象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ゴジラに憑かれる大人達〜今”子供騙し”の映画が大受けする、そのワケ

2024年05月15日 04時07分39秒 | 映画&ドラマ

 「ゴジラ−1.0」(2023)がアマプラで配信され、「ゴジラ」(1984)、「ゴジラ2000」(1999)、「ゴジラ×モスラ×キングギドラ」(2001)と、立て続けにゴジラシリーズを見る。

 単なる怪獣映画なのだが、不思議と嵌ってしまう。”子供騙し”と判っていながら、60過ぎてもゴジラに夢中なのだ。
 因みに、(正確な記録が残ってる)興行収入で言えば、東宝のゴジラシリーズ(平成以降)が、10億〜27億ほどで、唯一「シンゴジラ」(2019)の82.5億だけが突出していた。が、世界中に配信された「ゴジラ−1.0」は更にその上を行く。
 しかし観客動員となると、昭和のゴジラシリーズが圧倒し、1作目の「ゴジラ」(1954)は961万人で、3作目の「ゴジラvsキングコング」(1962)は1255万人と「シンゴジラ」の569万人を大きく上回る。だが、昭和も後半となると動員数は次第に下降し、「メカゴジラの逆襲」(1975)では100万人を割り込み、ゴジラ人気は底をつく。以降、毎年の様に作られてたゴジラシリーズは、ここにて一旦終焉を迎えた。
 1984年、9年ぶりに復活したゴジラだが、以降の平成前期のゴジラシリーズ(計7作)では200万〜420万と安定した人気を誇っていたが、平成後期となると次第に落ち込み、「ゴジラ FINAL WARS」(2004)では104万に留まる。
 平成ゴジラもここで一旦終結し、12年ぶりに復活した「シンゴジラ」(2016)に継承され、「ゴジラ−1.0」(2023)に至る。
 つまり、ゴジラも歴史と同様に韻を踏む。


”子供騙し”と見た目と観客動員力

 確かに、日本映画の歴代興行収入では上位の殆どがアニメで占められている。穿った言い方をすれば、”子供騙し”の作品の方が日本ではバカ受けする。これは、数学の小難しい記事よりも、グルメやペットや旅行の記事の方がインスタ受けするのと同じ原理かも知れない。
 これは、ハリウッドを含む世界規模でも同様で、CGを駆使した”子供向け”のSFX系が上位を占める。
 つまり映画と言えど、見た目が全てで、パクリであろうが、コピーであろうが、パッと見こそが大衆の娯楽を制する。言うまでもないが、人間も政治家も外面が全てである。 
 更に言えば、ポルノ動画もYouTubeも見た目が全てである。

 ただ、一連のゴジラシリーズは、そこまで見た目を意識していたのだろうか?少なくとも、興行収入には依存しない、某らのコンセプトがあった筈だ。
 因みに、「ゴジラ」(1984)は昭和のゴジラとは決別し、再び凶暴な人類の敵として描かれている。そういう意味では第1作の「ゴジラ」(1954)と似通ってはいるが、リメイクと言える程でもない。
 ”ゴジラ復活”の一刺しとなったこの作品だが、ゴジラのファン層の中核をなす中高生世代の後押しが空洞化した結果、目標の20億に届かず、橋本監督は責任を感じ、引退する。
 が私が見た限りでは、質的に言えばだが、「ゴジラ−1.0」にも「シンゴジラ」にも負けてはいなかった。ただ、今の様に宣伝媒体が大規模で派手でもなかったので、ゴジラに対する大衆の興味が高くなり得なかったとの見方も出来る。
 また、”ゴジラを背景にした人間ドラマ”というコンセプトとしてみれば、大ヒットした上の2作と大きくは変わらない。

