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象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『最悪』に見る奥田英朗版”人間喜悲劇”〜出来すぎた秀作と曖昧なエンディングと〜

2019年04月21日 02時57分49秒 | 読書

 このレビューは、2017年にアマゾンに投稿したものですが、最初はトップレヴューに載せてもらい、嬉しくもあったが、最近は購入しないと評価してもらえない。
 当然と言えば当然だが、そこで少しアレンジして加筆し、ブログを立てる事にする。


まさに奥田英朗版"人間悲喜劇"

 ストーリーは、近所との軋轢と不況に喘ぐ鉄工所の主人、家庭の問題や上司のセクハラに悩む憂鬱なる銀行レディ、ヤクザに弱みを握られ一発勝負に出るチンピラ餓鬼
 この3人を中心に、それぞれの生き様がパズルの様に組み合わさり、それぞれの複雑怪奇なドラマを生み、そして奥田ワールドへと読者を落とし込んでいく。最後にはこの3つのドラマが磁場によって惹き付けられる様に融合し、最悪のエンディングを迎えると思いきや。
 まるで、バルザックの人間喜悲劇を彷彿させるが、それ程までにはややこしくも理屈っぽくもない。登場人物も少なく、ドラマチックの連続でありながらも、ストレスなく一気に読み進める事ができる長編秀作。


何処にでもある日常の腐敗

 この物語は日常生活の何処にでもある腐敗。ほんの些細な事で人生を踏み外すという危機。極々普通の庶民が抱えるちょっとした欲望。プロットよりディテイルに拘る奥田氏の手腕のお陰で、キメ細かな人物描写に惹きつけられ、読者を虜にする。
 特に、清楚で生真面目な銀行員藤崎みどりは狂おう程エロティックに映る。上司に絡まれ、乳を揉まれるシーンには、思わずドキッとなる。地銀の上司って、新人歓迎会て、こんなもんかって恐ろしく興醒めもするが。エロもティテイルに拘ればハードポルノをも凌ぐ。

 男女の情事は清楚に描く程、生真面目に描く程、衝撃と情欲が増すもんだと思い知らされた。ゾラが描く大胆な性の描写と、荷風が描く美しくも繊細で感傷な性の表現とは、随分と趣が違うもんだ。
 人物描写を主軸にした奥田氏のフィクションは、実に読み応えがあり、解説にもある様に、リアリスティックな筆致には、何時も頭が下がる。登場人物の個性と生き様に寄り添う様にして、微妙に揺れ動く心理を描く手法は、ゾラやバルザックも得意とする所だが。彼らの作風を念頭に置いて、この作品を読むと一層その素晴らしさに感服するだろう。イヤ褒め過ぎか。

 「邪魔」「ララピポ」も殆ど同じスタンスにある作品だと思うが、後発だけあって多少過激かな。個人的にはこの2つの作品の方が奥田さんらしいと思えるが。とにかく出来すぎた秀作ではある。
 ま、ここまでは何処にでもあるレヴューに過ぎない。奥田氏のファンである私だが、敢えてこの作品の裏舞台を探ってみたい。


出来が良すぎるが故に、残念?

 ここまでは手放しに褒め讃えたが。今から思うと少し疑問も残る。これだけの作品を本当に独りで書き上げたのだろうか?「オリンピックの身代金」もそうだったが、あまりに出来が良すぎる。
 昨今の小説の編集は昔とは異なり、共同作業がポピュラーだ。活字離れが深刻になってる分、雑誌社は一部でも血眼になって売る。売れなければ会社は傾くし、売れれば多少のフェイクは許される。当の奥田氏も昨今の出版業界の冷込みには頭を悩ます。

 制作、編集、カバーデザイナー、コピーライター、ゴーストライター、営業など色んな分野のプロフェッショナルによる共同作業は、私達が思う以上にタフで根気のいる仕事だろう。
 この小説には3人の主人公からなる物語だ。一人一人の登場人物の出来過ぎの描写から逆算すると、それぞれの登場人物に固有のゴーストライターが担当したのではないか?
 というのも奥田氏が直木賞を獲った「空中ブランコ」は単独で独力で描いた感が溢れてて、とてもユニークで楽しかったからだ。

