タブレットPCの届く昨日までは、今までの書風を一新し新たな作品を展開できるものと信じていた。タブレットに多大なる期待を持っていたのだった。が、実際はそうは上手くいかなかった。
マウスではなくペンで書ける。しかも、ディスプレイに表示されながらである。紙に鉛筆で書くように・・・。現実は少し違ってた。感覚的には絶望的に違っていた。ペンを動かしてから、表示されるまでのタイムラグが気になるのだ。マウスで書いているときには、ディスプレイとマウスが離れていたので、この違和感に気がつかなかったのかもしれない。
何度となく書いてみる。30分もすると少し慣れてきたが、まだまだだ。
ツールという物は、使いこなすまでに時間がかかるようだ。マウスで書道を始めたときもそうだったのかもしれない。ただ単にそのことを忘れてしまったのだろう。
マウスではなくペンで書ける。しかも、ディスプレイに表示されながらである。紙に鉛筆で書くように・・・。現実は少し違ってた。感覚的には絶望的に違っていた。ペンを動かしてから、表示されるまでのタイムラグが気になるのだ。マウスで書いているときには、ディスプレイとマウスが離れていたので、この違和感に気がつかなかったのかもしれない。
何度となく書いてみる。30分もすると少し慣れてきたが、まだまだだ。
ツールという物は、使いこなすまでに時間がかかるようだ。マウスで書道を始めたときもそうだったのかもしれない。ただ単にそのことを忘れてしまったのだろう。
そこから出発しているデジタルツールは、最初は本当に馴染めませんでした。電源がオフになれば、どんなに作業が途中でも、その痕跡さえ残してくれないツールもあります。そんな時、また一から同じ作業を繰り返さなければならない自分を戒めるのに、「バーチャルはあくまでもバーチャルでしかない(私のバーチャルという言葉の使い方は正しいのか不安です)」という自責の念です。
それでも、十数年使っているデジタルツールは、流石に意志と一体感を感じ始めていることも確かです。こうしたい、ああしよう、という意識とほぼ同時に、無意識でそのツールの機能を選択し、作業をしているからです。
それでも、やはりデジタルツール。
その認識は忘れてはいけないなと思っています。
バーチャルは実体や実感がありません。現実的にはその差異はだんだん埋まるのかもしれませんが、バーチャルであることには変わりません。
技術が進歩しそのような感覚が薄れることは一面良い事であると思いますが、現実ではないことを忘れる要因でもあります。
自分でPCで書道していながら、こんなことを言うのはおかしいかもしれません。