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■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

説明と納得|既知から未知へ

2008年01月17日 | 記事
 先日、僕が授業の空き時間に職員室で休んでいると保健室から電話がかかってきました。対応したのは他の教員でしたがなにやら英語教員を呼んで欲しいとのこと。その時、職員室にいた英語教員は僕だけでしたので、僕が保健室まで駆けつけることになったのです。
 外国から来た生徒が怪我でもしたのかなと思ったりしながら保健室まで急ぎました。でも、ついてみるとそこにいたのはちょくちょく職員室に顔を見せる生徒と教員、それから保健室の先生。僕が「何ですか?」というとこう尋ねて気ました。
 「アイデンティティって何ですか」
 どうやら保健室にいたその生徒がアイデンティティとは何かについて聞いたらしいのですね。しかし、この言葉って時々耳にすることはあっても説明するのは難しいらしく、英語教師を呼んでその意味を確かめることにしたのだそうです。一応の英語教師として説明することを試みましたが、今になって考えてみるとあの説明では全くダメだなという思いになっています。その時行った説明は大体次の通りです。
 まずは辞書にあるだろう日本語の意味を挙げました。
 「辞書では『存在証明』とか『自己同一性』なんていう日本語が当てられていますよ」
 そう言えば、国立国語研究所の「外来語言い換え提案」にも「アイデンティティ」が載っていたなということを思い出して得意げに次のようにも説明しました。
 「アイデンティティっていうのは日本語にはしにくい言葉なんですよね」
 その後はアイデンティティを動詞化してやると次のような命令文ができることを言いました。
 「アイデンティファイ ユアセルフ(Identify yourself.)と言われれば、自分の学籍番号やら所属している何がしやらを言わないといけないんだよ。アイデンティティっていうのは自分がそこにいるということ、自分の存在を証明するということだからね。自分がどんな人間なのかを言うんですよ」
 分かったようで分からない説明です。このように調子に乗っていると次のような質問に切り返せなくなります。
 「じゃあ、自分の性格なんかもそれに含まれるの?」
 もちろん含まれるでしょうが、例えば何か発言を求められたときに自分の所属や学籍番号などを言って発言しますが、自分の性格などを言って発言するというようなことはなかなかないことです。そう考えると、なるほど「アイデンティティ」ということばは自分のものになっていないなぁと感じてしまったわけです。そうか、考えてみると私は英語の世界でも日本語の世界でも実生活に「アイデンティティ」や「アイデンティファイ」なる言葉を使ったことが無いことに気づきました。
 しかし、今になって考えてみるともう少しよい説明があったことに気づきます。それは説明しようとしたからダメなのであって、納得させようとすればよかったというお話です。相手を納得させるにはどうするか。それは相手がすでに知っている情報にくっつけてやるのが一番です。アイデンティティで言えば、生徒はすでにIDカードを知っていますし、UFOも知っています。IDカードのIがIdentityのIであることを伝えたり、UFOがUnidentified Flying Objectの頭文字をとったものであることを伝えたりすれば納得につながったのではないかと思ったわけです。未確認飛行物体のことをUFOというわけですが、アイデンティティとは確認できるものを指すのだというわけです。
 最初の説明のいけなかったところはIdentityを「単体」で、しかも「説明」しようとしたところにあるともいえるかもしれません。なんでもそうですが、それだけを取り出して示すとの、既知情報とくっつけてやるのでは後者のほうが効率が言いに決まっていますし、そこには既知情報と新情報が結びつく嬉しさや感動が含まれています。ものの1分ほどの出来事でしたが、私にとっては大切な経験となりました。相手の求めているのは「説明」ではなく「納得」であること。鍵は既知から未知につなげること。授業に活かしていければと思います。

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