 一方で、大きな話題を呼んだとして記憶に新しい平成最後の「シンゴジラ」は、見た目を最大限に意識した作品とも言える。
 ゴジラをキャラクター化させ、観客の感情移入を故意に誘ったのは明白だが、ゴジラを舞台装置に見立て、官僚たちの苦悩を巧妙に描いている。つまり、ゴジラ単体では限界があり、(前述の様に)ゴジラを背景に人間ドラマを盛り込む事で、単なる怪獣映画から脱皮し、大人の映画として、大きな成功を勝ち得たと言える。
 ただ私には、シンゴジラの全てが”子供騙し”に思えた。”コピーの天才”と揶揄される庵野秀明監督だが、所詮アニメからの脱皮は図られておらず、「エヴァンゲリオン」の大成功で圧倒的で明確なファン層を持つ庵野氏ならではの賜物とも言える。
 但しこれには、大きな伏線がある。2作目のハリウッド版「GODZILLA」(2014年)が世界的な大ヒットとなり、東宝でのゴジラ製作の機運が高まり、それが日本中の隠れたゴジラファンの期待値を大きく盛り上げたのだ。だが、単発で終わった事を考えると、本当の意味でのブームにはなり得なかったとも言える。

 そういう意味では、「ゴジラ」(1984)も大人の映画と言えなくもないし、「ゴジラ2000」(1999)や「ゴジラ×モスラ×キングギドラ」(2001)も力作ではあるが、所詮は怪獣映画に過ぎない。が、それでも魅入ってしまう何かが、ゴジラ映画には存在する。
 つまり、そこに共通するのは巧妙に作られた”子供騙し”にある。人生は現実と同じで嫌な物である。ゴジラを見てる間は、その隙間に作為的で陳腐な人間ドラマが入り組もうが、ゴジラを眺める純朴な子供でいられる。
 こうした架空の世界が、長く人生に疲弊し続けた大人を癒やしてくれる。
 勿論、縫いぐるみと判ってても、ミニチュアのビル群がバレバレであっても、我ら大人は現実離れした空間に生き甲斐を見出し、現実逃避を必死に模索する。
 確かに、現実に踏みにじられるよりかは、子供に騙された方がずっといい。大人という生き物はそういうもんだろう。もっと言えば、日本人にとってはアメリカにやられるよりかはゴジラに打ちのめされた方がずっといいのである。


ゴジラは怪獣を超えるのか?

 但し、”子供騙し”ではない?ゴジラも存在した。ハリウッド1作目の「GODZILLA」(1998)である。
 今では壊滅的に語られる作品も興行収入だけで言えば、世界中で3.8億万ドル(450億)を売り上げ、日本でも60億円(観客動員360万人)を売り上げたのだから、立派な成功とも言える。
 当初は、”あれはゴジラではなく、イグアナが巨大化しただけの化け物だ”と散々な酷評だった。が、時が経ち、ハリウッドゴジラがシリーズ化すると、”子供騙し”という点で見ればだが”イグアナのお化け”も悪くはない気がする。
 事実、以降の3作のハリウッドゴジラは、”イグアナのお化け”に日本の興行収入では負け続けている。多分4作目も(少し見た感じではだが)とても期待はできそうもない。

 多くの欠陥を抱えた作品だが、昭和初のゴジラ(1954)を彷彿させる導入部は非常に見ごたえがあった。巨大化したイグアナがNYに初登場した際もダイナミックでリアル感があったが、米軍との戦いが始まると、一気に映画としての質感が急降下する。
 一方で、ゴジラを駆除すべき巨大生物として描くのか?応援すべきヒーローとして描くのか?エメリッヒ監督の混乱が後々物議を交わす事になる。が、単なるイグアナのお化けであれば、日本を含めた世界中のゴジラファンからすれば、絶対に認めたくない存在である。

 ただ、街中を破壊するのはゴジラではなく、米軍であった。戦闘ヘリから放つミサイル群は俊敏な動きのゴジラに全てかわされ、高層ビル群を次々と破壊する。一方で、ゴジラは自らの子孫を守ろうと必死に逃げ惑う。が、マンハッタンにあるマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)に沢山の卵を産み付けていた。
 この時点で、ゴジラは人類にとって徹底して駆除すべき存在だと判るし、少なくともヒーローになり得ない。だが、子供ゴジラの死骸を見つめる悲しげな表情のゴジラに感情移入をしてた私は、(CGで描かれた)ゴジラがミサイル攻撃で死ぬ場面に、不思議と感傷的になった。
 因みに、一連のゴジラシリーズを見て、涙が出たのは後にも先にも、このゴジラだけである。
 その後、F18戦闘機が赤外線ミサイルでMSGを爆破するシーンで幕を閉じる。このシーンも印象に残ってるが、ゴジラを持ってしても”米軍には勝てない”とのコンセプトに、少し虚しさも感じた。


