最近、朝比奈さんのディスクを棚から取り出しては聴き返し、未聴盤をぼちぼちと集めている。なぜか朝比奈隆ルネサンスの日々である。
ブルックナー/交響曲第6番
管弦楽:東京交響楽団
指揮:朝比奈 隆
録音:1984年1月、東京文化会館(ライヴ)
たとえディスク鑑賞であっても、超一流のオーケストラの美音には本当にしびれてしまう。シュターツカペレ・ドレスデン、コンセルトヘボウ、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、アメリカやヨーロッパの名立たるオケの数々・・・。昨夜、久しぶりに聴いたクーベリックとバイエルン放送響によるモーツァルトも、本当に素晴らしかった。
朝比奈氏の音盤では、そういう(美音に酔う)感興にはひたれることは少ないけども、時折、たまらなく聴きたくなる。
先日、取り出したのはこれ。
東響を振ったブル6。
大阪フィルではないけども、とっかえひっかえ種々の音盤を聴いている中で聴くと、「朝比奈時代の大阪フィル」と言われても全く違和感が無い鳴りっぷり。
リズムのキレは「まあまあ(イマイチ)」、垢抜けしない強音、無造作かと思えるクレッシェンドなどなど、朝比奈氏の体臭がプンプン臭うという感じ。
だがしかし、何かしら心に訴えかけるキラリと光るものを感じ「もっともっと聴き続けていたい」と思わされる強烈な引力がある。
この演奏では、特に第2楽章に彼の美質が結実していると思う。
その切々とした歩みと、不器用ながらも精一杯、溢れるように歌い継いでいく弦の素晴らしさは私の耳を捉える。
それは、時に素人呼ばわりされながらコツコツと歩んで来た氏の人生そのものを思わせ、ガサガサだけども温かく大きく包む老人の掌のようである。
そして、最後の4分間の無垢な美しさには(ここは元々曲も素晴らしい所だけど)涙さえ誘われる。
氏のブルックナー録音は非常に多く、未だ手許にない盤も多い。気長に一つひとつと「出合って」いきたいものだ。
ブルックナー/交響曲第6番
管弦楽:東京交響楽団
指揮:朝比奈 隆
録音:1984年1月、東京文化会館(ライヴ)
たとえディスク鑑賞であっても、超一流のオーケストラの美音には本当にしびれてしまう。シュターツカペレ・ドレスデン、コンセルトヘボウ、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、アメリカやヨーロッパの名立たるオケの数々・・・。昨夜、久しぶりに聴いたクーベリックとバイエルン放送響によるモーツァルトも、本当に素晴らしかった。
朝比奈氏の音盤では、そういう(美音に酔う)感興にはひたれることは少ないけども、時折、たまらなく聴きたくなる。
先日、取り出したのはこれ。
東響を振ったブル6。
大阪フィルではないけども、とっかえひっかえ種々の音盤を聴いている中で聴くと、「朝比奈時代の大阪フィル」と言われても全く違和感が無い鳴りっぷり。
リズムのキレは「まあまあ(イマイチ)」、垢抜けしない強音、無造作かと思えるクレッシェンドなどなど、朝比奈氏の体臭がプンプン臭うという感じ。
だがしかし、何かしら心に訴えかけるキラリと光るものを感じ「もっともっと聴き続けていたい」と思わされる強烈な引力がある。
この演奏では、特に第2楽章に彼の美質が結実していると思う。
その切々とした歩みと、不器用ながらも精一杯、溢れるように歌い継いでいく弦の素晴らしさは私の耳を捉える。
それは、時に素人呼ばわりされながらコツコツと歩んで来た氏の人生そのものを思わせ、ガサガサだけども温かく大きく包む老人の掌のようである。
そして、最後の4分間の無垢な美しさには(ここは元々曲も素晴らしい所だけど)涙さえ誘われる。
氏のブルックナー録音は非常に多く、未だ手許にない盤も多い。気長に一つひとつと「出合って」いきたいものだ。
実演はただ一度、朝比奈さんの大フィル定期でした。あれはジャンジャン盤としてディスク化されています。
朝比奈さんの演奏は、全てが名演とは言えないと思いますが、人間味ある愛すべき演奏も多いです。スマートで大きなマイナスポイントが無い近ごろの演奏に比べると「隙だらけ」と言う感じですが私は好きです。