見てて思ったのは、サスペンスやミステリーと言うより、現実には”ありえない”純粋な喜劇である。
銀行自体が腹黒い金貸し、いや”金転がし”と見れば、映画で起こり得る事は現実にも起こりそうだが、展開としては、ある一支店で起こった100万円の現金紛失事件。そこから露わになる10億円の架空融資というメガバンクの不祥事と、それに纏わる理不尽な契約(脅し)に翻弄される銀行を取り巻く人々の物語である。
因みにシャムロックとは、シェイクスピアの戯曲「ベニスの商人」に登場するユダヤ人の”強欲な”金貸しの事である。結婚する友人の為に”ベニスの商人”アント−ニオは”金を返済できなければ自身の肉1ポンドを与える”というシャムロックの理不尽な契約に応じるが、このアント−ニオこそが”善良な”金貸しとなる。
こうした理不尽な金銭の貸し借りを、”見知らぬ他人に自身の命を託す”という契約で見れば、裁判や結婚もまた同じであるとの風刺を描いた喜劇として、この戯曲は知られている。
一方で、シャムロックは本来“真っ当な”金貸しであり、アント−ニオこそが“命を賭けた契約”という”狂った”金貸しとして一線を超えた契約に手を出した。が故に、シャイロック自ら身の破滅を招いた悲劇ともとれる。
善良な金貸しと善良な悪人
映画で言えば、10億の架空融資の黒幕である石本(橋爪功)に、その裏で手を組んでいた支店長の九条(柳葉敏郎)こそが”強欲な金貸し”であり、その罠にまんまと引っ掛かった課長代理の滝野(佐藤隆太)や、その不正を見事に暴いた係長の西木(阿部サダヲ)は”善良な金貸し”となる。
結果的には、黒幕の石本と九条が逮捕されるのは当然だが、善良な金貸しの滝野は2年の刑に晒される。ただ、石本と九条を”真っ当”とは言えないし、その石本に謝礼金の件で脅され、更に、たかが100万で悪に魂を打った滝野を”狂った”とも言えない。
つまり、”狂った”と言う点で言えば、耐震偽造ビルを(九条に融資させ)石本に15億で売り飛ばし、3億のマージンを得た西木こそが”善良な金貸し”であり、”善良な悪人”とも言える。
その西木が、同じ善人の滝野に”基本は善人説だが裏切られたら倍返し”と言い放つシーンがあるが、その西木も闇金から1千万の借金を背負っていたのだ。少なくとも西木は、好き好んで狂った訳じゃない。
”幸せになれれば、それでいいじゃないか”との耐震偽装ビルの元所有者・沢崎(榎本明)の説得に折れ、3億を受け取った西木と、自身の罪と架空融資の全てを銀行検査部の黒田(佐々木蔵之介)に告発した事で、善人を貫いた滝野だが、2人の善と悪のコントラストは見事である。
その黒田も、昔勤めてた支店のATMボックスから多額の現金を抜き取っては、競馬にあて、荒稼ぎした金を戻すという悪事を繰り返していた。以降、その後悔が頭を離れない彼は”借りた金は返せばいいってもんじゃない”が口癖となる。が、100万円紛失の件では、九条の悪事を掴みかけた黒田も、逆に過去の弱みをチラつかされ、九条には屈服していた。
屈辱に病み続ける黒田だったが”俺は真っ当な道を歩む”と九条に言い残し、銀行を去り、ペットショップの店長として人生の再出発をはかる。つまり、彼もまた善良な民なのだ。
一方で、西木は一連の逮捕劇の後、しばらくして銀行を辞職。部下たちとも音信不通の状態となるが、銀行員の愛理(上戸彩)がエレベーターで降りてゆく西木の姿を見かける所で幕が閉じる。
憶測だが、最後の最後で”悪に魂を打ったのは”西木自身であり、善良な民とは”一旦裏切られると悪人になる”と言う事を教えてもらった気がする。
この作品は、現実にはありえない純粋で単純な喜劇だが、「ベニスの商人」と同様に、色んな皮肉や風刺が込められている。
そういう意味では、不思議とよく出来たドラマにも思えた。
補足〜あり得ないミステリー
元銀行員のレヴューでは、”現実にはあり得ない”事を箇条書きで解説されている。
①現金を扱う際は一人では行えないし、ATMの裏で一人でコソコソは無理。②100万抜き取りは店内の監視カメラで確実にバレる。③透かしのない印鑑証明書は銀行内で確実にチェックが掛かる。④新規10億で返済原資となる不動産を誰一人現地実査しない筈がない。営業はまだしも融資係までもノーチェックはあり得ない。⑤15億の耐震偽造ビルにては、売主に瑕疵担保責任があり、善意如何に関わらずその責任から逃れる事は出来ないし、売り抜けは以ての外。⑥100万を補填するのに4人全員が自行口座から支払うのもナンセンス・・・等々、私が冒頭で述べた様に、いくらフィクションとは言え、現実にはほぼあり得ない事が判る。
これら非現実性を持ってしても、非常に特異で面白いドラマに思えた。
これも、主役を演じた阿部サダヲの絶妙な演技力と奇妙な存在感のお陰でもあるが、それ以上に多面的で複雑多岐に移行する人間模様を描いた原作とを乖離させ、シンプルな展開にした事が大きい。
という事で、ありえないミステリーのお話でした。
「ベニスの商人」は悲喜劇を交えた戯曲で、何度読んでも飽きません。
強欲な金貸しのシャイロックに、善良な貿易商のアントニオが友人パサニオの結婚の為、金を借りる所から幕は降ろされます。
”ベニスの商人”アントニオを毛嫌いするユダヤ人シャイロックは”金を返せなければ自身の1ポンドに肉を差し出せ”と脅す。
それを知ったパサニオは結婚相手のポーシャから金の指輪を譲り受け、シャイロックに渡そうとするが、”憎けりゃ殺す、人間ってそんなもんだ”と頑として受け付けない。
ここら辺は偏見に満ちたユダヤ人の狡猾さと残酷さを皮肉にも表してますね。
シャイロックは裁判に訴え、一方でポーシャは裁判官に変装し、アントニオを救おうとします。彼女は”肉を切り取ってもいいが、(契約書にない)血を1滴でも流せば契約違反として全財産を没収する”との判決を言い渡す。
諦めたシャイロックは、それならばと金を要求するも、一度金の受け取りを拒否していた事から認められず、しかもアントニオの命を奪おうとした罪により財産は没収となる。
死刑を免れる為にキリスト教に改装させられたシャイロックですが、財産の半分を娘に与える事を条件に釈放され、パサニオは判決のお礼として結婚指輪を裁判官に渡します。
その後、アントニオの船は難破しておらず財産が無事だった事が分かり、最後はポーシャが指輪をパサニオに見せた所で幕を閉じる。
ユダヤ人迫害とも思える典型な喜劇ですが、シャイロックを悪人ではなく虐げられた悲運の民とし、主人公とした悲劇として上演するケースが日本では多いようですね。
一方で、「ベニスの商人」の戯曲は、契約を裁判官に覆された”シャイロックの悲劇”とも取れ、見方によっては賛否両論様々ですかね。
但し、今のイスラエル=ハマス戦争を見てると、イスラエルの”狂った”破壊戦争であり、”ハマスの悲劇”ともとれます。
私には、ネタニヤフが狂った悪人にしか見えないんですが、正当な善人になる可能性は秘められてんでしょうか。
色々教えて下さってありがとうございます。