 特に長編モノに関しては、独りで描いたとは到底思えない。というのは、ゾラやバルザックの長編モノと見比べてみると、明らかにその違いが判る。
 勿論、どちらが上でどちらが下という安直な評価ではない。ゾラはともかく、バルザックの作品には登場人物が非常に多い。しかし、その登場人物にはある一貫した共通項がある。これはゾラも同じだ。
 その共通項の中の1つ1つの因子にそれに見合った生命を吹き込む事で、様々な”オチ”に見合う登場人物が躍動し、作品内を縦横無尽に闊歩する。故に読者は、それぞれの登場人物に心を奪われ、作品と一体化する。


惜しいかな、曖昧なエンディング

 しかし「最悪」には、一貫した共通項はない。それそれが独立し、違う方向を向いてる。勿論最後には交錯し、収束するかに見えるが、曖昧な形でエンディングを終えるのもそのせいかも。つまり彼らは最初から交わる事がないのだ。
 「東京オリンピックの身代金」も「最悪」と同様に、多種多様な登場人物という点ではバルザックの奇怪で濃密な人間観察にも引けを取らないが、あまりに出来過ぎた感がある。しかし共通項がないという点では一致してる。故に主人公の最期は少し疑問に思った。

 欠点がないのが欠点というのはよくある事で、それに比べたら「空中ブランコ」は欠点に溢れてた様にも思える。しかし、それを主人公の伊良部先生の強烈な個性が補った。未完の傑作”とまでは評しないが、この伊良部こそが奥田英朗そのものだったし、彼をスターダムにのしあげ、後の奥田ワールドを作り上げたのだ。だから審査員の胸を打った。

 ”活字に息を吹き込む”とはそういうもんだろう。勿論、チームとしての共同作業で完成された作品を作るのは理想的だし効率的だし合理的だ。しかし、個性というものは完成されてない未熟なものだからこそ、眩く映る。


完成され過ぎた「幻滅」と「最悪」

 そういう意味では、バルザックの「幻滅」は完成されすぎて、それこそ”幻滅”を覚えた。リュシアンとダヴィッドの2人の主人公の設定だが、明らかにミスマッチに思えた。2人の個性があまりにかけ離れてるからだ。
 むしろ、リュシアンとダルデスの師弟関係の方がずっとバルザックらしかった、いや2人ともバルザックそのものだった。 
 つまり主人公の2人が互いに独立しすぎて、かけ離れすぎて、第三部では失速した感がある。特にダヴィッドには、生命を吹き込む事が疎かになった感がしなくもない。
 一方、「ゴリオ爺さん」では、コミック的な出来ではあったが、ゴリオ爺が終始全てを支配した。強烈な個性と生き様で読者をも唸らせた。全てはゴリオ爺に収束した結果である。

 しかしこの「最悪」では、3人の登場人物が並列に描かれてるが、どれも奥田英朗の”因子”を含む者はいない。強いてあげれば、銀行レディの”藤崎みどり”だけが、奥田氏の息が掛かってた様に思う。後の2人(鉄工親父とチンピラ)は疎外された感が拭えない。事実、この2人はどうでもいい様な結末で終わる。誰も2人に情を移す人はいなかった筈だ。
 そういう私も、藤崎みどりだけが記憶に残った。読み終わって、彼女を犯したいと思った。彼女の全てを奪い去り、ボロボロにしてやりたいと思った。チンピラも鉄工親父も余計だった。男だったら皆そう思ったであろう。イヤ違うか。


でもヤッパリ、奥田英朗は面白い

 この「最悪」に唯一の欠点があるとすれば、その藤崎みどりを追い詰めれなかった所だろう。秀作が傑作に成り得なかったのもここにある。しかし、共同作業の甲斐あって、長編にしては間延びする事なく、非常によく纏まった作品でもある。
 ただ、”最悪”なのは藤崎みどりではなく、チンピラと鉄工所の親父にとって”最悪”であり、やはり長編のエンドロールにしては物足りない気持ちがなくもない。

