に真である事が証明されたが、”我々が正しいと知らなかっただけで、ずっと昔から真実だった”のだ。
 つまり、コロンブスが 発見する前からアメリカ大陸が存在してたのと同じく、古代バビロニア人が数学の研究を始める前から、数学の定理は存在していたのである。
 簡単な例を上げれば、1年365日は365=10²+11²+12²と、連続する3つの自然数の平方の和である事が確認できる。
 勿論、単なる偶然かもしれないし、神様が与えてくれた美しい等式かもしれない。

 因みに(これから)365は連続する3つの自然数の平方の和であるが、”この3つ自然数のうち最も小さい数を求めよ”という問題が作れる。高校程度の数学の知識があれば、連続する3つの自然数を(n−1),n,(n+1)とし、(n−1)²+n²+(n+1)²=365として計算すれば、n²=121となり、答えは10と簡単に求まる。が、これは人間は発明した計算が故の結果である。
 もっと簡単な例では、”連続する3つの自然数の和は3の倍数になる”ってのがあるが、これは中学校の数学で証明できる。
 この様に、数字の世界にはあらゆる完璧なる法則(真理)が沢山詰まっている。
 プラトン主義者に言わせれば”客観的な真理”となるが、我々がこの様な絶対確実で”客観的な知識”を得られるのは、数学の世界にいるからである。
 神が絶対(確実な真理)だとされるのはそういう所から来てるのだろうが、行き着く所は”なぜ数学は自然界や宇宙を説明するに、これほどまでに効果的なのか?”となる。
 つまり、こうした”数学の不条理な有効性”は”数学は神か”と言い換える事もできなくない。
 もっと言えば、宇宙は何なのか?神は何なのか?それを解き明かすのが”数学の不条理な任務”と言えるのかもしれない。


世界を作り変えた数学

 ”数学がなければ今日の世界は崩れ去ってしまうだろう”
 数字が本来持つ専門の領域からそれとは全く違う分野で、大活躍してる例が数多く存在するという事実。
 「世界を支えるすごい数学」の筆者のイアン・スチュワートはこの凄い数学を”不合理な有効性”と呼ぶが、「神は数学者か」のマリオ・リビオが神に匹敵するかもしれない数学を”不条理な有効性”と呼んだのと比較すると面白い。
 数学は気候変動の予測にも大きく役立ってるし、テロリストやハッカーから身を守るのにも使われている。
 かつて数学とは、何かを数値化する為に”使う”ツールであったが、今では絶対に”欠かせない”聖域になりつつある。しかし、数学を自分のものだけにせず、誰もが理解し使える様にする事で、数学は驚くほどの力を発揮する。

 ”世界を支える”と言うより、”世界を作り変え”てしまうかもしれない数学。
 一方で「数学は世界を変える」の著者リリアン・リーバーは”数学を身につけ、個人や社会に正しく用いれば、よりより人生を送り、世界をより良いものにできる”と説く。
 数学的な体系を現代の民主主義と結んで理解する事が如何に大切であるか。元々は戦地の従軍兵士に読んでもらう為に野戦食糧キットにもこの本が同梱された。
 つまり、数学の様な抽象の世界に思考をおいて、厳しい現実を眺めると不思議と見えなかった事が見えてくる。
 数学には答えが存在しない様に、現実にも答えは存在しない。何が平和で何が成功かは、人それぞれであり、非常に抽象的なものである。
 そんな中で数学という学問は調和を重視する。例えば、等式は左右同じであるし、難しい等式ほど巧妙で絶妙なバランスで保たれている。

 例えば、i×i=−1という等式を(縦軸を虚数、横軸を実数とする)複素空間の座標で表せば、(0,1)×(0,1)=(−1,0)となるが、現実ではあり得ない様な事が当り前に起きるのも数学である。
 数学が世界を変えるとは、こういう意味でもある。いや、人類の思考そのものを変えると言えるかもしれない。

