今日はいろんな記念日が重なってる日ですよね。
終戦記念日。お盆。カトリックでは聖母の被昇天の祝日。
ちなみに「お盆」って実はもともと仏教のものじゃないっていうこと知ってました?この聖母の被昇天の記念から来てるんです。
聖母は神ではなくあくまでも人間なんで、彼女は死後自分で天に昇ったんじゃなくて、神さまが彼女の魂も体も天に上げられたといわれています。
その際にたくさんの霊魂が一緒に解放されて天に上げられたとされていて、唐の時代に「景教」が中央アジアを通して中国に入ったとき、この聖母の記念の伝統も一緒に伝播され仏教等にも取り入れられたということです。生活の中の当たり前のことも実は奥が深かったり。ちょっとしたトリビア(^_^)
今朝、がらがらに空いた電車に揺られて通勤中、じりじりと照りつける日差しとセミの声に耳を傾けながら、60年前のことをいろいろ想像してました。
どれほどの人たちが大切な人を戦争に奪われたんだろう?
どれほどの人たちの心の中に今も深い傷が残ってんだろう?
この蒸し暑い朝にセミの声が響く中、同じ環境でも今の自分の生活とは全くちがう生活がそこにはあったんですよね。
へらへらとした生活送っちゃってるけど、今の自分がこんな生活ができるのも、過去の人たちの苦労の上に成り立ってんですよね。
年取れば取るほど、家族や友人の大切さって身にしみて感じるようになるじゃないですか?
でも、60年前はそんな大切な家族や友人の命が戦争のために露のように消えてっていたんですよね・・・。
表参道には焼死体の山があったそうです。今は何も考えず楽しく買い物したりしてるけど。
「医師になりたい」「弁護士になりたい」と将来の夢を語りあった友人同士が、学徒動員のため帰ってこなかったそうです。
日々、生と死のはざまに生きていたんですよね、僕たちのおじーちゃん、おばーちゃんたちは。
“平和も戦争も家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家族が相互に愛し合う事から始めていきましょう。
もし喜びを広げていきたいなら、まずひとつひとつの家族が喜びをもって生活する事が必要なのです。”
(マザーテレサの言葉から)
ホントにその通りだと思いました。
家族ほど一番近くて実は一番遠く、一番愛しているのに一番愛するのが難しい存在っていないかも。
それだけ密接につながっているから、自分の個人敵な領域に入ってきちゃう存在だから、かえって照れくさくて本心を見せなかったり、壁を作っちゃったりするのかもしれません。でも、家族って社会の一番小さな単位だから、ここからすべてがはじまるんですよね。
今日家に帰ったら、おじーちゃん&おばーちゃんに「今までのたくさんの苦労、ありがとう」って電話したいなって思います。
taddy
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