最後に〜ゴジラよりもイグアナ

 エメリッヒのゴジラは結果論で言えばだが、散漫な脚本の曖昧さと監督の中途な演出、それにCGスタッフの挫折と諦めがもたらした失態群とも言える。が、日本のゴジラシリーズの様に、少なくとも子供騙しの要素は含まれてない気がした。もっと言えば、日本版ゴジラの幼稚さとは皆無の様にも思える。
 それは、この作品でのゴジラは怪獣から完全に決別した巨大化したイグアナであり、そこには、生命が持つある種の生々しい匂いがしたからだ。勿論、放射熱線を噴き出すイグアナも悪くはないが、怪獣映画との距離をおいた作品という点では、それなりの評価も出来るし、駄作という言葉は用いたくはない。
 それは、”子供騙し”から脱皮した唯一のGODZILLAであるからだろう。逆を言えば、エメリッヒのゴジラこそが(多くのファンは絶対に認めたくはないかもだが)、もう1つのゴジラの生の姿なのかも知れない。

 ただ、生々しい痛みを感じるゴジラを描くのは困難であった。子供騙しの怪獣映画から脱皮したゴジラはどこへ向かうのか?
 エメリッヒはそれを描きかった筈だ。だが、SFXを駆使した娯楽色の強い作品を作り続け、”ハリウッドの破壊王”と評された監督も、怪獣を超えた生のゴジラを描く事は不可能だった。
 とは言え、「シンゴジラ」に比べれば、怪獣と子供騙しを超えた作品であり、完成度では大きく敵わないものの、大人の映画と割り切れなくもない。
 但し、イグアナのお化けにしては、その質感や属性は恐竜そのものであり、もっとイグアナに似せても良かったし、もっと言えば、放射能で汚染されたイグアナの変異体がゴジラであるというコンセプトでも良かっただろう。
 というのも、フォルムで言えばイグアナも負けてはいないと思うからで、NY湾を自在に泳ぐゴジラには自由と躍動があった。もっと言えば、脚がデカいだけのフォルムにはウンザリな所もある。
 つまり、日本の東宝のゴジラを超えるには、そこまで徹底すべきではなかったか。
 しかし、エメリッヒのゴジラは所詮は、チラノザウルスの亜種に過ぎない。ここら辺のイメージが甘かったが故に、脚本も含め、作品の全体像も全てが中途に成り下がった様に思える。

 子供騙しで成功した日本とハリウッドのゴジラシリーズと、子供騙しから決別した事で世界中から嫌われ、酷評を受け続けた唯一のゴジラだが、私には後者の方が不思議と愛着が湧く。元々ゴジラは人類の敵なのだ。今更ヒーローに成り上がる必要もない。
 エメリッヒ監督にはリベンジを掛けて、「ゴジラ-1.0」を超える”イグアナ”を是非とも描いてほしいもんだ。



6 コメント

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監督の苦悩 (tomas)
2024-05-15 08:52:59
お早うございます。
エメリッヒ監督もさんざん叩かれて
大変だったでしょうね。
監督の頭の中には日本のゴジラなんてSF映画の延長上にあったんでしょうか。
イグアナの化け物という発想自体は悪くはないと思いますが策に溺れたような気もします。
スタッフ内でも様々な軋轢があり
色んなトラブルや問題も抱え込んでたんでしょうか。

