静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

明日はバーンスタイン没後25周年の日

2015年10月13日 19時51分55秒 | バーンスタイン(その他)
 明日、10月14日はレナード・バーンスタインの命日です。
 今年は没後25周年。
 この数日間、3つのバーンスタイン箱や棚のバーンスタイン・コーナーからあれこれ取り出して、際限なく聴いていますが、記事にするヒマと能力がなくてアップできていません。
 今日は午後のひととき、グールドとのベートーヴェン(ピアノ協奏曲第4番)を聴いていました。
 



 とてもよかったです。これはグールド主役のディスクですね。すばらしい演奏でした。
 今回、第1楽章カデンツァからオケが戻ってくる所での編集痕がバレました。


 昨夜は、同じくグールドとのブラームス協奏曲第1番を聴きました。例の、演奏前にレニーがスピーチしたことが「有名」なライヴ録音です。



 以前レコードで持っていましたが、今、手元にはCDだけあります。そのレコードに付いていたバーンスタインのスピーチの対訳だけはコピーして残してありました。
 この演奏を初めて聴いた時は、「えっ、確かに遅いテンポだが、(聴衆に)前もって断りを入れるほどのものかな?」と思いました。遅いテンポですが、これくらいなら他にもあると思ったからです。
 その疑念については「レナード・バーンスタイン・ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(ジョナサン・コット著/山田治生訳、アルファベータ刊)を読んで解けました。
 この録音は1962年の4月5日(木)と6日(金)の二日間、同プログラムで行われた演奏会の2日目の方で、「金曜日の演奏はそんなに遅くなかったんだ。というのも、グレンが約1時間半もかかってしまった木曜夜の演奏から少しは学んだからさ。」(バーンスタイン談。前掲書より引用)ということらしいです。
 同書では、リハーサルに先立って、グールドがバーンスタインの自宅を訪れ、二人でリハをした時の様子などが綴られていて、とても面白かったです。
 ある程度「面白おかしく」語られている可能性もあるでしょうが・・・・。
 しかし、二人が前もって「2日目はテンポを速くしよう」なんて合意をしたわけではなさそうなので、バーンスタインはピアノの入りからグールドのテンポに合わせて「失速減速」するつもりだったのでしょうか?
 それとも、バーンスタインのスピーチを聞いてたグールドが、知らん顔して‘昨日よりうんと速いテンポ’で弾き通したのでしょうか?
 などと、ちょっと考えてしまいました。
 で、肝心の演奏ですが、どうも私にはピンと来ません。録音も(放送音源のため)冴えません。また、いずれ聴き直してみます。
 しかし、できれば、その「約1時間半もかかった」という1日目の演奏を聴きたいものです。

 「没後25周年」とか言いながら、全然気合の入らないエントリで申し訳ありませんでした。


 さて、いつのころからか、拙ブログではバーンスタインの誕生日と命日、その前後数日にはバーンスタイン特集として記事を書いてきました。しかし、そういうことも今回でおしまいにします。
 もちろん、今後もバーンスタイン記事は書きますが、あえて特定の日にちなんで書いたりすることはしないつもりです。
 取るに足らないダラブログですが、より自由に、気ままに、自分に制約を課すことなく、続けていきたいと思っているからです。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
グールド(グレン),バーンスタイン(レナード)
SMJ




Beethoven: The Glenn Gould Edition - the 5 piano concertos
Gould,Bernstein,Stokowski
Sony Classics



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2 コメント

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Unknown (hanbo)
2015-10-15 18:26:01
親父りゅうさん,こんにちは。

 "Don't be frightened. Mr.Gould is here...",ですね。

おっしゃるとおり,ツィマーマン(ツィメルマン)の方が遅いと聞いています。LDを持っているのでこんど聴いてみましょう。ただ,この曲は,2番と違い,気安く聴けないんです。

初日がとんでもなく遅かったというのは,宮沢淳一著『グレン・グールド論』を読んで知っていました。確か,当日生で聴いた日本人もいたようなことが書いてありました。
もしかしたら,あれは,コットのが元ネタだったのかしら・・・。

演奏はさておき,その昔,CDのブックレット裏表紙にあるNYPのメンバー表に,Assistant ConductoreとしてSeiji Ozawa ,ConcertmasterとしてJohn Corigliano,の名があるのを見つけ,おっと思ったものです。

もしやと思い,さっき『小澤征爾さんと,音楽について話をする』を開いてみたら,小澤さんが「うん,僕はあのときちょうそその場所に居合わせたんです。(後略)」とありました。P30です。
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hanboさん (親父りゅう)
2015-10-16 06:10:14
コメント、ありがとうございます。

>もしかしたら,あれは,コットのが元ネタ・・・

調べたら、宮沢さんの著書の方が古いので、そうではないみたいですね。バーンスタインも書いていましたが、あの話は「伝説」みたいなものになってしまっているのですね。
宮沢さんの本は読んでいないのですが、読みたくなりました。

村上さんの著書は私も読みましたが、あの頃は小澤さんがNYPのアシスタント・コンダクター(副指揮者)をしていた時期ですから、ほぼ全てのコンサートやレコーディングに立ち会っていたのではないでしょうか。小澤さんの「・・・武者修行」にも、そのころのことが書かれていましたね。もう久しく読み返していないので内容についてはうろ覚えですが・・・。

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