LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

加藤周一氏のカタカタ語論

2006年04月30日 | 記事
拡大記事画像はこちらをクリックしてください。

 2006年4月20日の朝日新聞に加藤周一氏(評論家)が「悲しいカタカナ語」というタイトルで意見を寄せておられます。その記事を少し紹介したいと思います。

 加藤氏のカタカナ語に対する姿勢は明確です。例えば、「百貨店の地下の食品売り場」という代わりに「デパチカノフードコーナー」と言うこと、「売り場」の意味で「コーナー」を使うこと、「サンバレーにフォレスト・ヴィラ・アクア・ヴィーナスにアネックスツイン」という意味不明な新聞広告などがあることなどに対し、<わざわざカタカナ語を多用して分かりにくくするのはなぜだろうか>と疑問を投げかけます。このあたりの感覚はおそらく多くの人が日ごろ感じていることと一致をするのではないでしょうか。加藤氏はこれらの疑問に対し、言葉の意味が<はっきりしない方が政府にとって都合のよいことも実に多い>と考えられることを挙げています。例えば、

「非核三原則」を堅持する日本国が、CTBTを破り、NPTを脅かす他国の行動を支持する…


などという文章はCTBTやNPTという外国語の略語を知らない人にはハッキリせず、この文章が矛盾しているなどと言うことには到底気づかないということを指摘しています。す。 このとこは略語に限らず無用なカタカナ語についても言えるでしょう。
 カタカナ語というものは言い換えのための委員会ができるほどに最近では問題視されるようになってきています。しかし時々次のように言う人がいます。

「日本語は中国語から多くの語を輸入してその表現力を豊かにしてきたではないか」

これはカタカナ語容認論をお持ちの方々がよく言われる議論ですが、これに対して加藤氏は、「昔の日本人は借用語によって日本語の語彙を拡大してきたので、日本語で言えることを借用語で表現して話をわかりにくくしてきたのではない」ことを指摘し説得力のある形で反論されています。記事の後半部分では現在の小学校英語の議論に対しても石原都知事の例も出しながら慎重の姿勢を見せています。
 私は加藤周一氏の指摘するところはこの記事を読む中においては賛成します。現在の外来語の本質的な問題は加藤氏が指摘するように、日本語で間に合っているところをあえて外来語を用いる、ところにあると思います。カタカナ語がかっこよいという認識を改める必要があると思います。一部の学者が偉そうにテレビなどでカタカナ語を連発している姿を見ると、加藤氏の記事のタイトルにもあるように「悲しく」なるのは私だけでしょうか。

----------------------------------------
国立国語研究所「外来語」委員会
分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫として「外来語」言い換え提案を積極的に行っている委員会。
「この委員会は,公共性の高い場で使われている分かりにくい「外来語」について,言葉遣いを工夫し提案することを目的としています」(外来語委員会ホームページより)

---------------references---------------

「夕陽妄語」(2006年4月20日の朝日新聞の記事)

  • この記事に頂いたコメントはこちら

    ※ブログランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
    にほんブログ村 教育ブログへ 人気blogランキング



  • コメントを投稿

    ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。