 しかし全体の流れとしては、奥田英朗のディテイルを強調した色が上手く被さってるという印象だ。
 彼が嫌うプロットは、外部が持ち込んだ様にも映った。藤崎みどりを除いた主人公の2人も、プロット的にはよく馴染めてない感じがした。でも作品としては、「オリンピックの身代金」と同様にとても充実し、濃密な面白い作品でもあった。
 過ぎたるは及ばざるが如しじゃないが、出来過ぎはその時は称賛されるが、後から色々と化けの皮が剥がれてくる。しかし、奥田英朗のユニークな個性や生き様が、それら贅沢な欠点を補った様にも思う。

 今から思うと、そう思わせる秀作に映った。



6 コメント

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奥田英朗といえば (paulkuroneko )
2019-04-22 06:35:23
奥田さんの作品では、ノンフィクションが好きです。『泳いで帰れ』は傑作でした。『港町食堂』も絶品でした。

確かに長編となるとさすがの奥田さんでも無理がありますね。『無理』はやりすぎの典型だったと思います。

作家は一度売れっ子になると、足下を見失う傾向にある。編集の色が強くなり、厭気がさすんですかね。それに出版のペースが早いから、余計に自分を見失う。

今の作家って私達が思う以上に大変なんですよ。


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paulさんへ2 (lemonwater2017)
2019-04-22 07:27:28
確かに作家と言えどアイドルのようなもんですからね、いくら高質な文才があっても読んでくれなければ、持ち腐れですもん。

それかと言って、陳腐な推理小説はすぐ飽きるし。

奥田氏もそんな狭間の中で「最悪」を書いたんでしょうね。でも藤崎みどりがボロボロに犯されるのを見たかったな。それこそ”最悪”だったと思うんですが。そういう私はエロ依存症ですかな。
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エロ依存性 (HooRoo)
2019-04-23 02:21:53
転んだサンのエロ依存もワールドワイドな文学的な見地から見るとなるほどって思うわ。

私、奥田さんの本は読んだことないけど、この作品にはオチがなかったのかな。典型の日本人受けする良作ながら、エンディングが物足りなかったのかな。

でも藤崎みどりが少し犯されようになった所が、ギリギリのオチじゃなかったのかしら。

日本と欧米の感受性の細やかさの違いってところよね。

多分転んだサンは、これからの日本人は情緒やきめ細かい感受性や品格だけではダメで、もっと大胆な切り口と感性のタフさが必要だと叫んでるような気もするけど。

ハズレてたらゴメンなさい。

ではバイバイ。

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大当たり! (lemonwater2017)
2019-04-23 04:30:03
Hoo嬢、お見事。
たんと大学ではお勉強してらっしゃるみたいですな。感心歓心。

全くで、やはり情緒と品格だけでは、アメリカ白人のプライドと虚栄心は打破できないんですよ。それが出来たのが唯一ユダヤ人。彼らは日本人よりも数学に長けてるからかな。

もっと日本人は数学を勉強して、その数学的思考で欧米人を説き伏せる必要がある。

そういう意味では「最悪」は振動したまま、収束値を持たず終わったような気がする。

ではサヨナラです。
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ドラマ化 (腹打て)
2021-05-13 06:58:36
こういった傑作長編モノはTVドラマ化を期待するんだけど、「オリンピックの身代金」と同じで大きく裏切られるんだよ。

でも「最悪」はTVシリーズ物にすれば、意外といけるんじゃないのかな。エンディングも色々と弄くれそうだし。
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腹打てサン (象が転んだ)
2021-05-13 12:31:43
昔の記事にコメント有り難うです。

藤崎みどりを主軸にして、TVドラマ化すれば、面白いでしょうね。鉄工所の親父とチンピラ餓鬼はサブ扱いにして。
「オリンピックの身代金」のTVドラマも主役が多すぎましたもんね。
それに、黒木メイサがケバすぎた(笑)。あれで全てが終わりましたね。
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