 一方で今までは、様々なデータの表現に実数が用いられる事が多かった。しかし人の数を数えるには役に立たない”分数”も石の大きさを比べるのには役立つし、物体の重量を記述するには役に立たない”負の数”も借金の額を表すには不可欠である。同様に、信号処理・制御理論・電磁気学・量子力学・地図学等の分野を記述するには”虚数”が必要となる。
 例えば電子工学では、直流電圧は+12Vや−12V等と実数で表すが、家庭用の交流電圧を表すには、ボルトという振幅と位相と呼ばれる角度の2つのパラメータが必要となる。この様な2次元の値は、数学的には複素空間の座標で表される。
 私達が知らないだけで、自然現象や日常を数学で記述するには、こうしたケースは当り前の様に腐るほど存在する。また、こうした難しい数学の”摩訶不思議な有効性”が我々の日常や現実を支えているのも事実である。 

 
最後に

 数学は難しすぎて、人生や世の中の為には何の役にも立たない。
 確かに、数学が理解できない人にはそう思えるかもしれないが、我らが知らない間に数学という奇怪で難解な生き物は、世界のいや日常の一部となり、増殖し続けている。
 計算するだけのツールから、宇宙だけでなくあらゆる自然現象や日常のしくみを記述する道具に君臨してしまった数学。
 そして、その数学の有効性が無視できなくなった今、我ら人類は数学を神様とみなそうとしている。
 神が数学だった時代から、数学が神になる時代

 そんな時代に我々が生きてるとしたら、難しいという単純な理由だけで数学に背を向けれるのだろうか。
 思考や知能に限界があるとしても、数学には果てがあるのだろうか?もっと言えば、数学は思考や知能を超え、更なる次元へと突き進む。もはや、学問の一領域というよりあらゆる事象を包括する存在としての数学。
 AIの様に、お利口さんでも流暢でも説得力がある訳でも、大衆を惹き付ける魅力(デタラメ)がある訳でもない。
 しかし、”笑わない”数学は、常に身の周りに存在し、神や宇宙をも既に支配してるのかもしれない。更に言えば、”ウソをつけない”数学は、嫌われながらも我々人類を守ってくれてるのかもしれない。

 いや、(人畜無害どころか)非常に危険で有害なAIを生み出してしまった奢り高ぶった数学は、やがて罰せられ、永遠に葬り去られるのだろうか。
 それとも、AIの本質が統計的模倣にあるとすれば、AIの行き着く先は思考のガラクタとなる。一方で、数学の本質がアイデアと閃きにあるとすれば、人類はもっと賢く調和的に振る舞うべきではないか。
 数学が世界を支え、世界を変えるというのはそんな理屈かもしれない。



4 コメント

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365日=10²+11²+12² (HooRoo)
2023-04-08 14:45:40
自然界の偶然か?
数学上での必然か?ってところよね

数学も神も人類が登場する前からすでに存在し
それらを人間が解明してきた

神の先に数学があるのか
数学の先に数学があるのか
それとも神とともに数学があるのか

そもそも神も数学も何者よ?って
そういう議論に収束するんじゃないかしら^^;
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Hooさん (象が転んだ)
2023-04-08 18:57:24
理想的なのは
数学者が聖職者になる事だと思います。
一方で、今の腐敗した聖職者は数学者にはなれそうにもない。中世の時代なら可能でしたが・・・
つまり、神学は大きく衰退し、数学は異常なまでに飛躍した。
最初から自然は神ではなく数学と同化してたし、その数学が神を生んだ。

私が自然なら神よりも数学を選択しますね。
という事で答えにもなってませんが・・・
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Unknown (1948219suisen)
2023-04-09 06:23:01
なるほど!

数学は発見か発明かは面白い目の付け所ですね。

私は発見だと思いたいですね。

やはりサムシング・グレートが作ったものをわれわれ人間が発見したのでしょうね。

われわれは神の手のひらで遊んでいるだけなのでしょう。

私をいじめる人達も虐められている私も!😄😄
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ビコさん (象が転んだ)
2023-04-09 10:00:21
数学か?神か?は
昔から議論されてきた事ですが
発明と発見に置き換えた所が憎いですね。

地球が誕生し、自然が躍動し、その時点で数学の祖先は自然の中に埋もれてたと思うんです。そして、その事を神を主と崇める人間が発見した。

ただ、今の聖職者や宗教の衰落を見てると、神は数学だったのかなとも思います。
神の掌の上で弄ばれてる人間も、実は神を弄んでる。
サピエンス全史のハラリ氏が言うように、数学者こそが神(ホモデウス)として崇められるべきかもですが、その時は数学は死滅するでしょうね。
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