日本専門評論

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いじめ問題に思うー教育の本質ー

2006年11月18日 19時30分40秒 | 社会

日教組と全教、 教育基本法改正案の裁決に抗議

 日本教職員組合(日教組)は15日、与党の教育基本法改正案の単独採決に抗議し、審議のやり直しを求める声明を出した。 東京都内で記者会見した森越康夫委員長は「非常に残念。いじめ自殺など直面する緊急の課題に何ら答えていない」と与党を批判。 衆院本会議での採決回避を、議長に申し入れるという。

 全日本教職員組合(全教)も15日、基本法改正は憲法改正につながるとして、単独採決に抗議する談話を発表した。

以上抜粋。

(私のコメント)

「いじめ自殺など直面する緊急の課題に何ら答えていない」という主張が正しいとして、 果たして現行の教育基本法がいじめ問題の解決に寄与できるのでしょうか?

(1)現行の教育基本法は、役に立つとした場合を考えましょう。いじめ問題が解決されない現実があるわけですから、 現行の教育基本法の理念を実現できない現状に問題があることになります。学校教育において、一義的には現場の教師の手腕次第であり、 したがって日教組・全教組を初めとする教師の力量不足がいじめを生んでいるということになります。

(2)現行の教育基本法は、役に立たないとした場合はどうでしょうか? 役に立たないのだから改正するのは当然でしょう。

もっとも、いじめの問題は教育基本法とは無関係です。というのは現在の教師の異常性が、いじめを生み出しているからです。

そもそも教育とは、倫理面では正しいとされる価値観を押し付けることであり、技術面では職業に必要なスキルを見に付けさせることです。 双方身に付けて初めて、子供から大人になれるのです。

いじめは倫理の問題ですから、正しいとされる価値観を押し付ける教育という視点で考えなければなりません。人を殺してはいけない、 人の嫌がることはしてはいけない、といった当たり前の考えを正しいものとして子供に押し付けることは当然のことでしょう。 これに反発する自由を認めるわけにはいきません。認めてしまったら、人を殺しても良い、 人の嫌がることをしても良いということになってしまいます。

しかし現在の日本では正しいとされる価値観を押し付けられた場合、これに反発することを正当化させています。 子供の意思を尊重すべきだなどというくだらない考えが、それです。子供が何故子供なのかといえば、 正しいとされる価値観に基づいた思考ができず、自分の勝手気ままな感情から行動してしまうからです。そんな子供の意思を尊重したとしたら、 子供は正しいとされる価値観に基づいて行動をするはずもありません。だからいじめが生じるのです。

さらに教師自身が国歌や国旗に反対する行為を示しており、正しいとされる価値観に反対しても構わないと子供たちに教えています。 だから、いじめは悪いと言われても、子供はいじめは悪いという考えに反対するのです。だって子供にしてみれば、 教師が国歌や国旗の問題でやっているように、誰かをいじめたいという感情を優先させても構わないだろうというわけです。

そういうわけで教育の本質は、正しいとされる価値観を押し付けることなんだから、 押し付けは良くないという馬鹿らしいことは放っておいて、 押し付けるべきことと押し付ける必要はないことを区別していくことの方が大事なのです。

例えば、子供の信教の自由を尊重して、子供に宗教を押し付けることを止めたらどうでしょうか?  少なくとも幼少期からカルトに染まってしまうことから救えるはずです。