今日、三男の診察で津市の病院に行ってきました。
昼過ぎに学校に迎えに行き、津市の病院まで走りました。
今日は採血もありました。
主治医先生が小児科に頼んでくれたので、小児科担当の看護師さんが採血してくれました(通常では「中央処置室」などで採血します)。
ドアを開けて小児科に入ったら、もうアンパンマンのDVDが再生されていて、三男がそれに見入っている暇にあれよあれよと準備が整い、チクリとしていただきました。
結果は週明けに先生からメールで届くとのことでした。10日の未明に発作があったので、薬量は増えました。
さて、以下は先週の金曜日から日曜日にかけてのことです。
先週の金曜日、スクールバス下車のときに心なしか疲れが感じられた三男「りゅう」は、その晩から翌土曜日朝にかけて3回嘔吐があり、久しぶりに「かかりつけ医」のお世話になったのですが、翌日曜日も体調戻らず、結局、救急車で大きな病院に運ばれるということになりました。
「りゅう」が救急車に乗るのは3回目。
1回目は生後20日目に自宅で呼吸が止まった時。
2回目は、その3日後、その病院の酸素テントの中でも呼吸が止まり、隣接市のNICUのある病院に転院になった時でした。
そのとき乗ったのは新生児専用の救急車で、向こうの病院からドクターを乗せてこちらの病院に迎えに来てくれたのでした。
迎えの救急車を待っていた時の静かで長い時間を今でも思い出します。
私たち夫婦の言いようのない重い気持ちとは裏腹に、窓から見える松阪城址の桜は満開で鮮やかでした。
そして救急車が到着し、私たち夫婦は自家用車で転院先の病院に向かったのでした。救急車の中でも何度も呼吸が止まり、ドクターは手押しの石油ポンプのような人工呼吸器を何度も握って、呼吸を保ってくれていたようてした。
・・・・・もう忘れかけていたような、ずいぶん前のような、そんなあのときのことを今回、救急車に同乗しながら思い出していました。
ところが今回は、日頃から救急車大好きな「りゅう」にとっては嬉し過ぎたようで、ピーポーピーポーと、走り出すやいなや、いきなりムクッと上体を起こして、あっちこっちキョロキョロ眺め回して、やや興奮気味。
ストレッチャーで救急病棟の小児科へ運ばれてもテンションは上がったままでした。
とりあえず点滴を施してもらいました。最初のうちは大人しく横になっていましたが、500ml中370mlを越えたあたりで、どうにもイヤになってきたらしく、思いっきり点滴のチューブを引っこ抜こうとしたり暴れたりしだしましたので、先生にお願いして外してもらい、帰ってきました。
帰りのタクシーでも運転士さんの腕を急に引っ張って指先を自分のほっぺたにくっつける(いつもの仕草)など、もうすっかり元気になったようでした。
この日は、最初に休日診療所に電話して「ぐったりして車いすに座っているのも難しい」など、三男の様子やしょうがいのことなどを伝えたところ、「そういうことでしたら、こちらを飛ばして119番して下さい」とのことだったので救急車依頼となったのでした。
点滴一本で元気になったからよかったのですが、弱り始めると急降下することは今までに何度もありましたので、今回の措置はよかったと思っています。
ちょっと前の、119番に電話して結局救急車に来てもらえず亡くなった方のニュースが記憶に新しいところですが、今回、電話の向こうで応対していただいた消防署の方は、非常に明快かつ親切な話しぶりでした。
その道でのプロであることは当然ながら、義務以上の何かが備わった仕事ぶりであることがいかに大事であるかと感じました。
帰宅後の「りゅう」は順調に快復し、翌14日は、ほぼ普段通りの姿になって、いつものように我が家を散らかしまくっていました。
昼過ぎに学校に迎えに行き、津市の病院まで走りました。
今日は採血もありました。
主治医先生が小児科に頼んでくれたので、小児科担当の看護師さんが採血してくれました(通常では「中央処置室」などで採血します)。
ドアを開けて小児科に入ったら、もうアンパンマンのDVDが再生されていて、三男がそれに見入っている暇にあれよあれよと準備が整い、チクリとしていただきました。
結果は週明けに先生からメールで届くとのことでした。10日の未明に発作があったので、薬量は増えました。
さて、以下は先週の金曜日から日曜日にかけてのことです。
先週の金曜日、スクールバス下車のときに心なしか疲れが感じられた三男「りゅう」は、その晩から翌土曜日朝にかけて3回嘔吐があり、久しぶりに「かかりつけ医」のお世話になったのですが、翌日曜日も体調戻らず、結局、救急車で大きな病院に運ばれるということになりました。
「りゅう」が救急車に乗るのは3回目。
1回目は生後20日目に自宅で呼吸が止まった時。
2回目は、その3日後、その病院の酸素テントの中でも呼吸が止まり、隣接市のNICUのある病院に転院になった時でした。
そのとき乗ったのは新生児専用の救急車で、向こうの病院からドクターを乗せてこちらの病院に迎えに来てくれたのでした。
迎えの救急車を待っていた時の静かで長い時間を今でも思い出します。
私たち夫婦の言いようのない重い気持ちとは裏腹に、窓から見える松阪城址の桜は満開で鮮やかでした。
そして救急車が到着し、私たち夫婦は自家用車で転院先の病院に向かったのでした。救急車の中でも何度も呼吸が止まり、ドクターは手押しの石油ポンプのような人工呼吸器を何度も握って、呼吸を保ってくれていたようてした。
・・・・・もう忘れかけていたような、ずいぶん前のような、そんなあのときのことを今回、救急車に同乗しながら思い出していました。
ところが今回は、日頃から救急車大好きな「りゅう」にとっては嬉し過ぎたようで、ピーポーピーポーと、走り出すやいなや、いきなりムクッと上体を起こして、あっちこっちキョロキョロ眺め回して、やや興奮気味。
ストレッチャーで救急病棟の小児科へ運ばれてもテンションは上がったままでした。
とりあえず点滴を施してもらいました。最初のうちは大人しく横になっていましたが、500ml中370mlを越えたあたりで、どうにもイヤになってきたらしく、思いっきり点滴のチューブを引っこ抜こうとしたり暴れたりしだしましたので、先生にお願いして外してもらい、帰ってきました。
帰りのタクシーでも運転士さんの腕を急に引っ張って指先を自分のほっぺたにくっつける(いつもの仕草)など、もうすっかり元気になったようでした。
この日は、最初に休日診療所に電話して「ぐったりして車いすに座っているのも難しい」など、三男の様子やしょうがいのことなどを伝えたところ、「そういうことでしたら、こちらを飛ばして119番して下さい」とのことだったので救急車依頼となったのでした。
点滴一本で元気になったからよかったのですが、弱り始めると急降下することは今までに何度もありましたので、今回の措置はよかったと思っています。
ちょっと前の、119番に電話して結局救急車に来てもらえず亡くなった方のニュースが記憶に新しいところですが、今回、電話の向こうで応対していただいた消防署の方は、非常に明快かつ親切な話しぶりでした。
その道でのプロであることは当然ながら、義務以上の何かが備わった仕事ぶりであることがいかに大事であるかと感じました。
帰宅後の「りゅう」は順調に快復し、翌14日は、ほぼ普段通りの姿になって、いつものように我が家を散らかしまくっていました。
少し考えさせられました。
でも元気になられよかったです。
もう大丈夫ですので・・・。
しかし、久しぶりの体調急変でした。
元気な時は、そういうときのことを忘れているんですね。