登場人物で言えば
売れない女性レポーターやフランスのスパイの存在は必要だったんでしょうかね。 
tomasさん (象が転んだ)
2024-05-16 02:58:01
大人が感動するアニメや
子供騙しのヒューマンドラマや恋愛物語など
私たち日本人はそんな日本の映画に囲まれながら、大きくなってきました。
子供が正直なように、時代も大人も正直なんですよね。
ただ、怪獣としてのゴジラは人気はあるものの、かなり限界に来てると思います。
昭和から続く、旧来のゴジラのイメージを保ちつつ、未来にゴジラに繋げる事がいいのか?
エメリッヒのゴジラはもう1つのゴジラという意味では、近未来のゴジラを描く事も不可能ではないと思います。

ま、ここら辺は好き嫌いが分かれるかもですが・・・
怪獣の惑星 (tomas)
2024-05-17 08:02:15
よく思うんですが
もしゴジラみたいな超生物が実在し
あの様な強力な放射熱線を吹き出したら、人類は太刀打ちできないでしょうね。
まるで自在に動く喚く泳ぐ巨大核弾頭だもの
そんなゴジラですが
悪役から古来に伝わる神へと昇華し人類を襲う怪獣たちと戦う。
ハリウッドもそんな東宝の幼稚なパターンを真似しハチャメチャ感を重ねてますが
今度は巨大化した知能の高い猿と戦うんですよ。
でもこれじゃ単なる怪獣の惑星であってだったら猿の惑星の方がリアル。

少し調べましたが
ゴジラザウルスが水爆実験で放射能を浴び変異したのがゴジラだとすると
恐竜の生まれ変わりというのが正解でしょう。イグアナやトカゲが80mまで巨大化するには無理があるし
「ゴジラ-1.0」の様に15mほどの恐竜が放射能を吸い込んで50m程に巨大化するのが自然ですよね。
勿論怪獣映画にリアルを求めること自体が無理難題ですが
その中に自己満足を見出そうとする大人のエゴと欲望も感じずにはいられません。 
tomasさん (象が転んだ)
2024-05-17 08:28:25
お早うございます。
確かにです。
ただ、恐竜にはない(実在する)イグアナの質感や属性こそが、新たなゴジラには必要かもと思うんですよ。
特に、エメリッヒ版以降のハリウッドゴジラの連作を見てると、イグアナのお化けの方がマシだったかもです。
勿論、4本脚で歩くゴジラに幻滅するファンも多いでしょうが、これ以上ゴジラを怪獣寄りに描くのも・・・
かと言って、イグアナをどうゴジラに近づけるか?それともゴジラをイグアナにどう近づけるのか?
「ゴジラ-1.0」を見て、ゴジラの原点いや本質はどこにあるのか?考える程に気にはなってきますよね。
多分、山崎監督は続編は作らないと思うんですが、もう一つのゴジラを見てみたい気もします。エメリッヒには、もう一度チャンスを与えたい気もしますが、ファンは許さなんでしょう。

色々考えると、やはり無理難題なのかなとも思いますが・・・
これも私のエゴと欲なんですよね。
ゴジラ論 (平成エンタメ研究所)
2024-05-18 17:14:00
「ゴジラ」映画とは何か?
銀座など、身近な街が壊される快感。
逃げ惑う人たちに自分を臨場感をもって投影できる。
これも魅了される一因かもしれません。

映画論について言えば、僕は現実逃避派です。
なぜなら現実は正義が実行されず、空虚で、愚かな言葉がはびこり、まったく美しくないから。
子供に戻りたいという願望もありますね。
エンタメさん (象が転んだ)
2024-05-19 03:46:18
いつもコメントありがとうございます。

”現実逃避”
私もこれに尽きると思います。
現実は人類の力ではどうにもならない事が多く、怪獣とは言え、人が作ったとは言え、ゴジラを救世主として崇める大衆心理があります。
ゴジラは悪も善も全てを一瞬にして破壊する。そんな存在だからこそ、大人は現実逃避を可能にする。逆を言えば、だからこそ現実逃避に血眼になるんですね。

昨晩も、「ゴジラvsキングギドラ」(1991)を見たんですが、新宿都庁を含む5mを超えるとされたセット群には、改めて圧倒されました。
勿論昨今のCGも凄い進歩ですが、こうした制作陣のゴジラに込める希望と執念は、恥ずかしながら私の想像を超えてました。
我々大人が病みつきになるのも無理はないんですよね。

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