象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「男たちの旅路」に見る山田太一のロマン”その2”〜虚しい強がりと弱者の論理

2019年05月30日 03時19分44秒 | 映画&ドラマ

 昨日に引き続き、「男たちの旅路」です。
 好きなんですね私も、吉岡みたいな旧い考えの持ち主が。古臭いんだけどロマンチックで、何処か頼りなく女々しい。それでいて、質素な水彩画の潔さを醸し出す。

 第3話「猟銃」でも、鶴田浩二演じる吉岡節が炸裂する。彼が言ってる事はごくシンプルで、至極単純でもある。が故にその憐れな叫びは、実に深く重く人の心に突き刺さる。

”金で動くヤツは大嫌いだ” 
”金の為に動けば尤もらしいか?正義の為に動いたと言えば偽善か?” 
”脅せば何でも言う事を聞くと思ったら、大きな間違いだ” 
”人は命よりも大切なものがある” 
”甘い綺麗事でも、一生をかければ甘くはなくなる”

 まさにモノクロ調のシンプル過ぎる説教であり、古めかしい咆哮でもある。演説も説教も説得も、愚直な程に遠くまで深く届くの典型である。
 ヒトラーもチャーチルもスターリンも演説自体は至極シンプルでもあった。チェイニーの信念も理念も、至極シンプルで明快だった。だからこそ、あれ程の大嘘を突き通せたのだろうか。

 吉岡の説教をチェイニー風に言い換えれば、”どんな歪曲した信念も、押し通せば立派な理念になる”と。

 
温もりと哀れみと不条理

 しかし、吉岡の説教には温もりと湿り気があり、そこにある種の哀れさが滲み出す。生意気な若者役を演じる水谷豊に、”あんたは危険過ぎる”と軽く突っ込まれるのも、吉岡のある種の憐れさと彼の心の中に深く巣を作る不条理がそうさせてるのだろうか。

 説き伏せるというより、懇願や嘆きに近い。確かに、アメリカの自由や文化や価値観は目によく映るし、耳に心地よく響く。つまり表層の輝きや響きが全てなのだ。
 それに対し、吉岡の叫びは説得力は不透明でも心に重く深く届く。その上、若者の心を深く抉り、かつ不快にさせる。お陰で”この人少しおかしんじゃないの”って、若者の安直な反発を招く。

 それに比べれば、ブッシュが口酸っぱく唱える”正義”や、チェイニーが偽装した”大量破壊兵器”の方が粗悪な偽善でも、明らかに心地よく耳には響く。


卑劣な偽善と崇高な理念

 これもタイミングの妙というもんだろうが。「策謀家チェーニー」を読んだ後に、丁度「男たちの旅路」を偶然に見たもんだから、余計にチェイニーの信念が”卑劣な偽善”に映り、吉岡の憐れな叫びが”崇高な理念”に思えた。

 ドラマ「赤ひげ」の脚本家である尾崎将也氏は、”語りだけで10分をもたせる脚本家は今はいない”と、山田太一を絶賛する。事実どんなに小さな事件でも、壮大で繊細なドラマに仕立て上げる山田氏の手腕には毎回頭が下がる。
 昨今の流行作家は、(事件を殺人にまで大きくしないと)”ドラマは作れない”と尾崎氏は嘆く。丁度チェイニーが、”大量破壊兵器”という大掛かりなペテンを持ち出す事で、ホワイトハウスを全米の国民を世界の世論を、イラク戦争へと扇動した様に・・

 つまり、今私たちが傾けるべき言葉は(吉岡が口酸っぱく嘆く)弱者の見窄らしい論理ではないだろうか。一見憐れに見えるこの負け組の論理は、グローバリズムの中核をなすものかもしれない。



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